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サツマイモを眺めていると終戦後に食糧難で苦労した家族のことや、少年期に家族総出でやせ地で畑を耕してきた自分の歴史が切なく思い出される。男たちは兵隊に取られ、年寄りと女特に未亡人の多かった農村で乳児を背負い、幼児を小脇に置いて田畑で忙しく働く若い主婦と手伝う小学生が多かった。一方、焼け野原に帰した東京では、「戦争未亡人」とみられるお母さんたちが、郊外の農家や市場を訪ねまわって、子らに食料を与え、あるいはバラックの中で八百屋や雑貨商を開業していた。上京して入学した時、大学の級友には、3人ほどそういう家庭の人がいたことを思い出す。
朝の散歩のフレンドに、「多摩川河川敷で野菜を作っていた」という老人がいる。これは不正だということで当局からお灸をすえられたらしい。いろいろ禁止に関する理屈はあるのだろうが「お芋ぐらい作らしてよ」とその人が言う。多摩川河川敷は広い。「野菜を作りたいなあ」とその人が言のは本能が騒ぐのかもしれない。私も共感できる。
河川敷はほとんどは何かに占有的に使われている。主なものは球技場、そしてゴルフ打ちっぱなしかミニコースか?市街にはレクリ緑地や避難緑地が配置されにくいのでそれに転用するためそうなうのかもしれないが、農園があってもおかしくない広さである。
昨今は食糧難なんて死語になっている。もし、2日間でも何も食べなければどんなに苦しいか日本の子供に体験させたいと思う。その体験なくして、アフリカの子供たちの飢餓を救おうなんていう標語を唱えるのはどんなものか。子供たちに食料を生産することの意義を知らせない社会は狂った社会である。
農産物を、自由貿易と称してお金のあるところにしか配らないTPPはやめた方が良い。これを強行すると、政治が壊れ深刻な治安の乱れと戦争の機運が高まることを危惧する。
さて、サツマイモだが、これは自分だけの消費ではなく、多摩川まるしぇやイベントに持って行き、適当に焼いておくと、顔なじみの人も含めて食べながら批評をもらい、昔話などいろいろなお話を引き出して消費者の皆さんと「意見」を交換することもできて飽きることがない。当分はこれを楽しもうか。
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