青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

夜に終わった花火

2008-07-27 03:29:00 | Weblog
昨夕のスイミングクラブに孫娘を連れていて帰ると、花火があるから観に行きたいと言う。
お祭り好きの娘の計画かと思ったが、子供達も行きたいらしい。車では近寄れないから、この近くから出るバス停まで送る予定をしていた。
辺りが薄暗くなる頃になっても一向に出かける気配がない。
どうしたのか聞くと、バスがなくなったから、パパの帰りを待って出かけるという。
不況でスポンサーが少なく、花火も少ないと聞いたから早く行かないと終わってしまうぞと注意する。間もなく、孫達が浴衣で迎えに来た。
「パパ渋滞にはまって遅れるから、会場近くまで乗せて行って」という。
車を出して準備した頃、また、電話で間もなく到着という婿。
花火の音が少ない。終わったのだろうかと心配した。
それでも何かは見たのか10時近く一度車が着き、また、出て行った。
娘と孫を下ろして、買い物に出たという。夕食を買いに行ったらしい。
私の最も危惧することである。疲れて帰ると、「風呂よりご飯とパパは言うの」と孫娘から聞く。
疲れて帰る婿にまた買い物に行かせる悪妻を娘は演じている。
言い聞かせれば直すのであれば注意もするのだが、それが駄目なのは我々夫婦も婿も承知なのだ。
何かを注意して、三度も家出をした出来損ないの娘である。
以来、夫婦喧嘩で揉め事があると婿が家を出るのだった。子供を可愛がり、出来損ないの娘も愛する申し分のない婿なのである。ここでは婿と書くのだが、常々、私は息子と人には紹介する。
頑張る婿に何かしてやることはと8年前に、私名義の土地家屋を彼の所有にした。
家内と共有名義だったから家内の分は残したのは当然である。
孫達を共に守っていこうという心根も欲しかった。
娘に譲るのではなく婿にすることは筋違いであることも承知だった。
そして、我慢することの多い生活も頑張ってくれる優しく、元気な婿なのである。
そんなことを考えていたからだろう。今朝の3時起きは。
PCに電源を入れておきてしまった。麦茶の冷えたのをコップ一杯を飲み干した。
実に美味しい寝起きの一杯である。

朝から蝉が鳴いている

2008-07-26 10:56:00 | Weblog
最低気温が28度ぐらいまでしか下がらなかった熱帯夜である。
蝉も夏を謳歌しているのか早いうちから鳴きだしている。
幼稚園の孫の朝顔は今朝珍しく3綸も咲いた。
6月末から7月初旬に芽切りした黒松は二番目がびっしり着いている。
20080726

2008.7.26asagao

photo by oyuhoh


今日も一輪咲いた朝顔

2008-07-25 14:28:00 | Weblog
俳句雑誌の主催者I先生から7月号が届いた。暑中見舞いを含んでいる。
今朝の孫の幼稚園で育てた朝顔が一輪咲いた。何時もは白に薄い青味である。
「今日は赤い花が咲いたよ」と教えると姉は「ほんとう」とうなずいてみている。
本人は「赤でないよ紫だ」正確に言わないといい加減は通用しない。
「そうだね。薄紫だった。訂正します」と笑った。
20080725

photo by oyuhoh

そんな朝には似合わないどんどん気温が上がり、我が家の観測点は37と39どである。
37度を越えたのは間違いない。庭半分のタイル部分は反射の陽光が皮膚に痛い。
午後、パートから帰ると娘は孫達を映画に連れて行くという。
駅まで行くのに孫達を迎えに来させる。
車に乗るやひと騒動。助手席の姉を後ろへ来いと言う。弟が前に。意味が分からずいると弟が「僕がもんであげる」と言っている。「力が入らないでしょう。頭が痛いのに映画へ連れて行くんだから、言うことを聞きなさい」膨れて弟は「馬鹿女」である。
姉が後部座席へ移動して、懸命に肩をもんでいる。
「そんなに頭痛ひどいならやめれば良い」と私が言うと、妹と約束してあちらの子供3人と友人1人も同行するという。
その代わり、駅まで妹が車で送迎である。
母親と共同で一軒家を買って10年以上になる。現在、コンビニで稼ぎまくっているから時間が惜しい。
半日働いてこれ程騒ぐくらいなら勤めをするなと言うのが我々の言い分である。
周囲を犠牲にして、大騒ぎして月に得る収入は5万か6万円なのである。
毎日、夕ご飯は外食か、おかずを婿が帰宅してその車で買いに行かせての食事だから、夜は9時を過ぎてしまう。
それも反対である。嫌なら、料理好きで上手な家内に任せればよいのだが、それも嫌なのだ。
自分の好きなものだけ食べられない。
夫婦共に大きな偏食である。それにしても、勤めから帰った夫に買い物など、私の時代ならばたたき出されると家内は言う。
私がサラリーマン時代、退社時刻になったからと家内が近くのデパートから電話してきた。
結婚して何年も経っていない時代である。
「今、何処へかけているの。男はいったん家を出たら戦場です。遊びは帰ってからにしなさい」と言ったとか、言わなかったとか。
きっと、トラブルでもあって、相手と口論していたのか、船長を叱り飛ばしていた頃だと思う。
何十年経ても、女性は執念深い。そん夫によくも今まで勤めてきたものだと言う。
そんな話を聞くと、娘は「今時はそんな亭主は離婚される」である。女が強いのである。
炎天下洗濯物を干している家内をみて、何故手を出す。自分でやらせろという。
そしたら、「孫娘に干しておきなさいと言いつけて出で言ったから」という。
我々に直接頼まず、孫に言いつけると我々が手を出すのを承知している。計算が旨いのである。
それを私は卑劣という。どうして素直に「お願い」の一言がいえないのだろう。
我が家だけなのか、この性格は死ぬまで治りそうもない。
それを我慢するとストレスになるから、私は全部吐き出すのである。

蝉を捕まえてという孫

2008-07-24 19:36:00 | Weblog
夕方、我が家の壁に、公園の木に盛んに泣き出した蝉。
たもを持って行って、捕まえた。
娘の家の玄関で呼ぶと孫が出てきて、触りたいが恐ろしい。
捕まえて持たせてやる。何事も経験である。それを見て言うだろうと思った娘の一言。
「汚いから部屋へ持ってこないで」である。
姉は卒業して黙って見ている。何年か前にカブトムシ、クワガタを採りたいと近くの林に私を連れ出したことがあった。
蝉は紙の箱に虫ピンで並べて止めて標本を作ったことがあった。夏休みの作品に持たせようと思ったら、誰も作らないから止めるという。時代が変わったのだと思った。
生き物からその命、生態系を学ぶ。そして、人間の命の大切さを学ぶ。ゲームなどばかりしていると、実在感のない架空のものばかり相手にするから、人の痛み、命の重さも分らなくなってゆくのではないか。
娘夫婦は2人ともそれをしない、できない世代であるり。PCよりゲームが好きな大人になっている。
幼稚園の孫にも一通り体験させてあげようと思う。私は田舎へ疎開した折、全てを教えてくれたのは父親だった。
子供の頃の体験は今日に受け継がれている。
動物、昆虫所謂生き物との付き合いがかけているのが今の犯罪者達なのでないだろうかと思うようになった。
母親だけが相手で、父親とは距離ができて話しさえしなくなる。
ますます、自分が閉じこもってしまう。
自分の家族だけではない近所の子供とも私は良く遊び、教えたり、蛙、ザリガニ、魚などを取りに連れて行く。
今は彼らが中学生になっている。すれ違うと恥ずかしそうにしながら親しく挨拶を呉れる。
そんな人間関係を大人が次の世代を健全に育てる義務があるのではないだろうか。

日が強くなると現れた黒い蝶

2008-07-24 16:40:00 | Weblog
庭に幾つか飛び交っている。孫達に勉強にと一つ捕まえた。
虫かごで観察し、午後、静かになったので、孫達が心配するので放してやった。
夏休みの昆虫採集が我々の子供時代の宿題でもあった。
今はできないのと、可哀想とて、虫ピンで止めることに抵抗があるようだ。
種類はクロアゲハのようだが、携帯電話かめらだから、やや、ピントが甘い。
20080724

photo by oyuhoh