田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

鎮魂歌(レクイエム)に接して

2009年02月24日 14時35分05秒 | 愛・LOVE・友 
090223フォーレのレクイエム最近、久しぶりにLPレコードを聴いたものの中に、フォーレのレクイエム(死者のためのミサ曲)がある。もう何年前になるのか、おそらく35年ぐらい前に大阪のレコードショップで買ったものである。ステレオ録音の東芝エンジェルレコードで演奏はパリ音楽院管弦楽団、指揮はアンドレ・クリュイタンス、バリトンソロがフィッシャーデイスカウだ。これは私の愛聴版である(正確には「だった」)。久しぶりに針を落として聞いてみると全く味わいが違う。35年ぐらい前は私はレコードに凝っていた。まだこどもも居ない、新婚かもしくは独身最後の頃で、買った当初は美しいソシテヌートで始まる憐れみを求める「入祭唱とキリエ」には魅せられた。レクイエムにはモーツアルトのそれがきわめて有名である。ケルビーニ、ベルリオーズ、ベルデイなどのものを合わせて、5大レクイエムというそうだが、このレクイエムを一度聴くと、無上の快感というか秘境的な陶酔感にとらわれるそうである。フォーレは1843年、カソリックの信仰の厚い南フランスに生まれ、幼時から宗教的な環境に育った。クリュイタンスはフランスの名指揮者である。これほどの名盤はないと思える。一度聴くと二度、二度聴くと三度というように、聴き飽きないのである。宗教曲というのは、そういうものかも知れないが、これを歌うということになれば話は別である。この度、昔の仲間と一緒にこのレクイエムを合唱することに誘われた。昔、そう、35年以上も前の昔である。故人となった指揮者をお送りする会をするので参加して欲しいというのが要請されたことである。今、私はその気になっているが、歌うとなれば話は別であるといったように、本当に歌えるのかどうか、歌の実力といい、歌い方といい、自分にその歌を歌う資質、能力があるのかどうか、疑っている今日この頃だ。

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