青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

最低気温25度

2008-07-29 08:46:00 | Weblog
昨夜は夏布団を使わないと休めない気温だった。
各地に水害、鉄砲水の被害を出した大荒れは、寒冷前線に台風の湿った温かい風が起こした風雨と判明。
神戸では水遊びの子供達が大勢被害にあった。市街地の手近な場所を選んで先生も同行だった。
平素は少ない水だが、過去にこれに似た現象があったという。
管理責任が問われる災害である。
我が家は昨夜、どうしても新しくできた温泉ランドへ行きたいと昨夜食後8時半に出かけ、10時半ごろ帰宅した。
我々にも一緒といってきたが、こんな夜型の行動は我々に百害あって一利なしである。
お祭りと温泉好きな娘主導の行動なのだが、婿も似ているのかもしれない。夜型人間の典型でもある。ただ、この異常とまでいえる行為が与える孫2人への影響を心配する。
料金は入場料650円大人と子供350円だから銭湯並みである。
次の付加価値が準備して金儲けにできて施設だけに、無駄使いには違いない。
孫達の感想を今日聞いて判断しようと思う。
娘が今日パートが休みなのもその行動の原因ではあるらしい。

小学校登校日

2008-07-28 09:43:00 | Weblog
前の道路を子供達が通って初めて登校日を知った。
休みになったばかりで登校日は知らなかった。
仕事場に入っていて、孫娘は家内が送り出した。
娘もパートに久々に出勤である。気楽な仕事で、出たいときに出る。それだけ責任のない仕事しか与えられないだろうが・・・
主婦の仕事はそれが好都合なのだろう。今朝の気温が最近になく低く、現在でも少し楽に感じる。35度以下だと楽に感じるのだから驚きである。体が37度38度に慣れたからかもしれない。
家内のご飯を食べに来た幼稚園の孫は一人で勉強をしている。
姉と違いこれは勉強家になりそうである。
下校時刻の10時半頃、雷雨となり、止むまで校舎で子供達を待たせて帰してくれた。
止み間に下校。学校近くまで迎えに出る。他に、何人か迎えに出る父兄あり。
その後、降ったり止んだり。最高気温は32.3度。久々の35度以下である。今尚、雷鳴続き、雨も降ったり止んだりである。
孫2人は久々にこちらで一緒に食事。それぞれが何杯もお代わりしてよく食べる。
漬物が一鉢見事に空になる。納豆、茶碗蒸し、ハム、海苔である。食後フルーツはトマトの丸かじり。そして、牛乳。
こちらへ来たときぐらい変化の食事を心掛ける。
姉は夏休みの宿題を私と80%を終える。
ポスターと書道は今回は私が指導することにした。
書道もしばらく休むと腕がなまっている。元へ戻すのに、何枚も書かせる。
墨をするところから練習させるが、何枚でも書きたいだけ書かせる。

洞爺湖サミット冷房の立役者

2008-07-27 19:20:00 | Weblog
北海道洞爺湖サミットのプレスセンターで試験採用された「雪冷房システム」。開発したのは室蘭工業大学准教授・媚山政良氏。媚山氏は雪国では厄介物の雪を氷室と呼ばれる雪の貯蔵庫に入れて保管し、自然の冷房システムとして再利用する仕組みを考えた。環境対策からも注目される。
雪国では毎年莫大な費用で降った雪を処理している。それが資源に利用できるのであれば一挙両得である。
何故、今まで誰も気がつかなかったのだろうか。
屋根の雪を熱で溶かして、除雪作業を軽減するという、そちらの方へのみ気を配ってきた。
雪の塊に穴を開けて、そこへ送風するという単純な構造なのである。
冬の雪を溶かすことなく蓄える。それを夏に利用するのだから、日本の半分近い降雪地帯では利用が可能だし、その付近にまで及ぶ。
次がCO2の削減に寄与することだ。G8や18ヶ国の偉い、否、偉そうな人間が何もできなかったことを一人の准教授が考える。皮肉なものである。
これがまた世界の各国で可能であると言うことだ。
サミットの陰の最高功労賞ものである。

今朝は一つだけ

2008-07-27 12:57:00 | Weblog
咲いた朝顔を見て、「何個目?」と聞いて、パパの車に乗り込んだ。
泳げないから、大きな浮き輪を膨らまして貰って抱えている。
元気で遊んできて欲しい。海でうっかり溺れさせるところだったという親。
水泳教室の初歩で水に慣れさせるときにコーチの強引さが、水を怖がらせた。
未だに泳げない男の子である。
夕方、電話で最近オープンした温泉ランドを聞いていたので調べて教えてやる。
6自前に帰り、良かったら一緒にどうかという。
お金払ってあんなところは苦手だから、断る。
長い風呂の嫌いな私には無縁なところである。他に理由がある。ロクロを引いた作品が何点かあるから、高台仕上げが残っている。

遊びにタフな世代

2008-07-27 10:02:00 | Weblog
8時前に颯爽と出かけて行った。「昨夜は混んでいたかい」と聞くと婿は「ええ、混んでるなんてもんじゃなかったです」と言う。
今日はどこかと聞くが、行く先は分らない彼。「どこかのプールだと思います」である。
走り出して行く先をカーナビに表示して走る。
幼稚園の孫は朝顔を見て、「全部でいくつ咲いたの」と聞く。
手にはプールで遊ぶ大きな浮き輪。先に乗っていた姉は眠そうに奥に座っている。
「福の湯という新しくできた温泉ランドの広告見なかった」である。
次の遊び場探しには貪欲である。遊ぶと言う言葉すら恥ずかしい我々時代。怠け者と同義語に近かった。
高校へ通学する道すがら、どこかでも書いたが、肩身の狭い思いをして県道を歩いたものだった。
同級生の中の数人だけが進学する。他は家業か農業を継いでいる。田圃の中から手を振る彼らであった。
こちらが遠慮しているとは逆に彼らは達観していたのか「Yさん元気?」「行ってらっしゃい」と明るく手を振ってくれた。肉店の丁稚、国鉄、電話局と今言う一流企業へ中学卒で就職していた。
彼らから比べると今の若者は恵まれすぎて不幸ではないだろうか。