各務原市中央図書館で、令和3年度企画展
「川上貞奴と各務原 ~日本初の近代女優が、各務原を終焉の地としたのは~」
が、2月23日(水)まで開催されているので見てきました。(29日)
図書館入り口の案内板
木曽川(対岸は愛知県犬山市)と手前の建物は別荘だった「萬松園」
川上貞奴は、明治4年東京で生まれ、幼いころから日本舞踊に親しみ、7歳で舞台に上がり大いなる人気を博し、芸の研鑽を重ねていた時、オッペケペー節で一世を風靡していた芝居作家の川上音二郎と出会い結婚。川上音二郎一座として、アメリカ、ヨーロッパに渡り、エキゾチックな日本舞踊を披露するなど、欧米諸国にジャポニズム風潮を広めました。各国の人々から親しみを込めて「マダム貞奴」と呼ばれ、日本人女優第1号として成功を収めました。明治44年に音二郎が享年47歳で亡くなり、その後貞奴一座として舞台に立ち、大正6年に46歳で引退声明を発表しました。貞奴は音二郎亡き後、福沢諭吉の娘婿の桃介に急接近し、電力王として活躍する桃介の木曽川電力開発事業を成し遂げることに夢を持ち、木曽川に多くの水力発電所が建設され、大正13年に完成した大井発電所は当時東洋一といわれる規模でした。
貞奴は晩年、人生の集大成として、各務原鵜沼の地に「貞照寺」と「萬松園」を建てました。これだけの建造物を一個人が建てるというのは、たとえ財力があったとしても、貞奴自身の強い思いがなければできることではありません。東京で生まれ、東京育ちで、国際的な女優として活躍した貞奴が、なぜ各務原鵜沼を自らの終焉の地としたのでしょうか。それはこの地が、桃介が建設した発電所とつながる木曽川の景勝地だったからではないかと考えます。
会場内(カメラはOKでした。)
無料の冊子と
内容
この企画展を見た数日後に、貞照寺と萬松園へお出かけ。(31日)
諸芸上達・芸能の寺 成田山 貞照寺 なので、
多くの芸能人が参拝していたそうで本殿に名が残っています。
山門
本堂
本堂右から進むと、貞奴の霊廟があります。
貞照寺から、100mほどの国道41号線沿いにある、
国指定重要文化財・旧川上家別邸「萬松園」
門が閉まっていて見学できませんでした。
名古屋市中区に、移築復元された「二葉館」があり、これは貞奴と桃介の新居として大正8年に完成し「二葉御殿」と呼ばれ、貞奴の養子・養女など20人を超す大所帯が暮らしていて、政財界人が多く集まり、その接待を貞奴が仕切っていました。
ご訪問ありがとうございます。
「川上貞奴と各務原 ~日本初の近代女優が、各務原を終焉の地としたのは~」
が、2月23日(水)まで開催されているので見てきました。(29日)
図書館入り口の案内板
木曽川(対岸は愛知県犬山市)と手前の建物は別荘だった「萬松園」
川上貞奴は、明治4年東京で生まれ、幼いころから日本舞踊に親しみ、7歳で舞台に上がり大いなる人気を博し、芸の研鑽を重ねていた時、オッペケペー節で一世を風靡していた芝居作家の川上音二郎と出会い結婚。川上音二郎一座として、アメリカ、ヨーロッパに渡り、エキゾチックな日本舞踊を披露するなど、欧米諸国にジャポニズム風潮を広めました。各国の人々から親しみを込めて「マダム貞奴」と呼ばれ、日本人女優第1号として成功を収めました。明治44年に音二郎が享年47歳で亡くなり、その後貞奴一座として舞台に立ち、大正6年に46歳で引退声明を発表しました。貞奴は音二郎亡き後、福沢諭吉の娘婿の桃介に急接近し、電力王として活躍する桃介の木曽川電力開発事業を成し遂げることに夢を持ち、木曽川に多くの水力発電所が建設され、大正13年に完成した大井発電所は当時東洋一といわれる規模でした。
貞奴は晩年、人生の集大成として、各務原鵜沼の地に「貞照寺」と「萬松園」を建てました。これだけの建造物を一個人が建てるというのは、たとえ財力があったとしても、貞奴自身の強い思いがなければできることではありません。東京で生まれ、東京育ちで、国際的な女優として活躍した貞奴が、なぜ各務原鵜沼を自らの終焉の地としたのでしょうか。それはこの地が、桃介が建設した発電所とつながる木曽川の景勝地だったからではないかと考えます。
会場内(カメラはOKでした。)
無料の冊子と
内容
この企画展を見た数日後に、貞照寺と萬松園へお出かけ。(31日)
諸芸上達・芸能の寺 成田山 貞照寺 なので、
多くの芸能人が参拝していたそうで本殿に名が残っています。
山門
本堂
本堂右から進むと、貞奴の霊廟があります。
貞照寺から、100mほどの国道41号線沿いにある、
国指定重要文化財・旧川上家別邸「萬松園」
門が閉まっていて見学できませんでした。
名古屋市中区に、移築復元された「二葉館」があり、これは貞奴と桃介の新居として大正8年に完成し「二葉御殿」と呼ばれ、貞奴の養子・養女など20人を超す大所帯が暮らしていて、政財界人が多く集まり、その接待を貞奴が仕切っていました。
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