青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

客が帰らないうちに水泳教室

2008-06-21 19:00:00 | Weblog
今回は珍しくスイミングへ行きたくなかったらしい。母親に強いられてしぶしぶ出かける。
私を呼びに来た。外は大雨。新装成ったプールは良いことばかりではなかった。25メートルのレーンに二クラスが折り返すから、混雑。
後半、フルに使って、先生がなにやら書き出した。
突然25メートルを泳がせてテストかと驚いたが、近くにいる父兄に確かめると、来週がテストだという。
泳ぎ終わって戻る孫にOKのサインを送る。次回は合格間違いない。10人近い中で背泳ぎは最もフォームも完成している。
駐車場も満杯で、離れたSCへ駐車下から、雨の中一つ傘で走った。
ママに内緒で、アイスクリームを食べるのが常。
帰宅すると客は帰っていた。

賑やかな土曜日

2008-06-21 14:29:00 | Weblog
昨夜から娘の母親が泊まっていた。即ち、生みの親である。
甥の連れ合いで、我々がこの夫婦の親代わりである。
親と縁遠い甥は我々を親のように育った。複雑な両親との関係に、我々も彼を子供以上に可愛がった。その娘が私の子供に入籍したのが中学卒業と同時だった。本家の我々に子供がいないので、後継ぎにという甥の願いでもあった。
今朝、仏壇にお供えを持って顔を出してくれた。「お父さん、お母さん、ご無沙汰していました」我が家の離れから新婚生活を始めたのだから、子供のいない我々には後継者と思われていた。
40才の厄年に急逝した。今日は彼の死後来年は23回忌になると話した。
人によく尽くした男で、今日でもその延長に、世話になった人たちから、贈り物が絶えないと言う。
人の誠意をわが座右の銘にしたのは彼の葬儀からであった。
若い40才の葬儀が理由ではないが、全国から人が焼香に参列した。有名人並みの列に驚いたり、感動した。
その人の価値は亡くなったとき分る。それを証明していた。
東京からは力士も何人も飛んできて男泣きした。
私の最後にこれ程の数と涙してくれる人がいるだろうかと思った。
金が十分にあったものではない、寧ろ、窮していた方である。
我々の影の援助程度だった。三度の転職で、大手のタクシー会社勤務が最後だった。
新聞社の社会部の記者が彼に惚れ込んで、事件で張り込みなどは彼無しにはいられなかったと言う。
部長まで出世した彼の奥さんから長い感謝の手紙が私の元へ届いたことがあった。
人を信じない、高学歴の冷たいその人の人格が甥と付き合うようになって変化したという。
真心の通じる人が今時いたと奥さんにも話し、以後、人が変わって家族、会社に活躍して出世した。
取材には警察の刑事課長の自宅まで、張り込んだり、徹夜で張り込むことが多かったと聞く。
そんなときは全て甥の車でないと出かけないと言う信頼の仕方だったと聞く。
人への気配りは人一倍の人間だったことは承知していたが、人の心を動かすほどのこととは私も知らなかった。
その長女、次女も我々を祖父母として、育った。
家裁の申請の判決でも、本人の意思の強さに、私たちの出る幕はないと許可が簡単に下りたのである。
私がその子を子守胴着で背中にして近所を歩く姿は、隣人を驚かせた。その可愛がりが、今の我儘、贅沢の娘を育てたと実母も今朝、家内と二人に笑われたりした。
昼前、その妹が子供を三人連れてやってきた。迎えの意味もあったが、半年来なかったことで、皆、大騒ぎである。
部屋の掃除に元親が来て、まともな部屋になる。