四季の花々と風景

日々目についた花々や風景の雑感

2019.05.18 羽曳野史跡・古市古墳群を歩く

2019-05-19 | 日記

 「羽曳野史跡・古市古墳群を歩く」と題してグループのハイキングへ行ってきました。
 今年3月に案内があり14名が参加しました。
 このグループは春秋年2回のハイキングを実施していて、私は不参加でしたが昨年秋には大仙公園(仁徳天皇陵古墳など)周辺をハイキングしました。この6月"百舌鳥・古市古墳群”として世界遺産登録が確実視されている中の先取りハイキングでした。
 近鉄古市駅10時集合して近鉄発行のてくてくマップ「羽曳野・藤井寺史跡・古墳コース」を手に13kmのコースを8kmぐらいにショートカットする予定で出発しましたが、メンバーの大半が70代越え、最高齢は85歳とシニア世代でなかなか歩数が進みません。
 訪れた先は①白鳥神社(祭神:日本武尊)②誉田八幡宮(祭神:応神天皇)③誉田山古墳(応神天皇陵)④大鳥塚古墳⑤古室山古墳⑥中姫命陵古墳(応神天皇の皇后)⑦道明寺⑧道明寺天満宮⑨市野山古墳(允恭天皇陵)を回って当初予定の藤井寺駅では無く一つ手前の近鉄土師ノ里駅で終わることになりました。
 古室山古墳の上で弁当を食べてから急速に足並みが乱れて、ショートカットのショートカットをすることは、阿倍野での反省会のビールが頭にちらつくようになり、すんなり決まりました。
 天気も古市駅出発の頃、ぱらぱらときましたが、曇天でそんなに気温も上がらず、少々蒸し暑い感じはあったものの、まずまずの日和でした。
 人出のほうも土曜日ながらほとんど見当たらず、堺と違ってまだまだマイナーな感じの古市古墳群でした。それでも世界遺産に正式登録されると一段と訪れる観光客は増加するのでしょう。

 古市駅降りてすぐ「竹内街道」の標識。

 駅を出てすぐの「伊岐宮 白鳥神社」

 正面の参道はこちらでした。

 世界遺産登録推進運動でのPRか、駅周辺にはパンフレットなどが整備されていました。
 案内看板でも宮内庁所管の天皇陵を除く古墳では、英語表記の案内板がありましたが、パンフレットは言うに及ばず、案内板なども外国語併記が今後進められていくのでしょう。

 「柏葉あじさい」か、花房が抹茶アイスクリームのようでした。

 こちらも一緒に家の門先に咲いていましたが名前は?

 「誉田八幡宮」奉祝の幟が、他に参った神社でも。

 八幡宮からの応神天皇陵放生橋を隔てて。後円墳側なのか。

 「東高野街道」(京都八幡市から河内長野市)道標。

 天皇陵の管理所庭先で見かけた植物。黒法師(サンシモン)というそうな。以前よそからもらって育てた事はあったが花を咲かせることはできなかった。茶色い艶の葉っぱが印象的です。

 「応神天皇陵」。仁徳天皇陵に次いで2番目の規模とか。陵の緑が美しい。

 古室山古墳の頂上です。中央遠く小さく見えるのがアベノハルカスです。上は見晴らしも良かったのですが時折吹く風に帽子も、飛ばされそうでした。弁当を広げ眺望を楽しみながら一時を過ごしました。

 古墳の上の柿の木にちょうど花が咲いていて新鮮な感じがしたので。

 応神天皇皇后仲姫命・中津山陵とありました。

 「道明寺」山門前の縁起には古義真言宗の尼寺。聖徳太子が土師氏の協力を得て土師寺を建立、後に土師氏を祖先とする菅原道真が道明寺と改めた。(道真の死後、道真自刻と伝える十一面観音像を祀って土師寺を道明寺と改めるが、これは道真の号である「道明」に由来する)とありました。

 本殿の注意書きの犬の置物が面白かったので。

 東高野街道を挟んで隣に「道明寺天満宮」

 狛犬?の造り(青銅?)が少し珍しかったので。

 「青梅や 餓鬼大将が 肌脱いで」の一茶の句。ちょうど今頃の季節か。

 天満宮を出てすぐ道明寺駅線路沿いに「大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑」左隣は漢字ばかりの碑で何が書いてあるか分からない!! 右隣に現代語訳がちゃんとありました。
 (慶長20年5月6日、道明寺において豊臣秀頼軍と徳川家康軍が合戦した。友軍を待たずに先陣を切った後藤又兵衛基次の戦いと戦死が有名)
 また、後で「道明寺」のパンフレットを見ると記念碑の説明と写真が載っていました。
「この記念碑は後藤又兵衛、真田幸村、片倉小十郎他、この地で死闘を繰り広げた幾多の武士達の慰霊・鎮魂と顕彰のため地元の有志や企業を中心とした諸団体、武将に所縁のある地域の団体などからの協賛金と大阪府ミュージアム構想、藤井寺市助成金等により道明寺駅前に建立されたものである。
碑文は蓮土山道明寺院主六條照瑞氏書、副文は道明寺天満宮宮司南坊城光興氏撰、晃鳳氏書による。
 除幕式は道明寺合戦に至る大坂夏の陣の緒端を開いた木津川口の戦いの前日に設定し、平成26年11月18日に行われた。
 式典の結びには、この戦いで刃を交えた後藤家、真田家、片倉家の末裔が合戦後初めて相集い、時空を超えて和睦の握手がなされた」とありました。

 この日最後となった市野山古墳の允恭天皇陵。陵の緑は綺麗でこの時間に訪れたのは私たちグループだけでした。
 阿倍野での反省会も久しぶりの仲間同志で盛り上がりました。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする