よっちゃんの独り言

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親鸞旧蹟めぐり(9)

2018年09月02日 | 親鸞旧蹟めぐり
8月31日、福島県で唯一の「親鸞二十四輩寺院」である「蓮生寺」に出かけた

福島県棚倉町は「東北の小京都」とも言われ「棚倉城跡」を中心に歴史ある町だ!

「蓮生寺」はその一角にあり大きな屋根が遠くからも見えその歴史の深さを感じることができた

蓮生寺の門


蓮生寺(れんしょうじ) は  福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字新町にあり  二十四輩第 八番  宝池山浄華台院蓮生寺という、蓮生寺の開基は「證性房」で證性房は茨城県常陸太田市にある青蓮寺の開基ともなっている。
二十四輩の名が見あたらず探したがここにあった


これが大屋根の「本堂」だ


鐘楼


庫裡を訪ね本堂での参拝をお願いした

坊守さんが「よく来ていただきました、ぜひ御参拝をお願いします」と本堂を開け案内してくれた

本堂内部


この見事な彫り物


決して飾ることのない「質素な大寺院」と感じた
坊守さんの優しさや寺院内の佇まいが浄土真宗の真髄を感じるような気分だった

親鸞さんの教えを伝えるにふさわしいと感じた「蓮生寺」だった


親鸞旧蹟めぐり(8)

2018年08月28日 | 親鸞旧蹟めぐり
今日、親鸞の弟子たち24人が興した「二十四輩旧蹟めぐり」をした

これまで27寺のうち17寺に参拝をしてきた

今日は我が家から南となる栃木県真岡市にある第2番の「専修寺」、結城郡八千代町にある第5番の「弘徳寺」、猿島郡境町にある第6番の「妙安寺(一の矢)」を訪ねた

午前中の訪問となった「専修寺」




茅葺の門はいかにも歴史を感じさせてくれた


浄土真宗高田派の寺院で開祖は「真仏」、本山は三重県にある
ここは広大な境内を持ち今日も檀家の人達が大勢で清掃作業を行っていた
これは「如来堂」だ




威厳のある山門も見事だった


鐘楼も


これが「御影堂」
いわゆる本堂だ、本尊が祀ってある


参拝後、受付で地元の門徒の方から「近くに親鸞のお墓があるので見て行って下さい」と声をかけられた
本堂から200mほど歩いた墓地の最奥にそれはあった
親鸞は1262年、京都の地で90歳で亡くなった
葬儀は三代「顕智」によって営まれたが、その後遺歯9本がここに持ち帰られ埋葬、「親鸞御廟」として祀られていた



昼過ぎ八千代町にある「弘徳寺」へ


「ご朱印はお断りします!」いとも簡単にそして厳しくお断りをいただいた

それではなんとか本堂でお参りを!とお願いすると「ぜひどうぞ!」

閉まっていた本堂の扉を開けお参りをさせていただいた

なぜ「ご朱印を押さない」のか尋ねた

最近の風潮として神社仏閣なんでもご朱印ご朱印と、ゲームのように集めている方が多い、神聖な気持ちで押印したいので「私は一切ご朱印を押さないことにしている」と

若い住職だったが、「あなた様のように特別に「二十四輩のご朱印帳」を持参している方には本当に申し訳ないのですが、ご理解いただきたい」と

わからないでもないのでそれ以上のお願いはせず、住職と世間話をして後にした

 但し、私が持参したご朱印帳は幹事寺である「水戸信願寺」において「親鸞聖人関東旧蹟集印帳」として2,000円で販売しているもので「押印できない」はいささか納得できるものではなかった

弘徳寺境内の親鸞上人像



午後2時を回ったが境町にある妙安寺(一の矢)へ








なぜ(一の矢)かと言うと近くに同じ二十四輩第6番の「妙安寺(三村)」があるのだ

( )はいわば地名である

妙安寺では坊守(住職の妻)と副住職(住職の子)が丁寧に対応してくれた

「なぜ妙安寺が3つあるんですか?」と尋ねると元々は当寺が一番目だと聞いているが長い歴史の中でこのようになったと「控えめ」な発言だった

さらに開祖の「成然」の墓が近くにあると教えていただき訪ねた

今日の参拝でも浄土真宗寺院の「庶民の寺」としての風格をしっかりと受け止めることができた
















親鸞旧蹟めぐり(7)

2018年02月20日 | 親鸞旧蹟めぐり
群馬県前橋市の群馬県庁近くにあった

親鸞聖人の弟子たち24人のうち成然房が起した寺院「妙安寺」だ

大きなビルの谷間にあった


妙安寺は今から700年以上前、1233年(天福元年)に建てられた

24輩6番の寺だが、私のご朱印帳で6番は3寺が記されている

ここ前橋と元の岩井市(現在は坂東市)の三村の妙安寺、茨城県猿島郡境町にある一の矢の妙安寺だ

このうち、三村の妙安寺は平成27年1月27日に訪ねている


昼過ぎの訪問だったが、若い副住職が対応してくれた

茨城から来たので本堂でお参りをさせてほしいと言うと快く案内してくれた


この寺は浄土真宗大谷派に属し、ほかの妙安寺も同様だ

歴史ある本尊に丁寧なお参りをした

ここでも隣には「親鸞聖人」の祭壇が祀られていた

境内を歩くと群馬県指定重要文化財である「梵鐘」があった


歴史を感じる梵鐘だった


副住職にご朱印の依頼をすると丁寧に押印してくれた


同じ6番でも他の妙安寺との付き合いはないとのことだった

住職の坊守と思われる方が一緒に行った妻に話しかけ境内の花木の説明をしてくれた















親鸞旧蹟めぐり(6)

2018年01月19日 | 親鸞旧蹟めぐり
二十四輩第一番の報恩寺だ、御朱印帳によれば第一番は東京台東区にある「報恩寺」と茨城県常総市にある「横曽根報恩寺」の二つある

このうち「横曽根報恩寺」は平成27年1月28日に参拝している

今回は東京台東区東上野にある「坂東報恩寺」を参拝した






庫裡に行くと「本堂にお入り下さい」との案内が


若住職と思われる方が丁寧に案内してくれた




報恩寺(ほうおんじ)は、東京都台東区東上野にある真宗大谷派の寺院]で「坂東報恩寺」と通称される。山号は「高龍山」、院号は「謝徳院」と号する。開基は親鸞の門弟の性信、性信と報恩寺は二十四輩の第一番である

元は下総国横曾根にあった真言宗の荒れ寺「大楽寺」を性信が念仏道場として再興したのが創まりである。

慶長5年に兵火によって焼失し、寺基を江戸に移し、はじめは外桜田に移し、寛永20年(1643年)に八丁堀へ移転する。明暦3年(1657年)1月18日の明暦の大火により、浅草本願寺東門内の広沢新田に移転する。文化3年(1806年)3月4日の文化の大火により、浅草本願寺とともに焼失する。文化7年(1810年)、上野に寺基を定め現在に至っている

横曾根の跡地は文化3年(1806年)に本堂が再建され、はじめは「聞光寺」と号し、後に坂東報恩寺支坊になり「下総報恩寺」と通称されている





上野駅から徒歩約15分ほどで行くことができた。


親鸞旧蹟めぐり(5)

2016年03月01日 | 親鸞旧蹟めぐり
県北から栃木県那珂川町にある親鸞二十四輩(しんらんにじゅうよはい)巡りに出かけた

まず常陸大宮市鷲子にある「照願寺」へ

水戸方面から国道293号を旧美和村に向け、「花立トンネル」を抜け左折、道の駅「北斗星」を過ぎ2kmほどの右側にあった


山門近くには親鸞が「見返り桜」と名付けた桜の老木があった


山門だ


「毘沙憧山」(びしゃどうざん)とある

二十四輩第17番の名刹で浄土真宗大谷派だ、開基は念信房

庫裡を訪ねると声がなく本堂に向かう

住職がいた

「いつも平日は留守なんです!」と住職

ラッキーだった

なんと住職は現役の国家公務員だそうだ

今日は都合で休暇をとったとのことだ

ご朱印は自分で押して!とご朱印と朱肉を渡してくれた

その後、長い時間寺の由緒や現在の寺の運営状況などそんなことまでと思うほど話していただいた

本堂だ



国道293号をさらに進む

栃木県那珂川町に入り「馬頭高校」手前を右折、慈願寺に向かう

慈願寺は二十四輩第13番の名刹で浄土真宗本願寺派だ、開基は信願房

寺は若干わかりにくい場所だったが、山門は広大な墓地内にあった





本堂だ




住職が応対してくれた

本堂に案内され、ここでもご朱印は自分で押してと

これまでの巡りでご朱印を自分でと言われたことはなく、今日は二度ビックリ!

ご本尊に礼拝、住職にお礼を述べ寺を後にした

これで15ヶ寺を巡った、いつも清々しい気持ちになれるのが嬉しい

さらに東京都、千葉県、群馬県、福島県、新潟県、岩手県の寺が残っている