政治家のDNA
今回は、安倍総理自身について、記事にしたいと思いましたが、
政治家としての安倍晋三研究には、少なくとも貴方の父上
安倍晋太郎氏が、中曽根総理の後、宮沢喜一氏・竹下昇氏と共に、
総理大臣に立候補されたころに、遡って記述しておかなくては、
ならないと思い、急きょ挿し込むことにしました。
当時の自民党の主流は、宮沢喜一氏を次期総裁に押すことが、
暗黙の了解事項であり、マスコミもそんな方向で纏まっていました。
ところが、アメリカから横槍が入って、「宮沢降ろし」となり、
竹下昇氏が浮上してきました。
そのプロセスが面白いので、書いておきますね。
宮沢喜一氏は、英語が得意と言うより、アメリカ人と全くそん色ないので、
アメリカは、「内緒話も出来ない」
貴方の父上は、「まだ若いので時期以降でよいだろう」と降ろされた。
結極残ったのは、竹下昇氏となった・・・しかしこれにはもう一つ、
アメリカ側は、「アメリカより先に、しかもアメリカを蔑ろにして、
《日中国交正常化》交渉を成し遂げてしまった、にっくき○中角栄氏の派閥から
出て、経世会を作ったことへの、論功行賞の意味もあったとか。
結局、竹下氏は、1987/11/6~1980/6/3まで、総理となるが、
その次が宇野宗佑氏・海部俊樹氏と短命内閣が続きますが、
その間に、貴方の父上は1991/5/5にお亡くなりななられ太半年後、
1991/11/5宮沢内閣となります。
貴方の父上の無念さは、特別支持していたわけではない私でも、
よく解ります。
今の貴方の政策や理念を鑑みるに、このころのプロセスを、
よく存じて居られる上に、創成されていることでしょう。
次回、そのDNAについて、纏めたいと思っております。
今回の記事の内容は、様々な方面から得た情報に基づいてはいますが、
全て証拠資料や裏付けの取れたものではありません。 /strong>