こんばんはー!!
今日、またまた新しい本が届き、またも吸い込まれています。
それに、素晴らしいメールマガジンとか、
↑
この方のメルマガ、よかったですよー。オススメ!
オンラインサロンもいつも刺激的ですし、なんかもう頭くるっくるです(笑)
で、そこで今日、めっちゃ目に飛び込んできたキーワードが、
ブレない
ってやつ。なんかそういうことありませんか?同じような言葉があっちからもこっちからも降り注ぐとき。
今日はこの「ブレない」がめっちゃ私に降り注いできました
多分同じ意味で、「情報に惑わされるな」「自分で確かめろ」って言葉も降り注いでいる気がします。
自分の本音と向き合う
それを今こそしなくちゃいけないのかなと。
何か昔は、「だれが何と言おうと関係ないね」というメンタリティの持ち主で、だれも仲間がいなかったとしても、それがどうした?と言えるタイプだったんですが、
どうしたことか、「プロとはこうあるべきだ」「人としてこれが大事」「普通はこうでしょ?」などの言葉に次第に支配されていってます。
それに気がつけば、やりたいことがあっても、それに制限をかけてる自分がいる。
それやるなら、これやるべきじゃん?これやらないなら、それもやっちゃダメでしょ、みたいな。
それに、物凄く情報に対する欲求が!!
最後まで知りたい!みたいな。
情報を得ることに必死で、行動するに至らないとか、よくあるし。
でも本当に「情報を得る」ことそのものが大好きなら、それを楽しんで満足するってのも絶対アリだと思うのに、ちょっと「餓鬼」のような感覚があります。
貪ってるというか、情報を食っても食っても、まだまだ足りない!!みたいな。
ってことは、これは何かの焦りからくる「情報欲」なのであって、本当にその情報に満足してるんじゃない。
あー、運転してても思うことあるなー。
この景色をゆっくり味わいたいなら、そこに車を止めたらいいだけなのに、走り出したら、止められない。(あちこち止まるときもあるんだけど、なぜかせいしんてきにできないこともある)
今は毎日ウチにいるでしょ?
そういう生活でも、なんとなく本当はやりたいことがあるんだけど、いろんなことをやろうとしすぎて、とっ散らかる。
旦那はそういうところは、マイペースでウチのこともやるし、自分のやりたいこともやる。
私はそういう切り替えが今ひとつで、なんか積極的にウチのことをやってるわけじゃなく、なにかしらやらないとダメだって気持ちであっちへソワソワ、こっちへソワソワ、、、そうするとそれまでやってた作業はなんだったっけ?ってなって、進まない。
集中できない。
今は旦那はちゃんと12時には寝ましたけど、同じ部屋で私は起きてたんで、寝られなくてかわいそうになってきたので、台所へやってきました。
うん。。。なんとなく落ち着くな(笑)
ここで、ふと「本音」に向き合ってみようと思う。
うーん、そうねー。やっぱり私の1番幸せ感じる時って、
自分の演奏で「カタルシス」状態になってもらえることかなー。
演奏に感動してもらう、とかってのとはほんのちょい違ってて、泣くとかスッキリするとか何か、そういう悪いモノが出て元気になってもらう的な。
指導もそうかなー。自分ってダメだな…とかって思って鬱屈してたりする人に、何だ!できるじゃん!とかって思って、心身が軽くなってくれたらいいなー的な。
そう思うと、「世界一を目指してます」って人を育てたい、とかじゃないらしい。
そういう人を育てる力は私には無いし、やりたいなって気持ちも起きない、、、ってところを見ると、本音はどうやら、
カタルシス
を起こしたいってことなんだな、きっと。
そう思うと、なんか急に腑に落ちる。
自分自身も世界一のトランペット奏者になりたいとか、何でも(どんな仕事でも)吹けるようになりたいとか、オケマンになりたいとか、そういう気持ちを持つ「べき」だと思って、やってきたけど、それはあくまでも「べき」ってヤツで「なりたい」ではなかったな。。。
そう思うと、ある時からずーっと自分の本音を無視してきたってことか。
ある時から、ってのは、ある時までは別に私は私のやりたいことをやりますよ、っていう固い決意があったんだよね。
でも、どこかでその決意がブレて、もっと一般的なスゴイ人であるべきだと思っちゃったんだよな、きっと。
その辺から、生き心地が悪くなってるって気がする。
もう、どうせ(そんな悪い意味じゃないよ)いろんな仕事がくるわけじゃない。
結局、私の得意な仕事しか来ないんだから、それならマルチになろうとあれこれ手を出したところで、虻蜂取らず。
だったら、もう本当に得意なところだけをピッカピカに磨いて、それだけは任せろ!となっておく方がいい気がする。
指導に関しても、なんか計画的に着々と育てられなきゃいけない、、、と抱え込みすぎて、昔はあんなに生きがいだった指導が、本当にちょっとやんなっちゃってる部分があった。
もちろん、たまにお互いの周波数がちょうどいい相手(や集団)もいて、その時にはとてもいいレッスンができるのだけど、
着々と、変な例えだけど、東進ハイスクールとか家庭教師のトライとか、公文式とか、そんな風に何段階とかそういう計画がどうしても思いつかない。
そんなの、人によるんじゃね?とか思っちゃうし、困ってることには相談のれるけど、あとはこう吹きたいなーってのを練習するだけじゃね?みたいな。
いやいや、ちゃんとノウハウあるでしょ?って、きっと世の中の指導者は思っているだろう、、、
と思って、それが強迫観念になってるんだよね。
実際、きっと普通はなにかしらのシラバスというのか、カリキュウラムを持つべきなんだろうな、、、と思うし、普通はお持ちに違いない。
でも、どうしてもそんな一般的なモノがあるとは、私にはわからないんだよねー。
こうしてこうすればこうなる、みたいなの、、、そんなの、あるのかなぁ?
これやって、できた!じゃあ、次はこれをやってみるといいかな?
って、そういう風にはアドヴァイスはできるよ。でもそれは、その場その場、その人によって、、、だな。
もっと言えば、その年間計画とかそういうものが私には立てられない、どうやらそういう能力がない、ということに大学時代に気がついたので、それで教員になってはいけないな、と思ったってわけで。
だから、部活の外部指導者とかになって、大筋は学校の先生に決めてもらい、そのほかの音楽や技術のサポートをして、子供たちに「そうか!!」「これでいいんだ!!」「そういうことか!!」みたいな楽しみを知って欲しいな、ってことが私のやりたいことだったんだよね。
まあだから、吹奏楽コンクールで「全国大会で金賞獲りたい」なんて学校は私には絶対指導を頼まない(笑)
そう言う指導に向いてない。
で、指導するなら、そういう指導にも「向くべき」だって思っちゃったりさ、
結局自分で望んんでないモノをやろうとしてるから、とっ散らかってるんだね。
これがさ、もしも目的が「お金を稼ぎたい」なら、話は違うわけさ。
お金を稼ぎたいなら、いろんな指導ができた方がいいよね。演奏もこれしかできないっていうよりは、何でもできますよ!の方が仕事の分母が増える。
ここで「お金を稼ぎたい」ってのは悪い意味で言ってない。むしろプロって、「音楽でお金儲けをする」ってのが仕事な訳だから、それが当然。
でも、それだけじゃなくてもいいんじゃない?ってこと。
違うプロがいても、本当は良い。
隙間産業ってのがあるからね!
ニッチってやつ?
ま、実際私なんぞは隙間産業以外の何者でもないんですから(笑)
だったら、その隙間を極める方がいいんだな。
そこがブレてたんだな。。。そして本音じゃないところを「そうあるべき」と頑張ってみても、ろくなことはない、ってことがようやく分かったってことか、、、。
どっちにしろ、「思い通りにトランペットを吹く」スキルは要る。それは手に入れたい!
そこで、なにを「思う」か。
ここを、自分の本音に合ったモノに特化して、深掘りしようと思う。
目的は「カタルシス」。
なんかハッキリしたら、スッキリした。
心の断捨離か?!
明日から、取り掛かろう!!
自分がカタルシス起きる音楽をかき集めることと、それを思い通りに吹けるフィジカルを手に入れる!
それ!!
それでは、みなさんまた明日ー!!
この記事に非常に共感しました♬
すっきり感!!
私も「べき」に捉われて、本当の自分とのギャップに疲弊してしまう時があります。そして、その度に振り返る時間を設けます。
多分ですが、最初は音楽の道を志す時ってみんなそうなのだけれど、いろんな情報や他人と比べられたりすること、いろんなものが纏わりついてきて、初心を忘れてしまうのかも。これはきっとどんな職業でもそうですよネ。
お金はもちろんほしいですけれど、それが目的になると私の場合結果的に充実せず、幸せを感じないとわかっているので、もうそれでいいや!って思っています(*´ω`)
わー、久しぶりー!!元気にしてたー?!
コメント、ありがとー。めっちゃ嬉しいです。
そだよねー、そうそう!お金は欲しいけど、それは「結果」であって、「目的」じゃない派、みたいな!!
一応、仕事だからお金は頂かないと死んじゃうけど、お金が欲しいからやってるんじゃない系。
そう思うと、「本音」で向かっていけるきがする!!ねー!!