青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

日本晴れ

2008-10-02 12:10:00 | Weblog
雲一つ無い晴天。全国的というから何か心まで晴れる秋空である。

近くの林が宅地造成されて28個の分譲住宅ができるという。

工事でしばらく道路が通りにくくなると言うので、幼稚園の送迎バスの経路が変更になった。

バスに乗るまでは「じいじ」と決めているので、家内でも他の誰でも気に入らない。

なにやら日常の出来事を二人でおしゃべりするのである。

蚊が庭にいるから、母屋へ来るのを親に叱られるという。

それは口実もあるだろう。何故か自信のない親たちである。

娘が出勤して、我が家の朝食を楽しみな下の孫である。

白いご飯にお味噌汁。もろきゅうならぬ味噌キュウリである。

「昨日はご飯食べられなかった」と言うから心配した。詳しく聞くとラーメンが主食のようである。

最近、この二日ほど外食をしないので感心していたら、インスタント夕食である。

余計に朝の我々の食事が楽しみな彼である。それも親には内緒なのだ。

「これで良いの」とおいて行くのは一切れのパンかサランラップで握ったおにぎりをテーブルに置いてあるだけである。

親が出勤すると、それらは絶対食べない孫なのである。

炊きたてのご飯と冷凍戻しのご飯では比較にならない。

我々はおにぎりと言えば熱々を手に塩を振って母か祖母がにぎっくれた。

手塩にかけてと言う言葉はここから来たようだが、まろやかな塩の味になる。

今様は衛生的ではあるのだろうが、情が伝わらない。

他人の場合は合理的で衛生的なサランラップが良いのだが。

時代の変遷は人の心までを寂しくするから、人間も異常になるのだろうか。

小三の姉でも、皆と合流するまでは手をつないで歩くようにしている。

午後の行事は彼女が私にその間説明する。娘の舌足らずは子供がカバーする我が家である。

午後のピアノは振り替えで、日舞の先生宅へ行くという。

親からは何の説明もない。塾の習慣がついているから、個人教師の先生に振り替えを平気で頼む現代の親である。

こちらの都合で行けない場合は、休みにするのが常識なのだが、スイミングや塾の団体教室の習慣が非礼を平気で行うことになる。

どうせ盆暮れのご挨拶も無いと思い、陰で私が何かお届けする。

習い事をする家庭は、昔は礼儀の守れる人たちだった。

岡崎で焼き物指導をしていたときも日本人は一人日本画の大家の弟子だった人は礼を守った。

それと一人はブラジルの二世で日本に働きに来ている親子だった。

他の日本人は「月謝を払っているのにどうしてそんなことするの」と耳を貸さないと前記の人があきれていた。

それが現代人の普通の常識のようである。