昨年7月、83才で亡くなった叔父の一周忌法要が行われた
母親の弟で7人兄弟の上から4番目の叔父だった
現役時代、高校の教員として勤め上げ、晩年まで県の柔道連盟の役職を続けていた
幼い頃から私を「甥」としてかわいがってくれた叔父だった
二人の息子を高校の教員として送り出し、その息子たちは今、現役で茨城国体の役員として奮闘中だ
今日の法要時に、長年住み慣れた自宅を解体し更地にすると話があった
約60年前、叔父夫婦が建築し、二人の息子を育て上げた思い出がいっぱいの自宅だった
私と「いとこ」である二人の息子は、勤務先に近いそれぞれの地に自宅を新築し、不自由のない生活を送っている
叔母は健在だが、病院と施設の出入りで自宅に戻ることはないと考え、解体の決断に至ったと
私も泊まったことがある解体中の家に向かった
解体中だった
今日は日曜日で作業は休止していたが、当時の面影は全くなくなっていた
時代の流れとは言え一つの時代が終わったと寂しい気持ちになった
母親の弟で7人兄弟の上から4番目の叔父だった
現役時代、高校の教員として勤め上げ、晩年まで県の柔道連盟の役職を続けていた
幼い頃から私を「甥」としてかわいがってくれた叔父だった
二人の息子を高校の教員として送り出し、その息子たちは今、現役で茨城国体の役員として奮闘中だ
今日の法要時に、長年住み慣れた自宅を解体し更地にすると話があった
約60年前、叔父夫婦が建築し、二人の息子を育て上げた思い出がいっぱいの自宅だった
私と「いとこ」である二人の息子は、勤務先に近いそれぞれの地に自宅を新築し、不自由のない生活を送っている
叔母は健在だが、病院と施設の出入りで自宅に戻ることはないと考え、解体の決断に至ったと
私も泊まったことがある解体中の家に向かった
解体中だった
今日は日曜日で作業は休止していたが、当時の面影は全くなくなっていた
時代の流れとは言え一つの時代が終わったと寂しい気持ちになった