ハセツネもいよいよ明日に迫った。
「ハセツネ」よりも「日本山岳耐久レース」の呼び名が主だった時代は、『奥多摩全山を一周』等のキャッチコピーもあったような気もするが、実際は一部に過ぎない。
自分がハセツネコースに最初に足を踏み入れたのは、確か大学1年の時だったと思う。
御岳駅から御岳を通って、今でもあるが綾広の滝の上部の東屋でテントを張って一泊、さらに大ダワで一泊、御前から奥多摩湖に降りた記憶がある。
山を走るのは非常識とされていた時代でもある。
それから、40年以上が経った。
二泊三日のルートも、ハセツネコースの一部でしかない。
還暦になって二十歳前には考えられなかったような「過激」なことができるのは、ある意味感慨深いものがある。
正直ハセツネは日の出山からの夜景や夜明けを除いては、辛いだけではあるが、今年は過去を振り返るつもりで臨みたい。
「ハセツネ」よりも「日本山岳耐久レース」の呼び名が主だった時代は、『奥多摩全山を一周』等のキャッチコピーもあったような気もするが、実際は一部に過ぎない。
自分がハセツネコースに最初に足を踏み入れたのは、確か大学1年の時だったと思う。
御岳駅から御岳を通って、今でもあるが綾広の滝の上部の東屋でテントを張って一泊、さらに大ダワで一泊、御前から奥多摩湖に降りた記憶がある。
山を走るのは非常識とされていた時代でもある。
それから、40年以上が経った。
二泊三日のルートも、ハセツネコースの一部でしかない。
還暦になって二十歳前には考えられなかったような「過激」なことができるのは、ある意味感慨深いものがある。
正直ハセツネは日の出山からの夜景や夜明けを除いては、辛いだけではあるが、今年は過去を振り返るつもりで臨みたい。