ピーナッツの唄

毎日の出来事や、スポーツ観戦、読書や映画等の感想を中心に、好奇心旺盛に書いています。

猛暑日

2007-08-13 13:51:01 | 独り言
今年から30度を越す日は真夏日、そして35度を越す日は猛暑日と言ふらしい。
そしてここ3~4日は猛暑日の連続だ。
我が家でもついにクーラーのスイッチを入れている。
日中の我が家は、どちらかといふと北側の部屋から南側のリビングを抜ける風が涼しい。
従って外が真夏のカンカン照りでも、案外過ごしやすいのだ。
そこでクーラー嫌いのカミさんの意向もあり、滅多にクーラーは入れていなかった。
それでも食事時にはさすがに扇風機を使っていた。
まだまだ猛暑日が続きそうである。散歩も日が落ちた頃からようやく出掛けている。

昨日から忙しくしている上の娘夫婦が、小生のパソコンの点検をしてくれると来宅していた。
明日から、また仕事で忙しいと帰ったばかりである。
娘が5年程前から可愛がっている、おかめインコの「カメ」ちゃんを帯同していた。少々気が荒いが可愛い。

         

今晩からは代わりに下の娘と孫のご入来だ。
我が家も暑さに加えて「孫パワー」で益々の猛暑日になる



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熱い戦いの中の清涼剤

2007-08-12 11:17:27 | 野球
夏真っ盛り、プロ野球は国内も、米国のMLBも後半に向けての熾烈な戦いが続いている。
セ・リーグは、巨人G,中日D、阪神Tの3強が残る様相だ。
パ・リーグは、日ハム、ソフトBK、千葉LMの3強の争いだと思われる。
両リーグが同時にプレーオフ(クライマックスシリーズ)で、日本シリーズの代表を決める。

その熾烈な戦いのなかで、一服の清涼剤を見つけたので紹介したい。
「"07ロッテ マリーンの風から」ーー千葉ロッテMの広報便りからーー

千葉ロッテMの遊撃手西岡剛選手。攻走守に優れた遊撃手だ。彼は今季の開幕から不調に悩んでいた。開幕間もない頃の京セラドームでのオリックス戦に一番で出場するも、4打数無安打、打率は1割8分6厘。
「野球のことで、めちゃくちゃ落ち込んでいた時期、たまたまあるTV番組を見てハットさせられた」
思い通りのプレーができない、フラストレーションはピークにきていた。
そんな時に「もんもんと思い悩み」ながら、ホテルの自室で見たTV番組だ。
200万人に一人の発症率といはれる難病の「進行性骨化性線維異形成症」と闘う、宮城県の10歳の少年に関する特集番組だった。筋肉や細胞が骨になってしまう難病で、現状では明確な治療法は見つかっていない。
しかし、少年は病気にしっかりと向合い、日々を前向きに生きていた。
10歳の少年の懸命に生きている姿に、自然と涙がこみ上げてきた。そして自分の不甲斐なさを悔いた。
「本当に自然と泣きそうになった。彼に比べてオレってなんて小さいのだと。野球で打てないぐらいでクヨクヨしている。世の中には難病と向き合いながら、幼くてもしっかりと生きている人たちがいるのだ」
悩んでいる自分が馬鹿馬鹿しく思えた。そして悩むのをやめた。そしたら不思議にも打率が少しずづ上昇し始めた。そして今ではプロに入団して以来の最高の調子にある。

その後、その少年と家族を自費で千葉M球場に招待した。「今日はありがとうと言いたかった。勇気を与える仕事をしているはずのオレが反対に勇気をもらったから」試合は残念ながら雨で中止になったが、ベンチでしばし談笑し、キャッチボールを楽しんだ。
「何かの縁でこうやって会えたのだから、これで終わりにしたくない。ずっと付き合っていこうな」と約束した。
今後も西岡と少年の交流は続く。少年は難病と闘いながら懸命に生きていく。西岡も負けてはいられない。

こんな素敵な交流をスポーツ界の頂点に立つ人達が率先してやって欲しい。
ドーピング疑惑が日本球界でも囁かれている、大相撲のトップでも不愉快極まりない仮病疑惑なども出ている。
多くの青少年の尊敬の的になっている人達の、立場をわきまえた自覚が必要だと思う。

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「こだわり」のひとつ

2007-08-11 12:20:17 | 郷里山形の事
小生には意外にこだわりが多い。現役中にもそんなこだわりが、他人や上司の受けが決して良くなかったと思う。
どうも若い時からだったらしく、何時だったか何十年ぶりかに出会った、独身寮時代の同僚にも「君は入社した頃から変わっていたよ」と言はれた事があった。
亡き母親の実家が山形では老舗の「寿司や」だった。母が子どもの時から地元の劇場に歌舞伎芝居を呼んでは興行していたらしい。それを見て育った母親が、芝居の楽しさを良く語って聞かせてくれた。そのせいか大阪では歌舞伎をよく見にいった。さらに薄給の身ながら映画やアメフット等を見たり、旅行等を楽しむ小生は実に変わった存在だったらしい。

そのこだわりのひとつが、この時期のお盆や正月やゴールデンウイーク時のお出掛け渋滞拒否症だ。

企業に入社して大阪の独身寮に入寮したが、入社した年の正月も帰省せず、寮で年を越す事にした。
独身寮は寮母達も正月休みで不在になる。心配した先輩の寮長のNさんが帰省を勧めてくれた記憶がある。
帰省しない理由は明白だった。当時はまだ新幹線もなく、大阪から東京まで、さらに上野から山形までの汽車での移動が実に大変だったからだ。それに正月時にあの混雑した東北線で福島で乗換え、さらに奥羽本線での長時間の移動には耐えられなかったからだった。
確か東北や北海道の方も同じ理由で寮に残っていた筈である。
しかし良き時代でした。職場の先輩の女性達が着飾ったままで「おせちやお餅」を持参してご馳走して呉れたのでした。
その時分から正月やお盆休みを外して休暇をとる様になった。

その後は新幹線や航空機の発達で、繁忙期の移動も随分に楽になりました。
しかし家族が増えるに従い乗用車による移動等もが多くなると、やはり渋滞に遇うのが苦衷の種でした。
それでも子どもたちやカミさんの要望で出掛けては、渋滞の中を延々と走った事も多くあったのでした。
一度困ったのは、母親が亡くなったのが丁度8月11日でした。意を決して家族は乗用車で出掛ける事にしたが、どこも渋滞中、常磐道からいわき市に行き、郡山の東北道に廻りそれでも、通常の倍は時間が掛かった記憶がありました。
そして帰宅するのに何十キロかの渋滞との戦いでした。

それからは決して渋滞の予想される時期でのお出掛けは拒否する事にしたのでした。幸いに現在はどうしてもこの時期に出掛けたいと思う事もないからです。

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「ダルビッシュ有」君の爽やかさ

2007-08-10 10:38:53 | 野球
昨夜のプロ野球の話題は、何と言っても北海道日ハムFの若きエース「ダルビッシュ有」君に尽きます。
先日は雑誌でヌード写真を披露した挙句に、熱愛報道が流れた。
そして8回を投げたあとの勝利のインタヴューのお立ち台。20歳の青年の堂々たる対応には度肝を抜かれた。
この日の登板で勝利して、お立ち台で報告したい。その思いで楽天GE戦を投げ抜いての報告だった。

「熱愛報道は本当の事である、女優の○○さんとは結婚を前提にお付き合いをしている。彼女には自分たちの子どもが授かっている。今後ともフアンの皆さんの暖かい支援をお願いしたい」

こんな報告に3万5千人のフアンが歓声をあげて彼を祝福した。
やんちゃなこの若きエースは昨年に引続き10勝を挙げている。
195Cmを越して、多少エキゾチックな風貌を持つ青年は、爽やかな感じで好感を呼ぶ。
高校時代からの逸腕ぶりは大いに期待されたが、北海道日ハムF入りしてからも益々磨きがかかった。
今やプロ野球の日本代表としても強力な戦力と言えそうだ。
今後も驕る事なく、精進して暖かいフアンの声援に応えるべく努力を続けて欲しい。

いずれは松坂投手に続きい、米国のMLBに挑戦する日もあるだろうと思うが、パ・リーグの発展の為にも、今回の様な爽やかな態度で活躍を続ける事を期待したい。

      
ヤフーから
MLB バリー・ボンズ選手の新記録756号ホーマーのボールを奪い合い   

            
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長崎忌

2007-08-09 19:54:39 | ニュース 
先の広島に続き、今日は長崎の原爆忌。
色んな報道や、体験談を読ませて頂く度に人間の業の深さを思います。
長崎への原爆投下では、当日には7万人の犠牲者があった。そして今年が新たに3千人の被災者死亡が数えられたそうだ。
62年経過の間で合計14万3千人余が亡くなられている事になる。恐ろしいの一言だ。
慰霊蔡に5歳の時に被災された方が参列されておられ、先の前の久間防衛大臣の(長崎選出の議員)の「しかたがなかった」発言を糾弾しておられた。静かな口調の中に多くの被災者の方の怒りを感じました。

小生が小学校に入学した年の出来事です。被災者の方もほぼ同年代の方になります。いまだに闘病生活を送られている方に同情の念を禁じえません。

広島、長崎の原爆投下に怒りを表したく6日に引続きアップした次第だ。
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夏の甲子園野球

2007-08-08 13:34:25 | 野球
夏の甲子園、高校野球が今日から開幕した。朝一で久しぶりに開会式を見てしまった。
前橋商業の主将が、普通の話し言葉で淡々と選手宣誓した光景が印象的だった。
昨年優勝の早稲田実業高の主将がひとりで登場して優勝旗を返還した。心中を思いやると思わず涙が出て来た。
出場校全ての全力を出し切った戦い振りを見たいものだ。
プロ野球界の裏金騒動から、特待生制度のあり方の問題等、球児を悩ませた問題もあったが、夫々の地方の厳しい予選を勝ち抜けた選手達にエールを送りたい。

小生が大阪に在勤中だから40年程前になるが、山形の母校が出場した事があった。
暑い夏の日でスタンドに陣取った応援団の中に、やはり在校中に野球部の主将を務めた同級生を見つけた。
結果は一回戦での敗退であったが、カチ割り(ビニール袋の中に氷が砕いてあり、ストローで冷たい水を飲む、今もスタンドで売っているのだろうか?)を片手に必死に応援した事を思い出した。
5人の兄弟姉妹の一番下の妹も丁度その時に同じ高校に在校していて、観戦後の感想を手紙で送った事も思い出した。
母校の出場はこの年が最初で、最後になっている。公立高校が中々勝てなくなった煽りだろう。

カミさんにも夏の甲子園には多くの思い入れがある様だ。近所の方が朝日新聞社に居り、甲子園大会の入場券を良く頂いたらしい。そして中学生や高校生の時に弟さんと甲子園での観戦をよくしたと言ふ。試合終了後の阪神電車がギュウギュウ詰めで、必死で帰宅した事も懐かしい思い出だそうだ。

夏の風物詩甲子園の高校野球大会には、小生にとってもカミさんにとっても若き日の思い出が一杯詰まっている。

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故郷に帰れぬ勝者たち

2007-08-07 11:40:51 | サッカー
アジアカップに優勝したイラクチームに暗雲が漂っている。
見事にサウジアラビアを破り優勝したが、準決勝で韓国を破った後に母国では何と勝利を祝うテロが発生した。50人余の死亡者を出したバグダットの事件は傷ましいものだった。

そして今回の快挙を祝い、3日にイラク政府が祝賀会を開催した。
警戒厳重のアメリカ管理区域グリーンゾーンでのマリキ首相主催の祝賀会に参加したのは15人の選手だけだった。
7人の選手は「テロ」を恐れて帰国経由地のドバイに止まったままだった。「国外チームとの契約で帰国できない」との理由だったが、「バグダットで開かれる祝賀会出席はテロの標的になりかねない」が主な理由だったそうだ。
参加した15人の選手たちもまる1日故郷に滞留しただけで、翌日にはチームの拠点のあるアンマンに早々に出国してしまった。
今回の快挙を選手たちと一緒にお祝いしようと待ち構えていた多くの市民たちが失望している。
主力選手たちには、家族などから帰国せぬように電話で薦められた人もいたらしい。
折角の優勝を国民の皆さんとともにお祝いもできぬ選手達に同情を禁じえない。

イラク戦争後も多くの民族による紛争を続ける、同国の痛ましい現状はこんな事にも陰を落としている。
独裁政治の排除後に起こった民族間の紛争が、一刻も早く終焉し国民が安心して暮らせる国に再生して欲しい。

同時に紛争地区にある国民の皆さんの不安な日々を思うと平和な毎日を送れている幸せな生活に感謝したい。        
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原爆忌

2007-08-06 17:25:12 | ニュース 
あの忌まわしい被爆の日から、広島は62年となる「原爆の日」を迎えた。
被爆してなおこの1年間に死亡した、約5200余名のかたの名簿が原爆死没者慰霊碑に納められた。
死没者は25300余名にのぼった。なお3日後には同じく長崎でも原爆の日を迎える。
先日は某政治家の「原爆投下はしょうがななかつた」発言があり多くの反感を呼んだ。
戦争を終了させる手段として、米国は原爆投下の道を選んだと正当化するが、許される行為ではない。
大方の人が忘れ去りたい記憶だが、先の戦争を体験した私達には永遠に忘れてはならない事だ。

それだけに現在の安倍政権の若き幹部たちが、戦後レジームの脱却を言い立てて、戦前を懐古するような発言を危うく思うのである。
長く貧窮に甘んじて守ってきた憲法の改変を画する動きにはやはり賛成できない。

世界の各地では現在も多くの紛糾を抱えている。
原爆忌を他山の石とせず、世界中が平和で暮らしやすい時代にしていきたいものだ。

朝日俳壇によく登場される 柏倉ただおさんの句が素粒子に。
          「 原爆忌 水動かざる 最上川 」



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横綱朝青龍の品格

2007-08-05 15:15:57 | スポーツ一般
横綱朝青龍の動向が大きな波紋を起している。
名古屋場所のあと腰の疲労骨折があったとして全治6週間の診断書が出された。
当然に8月から始まる夏巡業には参加が出来ない。協会関係者始め多くの地方巡業場所の関係者もがっかりだった。
しかしあろう事か、こっそりモンゴルに帰った横綱は、母国のチャリティサッカーに参加していた。
この報道がTVに放映された事から今回の騒ぎになった。

そして協会はあわてて2場所連続の出場停止と減俸、更には自宅謹慎を申し渡した。
これまでに何度か横綱の品位にかかわる問題を起していた朝青龍だったが、何故か協会関係者と親方の方が腰が引けて、充分に指導してこなかった面が強かった。
しかし某週刊誌による、八百長問題や同郷の力士とのいさかいの問題、さらには稽古場における他の力士へのプロレスまがいの技で対戦するなどが問題視されていた。
そして今回の事態である。ひとり横綱として角界を背負った功績は認めざるを得ないが、まず横綱は人格者であらねばならないのである。
相撲界はその頂点に立つものの心がまへ、振舞いを充分に教育していく義務がある。
往年の名横綱「大鵬」は若い時分からその素養を見込まれ、親方に徹底して英才指導を受けたといふ。
朝青龍にたいする教育に遠慮があったのではないだろうか?

さらに相撲協会は国技として「社団法人」としての公益法人の扱いを受けている。本場所以外の地方巡業場所はその公益法人としての、恩返しの場所だと指摘される。それならば最高位置にある横綱がその地方巡業を忌避してズル休みを図ったのであれば、今回の処分は甘んじて受ける必要がある。
本人は25歳と若い、精神的にも参っていると伝えられる。周りからも充分な指導をして欲しい。

どの世界でも同じだが、スポーツ界のヒーロー達は頂点に立つ者としての品格と教養が具わってこそ真の「ヒーロー」たりえるのではないだろうか。




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ようやく夏休み

2007-08-04 16:38:55 | 勉学
実に忙しかった7月でした。
そして一昨日の文化大学では第3クールの講義が終了して、生涯大学とともに9月までは夏休みです。
しかし生涯大学では11月に学生達による、芸能大会が開催される事に。
そして所属の班員全員で、何と「花笠音頭」を踊る事になりました。
DVDを預けられて、夏休み中にその踊りを覚えなくてはならない仕儀となりました。あああ・・・。

そして今日は朝から「数独」の問題にに挑戦しています。(朝日新聞be欄で)
この「数独」は日本のニコリの社長の発明かと考えていたら、スイス人の数学者「レオンハルト・オイラー」といふ人が考えた「ラテン方陣」が元になって出来たのだそうだ。
そしてこの数独の生みの親の生誕300年を記念して、スイス大使館が「数独チャレンジ2007@Swisu Embassy」を開催した。
大会は一般、シニアと3人組のファミリーの3部門で行なわれて、100倍以上の高倍率の中から選ばれた、57人が実力を競ったらしい。
一般の部の決勝問題が例示してあったが、優勝者は2分7秒で解いたらしい。小生は何とか7分位で解けた。
数独歴18年の達人によると、「解決の糸口になる簡単な場所が必ずあるはず。そこを早く探し出せるかがカギ」とアドバイスする。
シニアの部で優勝の74歳の方は、暇つぶしに3年前から始めたらしい。小生も脳トレをかねて今後とも挑戦を続けたい。
この大会のファミリーの部のポイントゲッターは子どもたちだったそうだ。中学一年生の子は「深く考え込まなくても、どこにどの数字を入れればいいのか、自然に浮かんでくる」らしい。

柔軟な頭の持ち主である必要もあるようだ。理数系の人が断然有利な問題であるのは必然的だろう。

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