与謝野寛の『相聞』(あいぎこえ)です。
先日、森鷗外記念館に出かけて以来、
なんとなく読み返しています。
というのも、この歌集の序文を
森林太郎(鷗外)が書いているからです。
今、鷗外記念館では鷗外の『うた日記』に
関する展示をやっています。
日露戦争に従軍した折の作品が収載されて
いるのですが、そのヒントが『相聞』の
序にあるのでは?と思ったのです。
一部引用します。
明治三十七八年役の時を思ふ。大抵戦役といふも
のは数十日準備して一日交戦するものであるから、
彼役のやうに猛烈な交戦が十日も続くやうなこと
があっても、其前後には必ず数十日の準備と整頓
とがいる。さういふ間に将卒の心は何物を要求す
るか。一面には或る大きい威力を上に仰いてそれに
たよりたく思ふ。人は神を要求する。他の一面には
胸の中に鬱積する感情をどうにかして洩らしたく
思ふ。人は詩を要求する。
神を 詩を 要求する
とはさすが頭の良い人は違います。
ぼく程度ですとたぶん「求める」とするでしょう。
要求する と 求める
では じぇんじぇん違います。
与謝野鉄幹のスケールの大きな歌は好きです。
『相聞』から一首紹介します。
亜鉛(とたん)をば大鋏もて切るごとくかの恋を切るこの恋を切る
与謝野寛(鉄幹)