笠間市(旧:友部町)にある筑波海軍航空隊記念館を見学した。
車で1時間弱の地ながらこれまでその存在を知らなかった。
寂しい限りである。
霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊として昭和9年に開設されたようだ。
昭和13年に筑波海軍航空隊と改称された。
この施設が昨年12月20日から当分の間、一般公開されている。
旧司令部、号令台、地下戦闘指揮所、滑走路などがほぼ当時のままに残っている。
といっても地下戦闘指揮所は安全の関係から公開されず、滑走路も道路として活用されており、面影は直線で三角形の道路があることだ。
展示内容は岡田准一主演の映画「永遠の0」の撮影場所が主だ。
この記念館は、わずか11年という短い期間でありながら多くの若者を特攻隊として育てなければならなかった当時の戦局が偲ばれるものだ。
特に学徒動員によって少なくとも6か月は必要とされる教育を2か月で終え戦地に向かわせたと聞くとあまりに切羽詰った状況だ。
一時期とはいえ約2,500人が教育をうけていたそうだ。
戦後が70年になろうとする今、当時の若者の死が今の繁栄に繋がっていると改めて感じた。
この場所は戦後県立の精神病院として活用されてきた。
今は隣接地に「茨城県立こころの医療センター」として最新の建物に整備されている。
車で1時間弱の地ながらこれまでその存在を知らなかった。
寂しい限りである。
霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊として昭和9年に開設されたようだ。
昭和13年に筑波海軍航空隊と改称された。
この施設が昨年12月20日から当分の間、一般公開されている。
旧司令部、号令台、地下戦闘指揮所、滑走路などがほぼ当時のままに残っている。
といっても地下戦闘指揮所は安全の関係から公開されず、滑走路も道路として活用されており、面影は直線で三角形の道路があることだ。
展示内容は岡田准一主演の映画「永遠の0」の撮影場所が主だ。
この記念館は、わずか11年という短い期間でありながら多くの若者を特攻隊として育てなければならなかった当時の戦局が偲ばれるものだ。
特に学徒動員によって少なくとも6か月は必要とされる教育を2か月で終え戦地に向かわせたと聞くとあまりに切羽詰った状況だ。
一時期とはいえ約2,500人が教育をうけていたそうだ。
戦後が70年になろうとする今、当時の若者の死が今の繁栄に繋がっていると改めて感じた。
この場所は戦後県立の精神病院として活用されてきた。
今は隣接地に「茨城県立こころの医療センター」として最新の建物に整備されている。
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