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続拝啓 安倍総理殿

2015年11月23日 | うんちく小ネタ

政治家のDNA


今回は、安倍総理自身について、記事にしたいと思いましたが、

政治家としての安倍晋三研究には、少なくとも貴方の父上

安倍晋太郎氏が、中曽根総理の後、宮沢喜一氏・竹下昇氏と共に、

総理大臣に立候補されたころに、遡って記述しておかなくては、

ならないと思い、急きょ挿し込むことにしました。


当時の自民党の主流は、宮沢喜一氏を次期総裁に押すことが、

暗黙の了解事項であり、マスコミもそんな方向で纏まっていました。

ところが、アメリカから横槍が入って、「宮沢降ろし」となり、

竹下昇氏が浮上してきました。

そのプロセスが面白いので、書いておきますね。


宮沢喜一氏は、英語が得意と言うより、アメリカ人と全くそん色ないので、

アメリカは、「内緒話も出来ない」

貴方の父上は、「まだ若いので時期以降でよいだろう」と降ろされた。

結極残ったのは、竹下昇氏となった・・・しかしこれにはもう一つ、

アメリカ側は、「アメリカより先に、しかもアメリカを蔑ろにして、

《日中国交正常化》交渉を成し遂げてしまった、にっくき○中角栄氏の派閥から

出て、経世会を作ったことへの、論功行賞の意味もあったとか。



結局、竹下氏は、1987/11/6~1980/6/3まで、総理となるが、

その次が宇野宗佑氏・海部俊樹氏と短命内閣が続きますが、

その間に、貴方の父上は1991/5/5にお亡くなりななられ太半年後、

1991/11/5宮沢内閣となります。

貴方の父上の無念さは、特別支持していたわけではない私でも、

よく解ります。

今の貴方の政策や理念を鑑みるに、このころのプロセスを、

よく存じて居られる上に、創成されていることでしょう。

次回、そのDNAについて、纏めたいと思っております。




今回の記事の内容は、様々な方面から得た情報に基づいてはいますが、

全て証拠資料や裏付けの取れたものではありません。
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