こんばんはー!
あー、心がざわざわしているフジイです。
なんか頑張っていろんな作業やって、恨まれるみたいな😫
何かが間違ってるんだろうな、とは思う。その反面、やってるのにやってない人に恨まれるって、なんかおかしいなって風にも思う。自分もできるだけやって、そのうえで意見が対立するなら全然ありだけど、やってない方から言ってきてちょっと反論したら、めっちゃ無視されるってなかなか、、、
と思うが、でもそういうことを考えることが小さい小さい、、、😢
小さい小さいと思っても、なかなか心って論理的にはわかっていても、その通りにはぜーんぜんできない。頭で考えた通りに感情もコントロールできたら、、、
それできたら、めっちゃ無敵😆
いやー、きっとできる人いっぱいいるんだろーな。
あ!!武道とかで心も体もコントロールすることを鍛えられるって言ってたなぁ、、、武道を学ばねばなのかぁー。
とにかくいい勉強だと思っている。問題が起きたときは、得になるまでやればいいんだ、だから問題が起きたときはレベルアップできるんだから、喜べって、斎藤一人さんの言葉にあったな。。。
得になるまで、、、うっひょー。
そんな今日この頃ですけど、
今日のタイトルは、
この本に書いてあった言葉。
これ、訳本だから、どんな言葉が「投資」って訳されてるのかがわからないけど、
この「投資のないところにだけ、疑いようのない真理が見えてくる」ってどういう意味かって言うと、
例えば、子どもを見るとき、早く成長してほしいとか、怪我したらどうしようとか、何かしやしないかとか、20年先どうなってるのかとか、何かしらそういう期待っていうのか、そういうものをかけてしまう。
そうすると子供は敏感だから、本来の姿では居られない。
そういう期待をかけず、子供の本来の姿をそのまま受け止めてあげることができたら、その子は素のままの自分を見てくれている人の前では落ち着いて本来の状態にいられる。
そういうモノだ、という話。
何か物事に反応するとき、開いた拡大したレスポンスができていればいいのだけれど、これがサバイバルの収縮したレスポンスになると、真理にたどり着けない。。。
ぬぉー。。。
この「子供と親」に例えたお話、、、すっごくわかる気がして、、、
この子どもと親の両方を自分の中にも見出すことが出来て。
素のままの自分。
それを受け止めて、なにも投資しない状況で見ていられるなら、もっと魂は落ち着いていられる、、、
それなー。。。。そこなー。。。
最近気が付いたのは、自分の存在価値をトランペットに押し付けてたなってこと。
楽器がうまく吹ければ、すべてうまくいくのに。
上手く吹けないから、自分はダメだ。
上手く吹けてるから、すごいだろうーっ!
どれも、トランペットが愛されてない。自分自身も愛されてない。価値を認めてない。
そりゃー、トランペットも重かっただろうな。
トランペットは自分ではないのだ。
だから、まずは自分の存在価値を単独でヨシとして、そんな自分が楽器もやってみっか!っと、やる。そこに投資(きっと期待とか、まだどうなるか分からないものに賭けるみたいな感じだろう)しない。
そして、自分に対してもそうだけど、生徒に対してもこれは同じだなって思う。
子どもに投資しない。
あーーーーー、でもさーーーーー、これ、レッスンとかだと難しいよぉーーーー。
一回のレッスンが短いと、いいよねー。
1時間とかあったらさー、何かしら成果上げさせたくなるし、子どもも何かしら先に進みたくなるでしょー???
これが20分くらいなら、まだ楽しいところで、続きは家でー(^▽^)/って行けるじゃん?
で、だーんだんだーんだん、長くしていく。
ガチの初めて吹く音出るか出ないかの子の1時間って、大変だよー。
あ、それなら別に勝手に短くすればいいのか!!(笑)
すると、、、問題は学校でのレッスンだな。。。完全に1時間とか90分とか決まってるもんね。。。うっひゃー。
ま、ホントのちょー初心者時代なんて、ほんの数回だ(笑)
気にすんなw
というわけで、今日も楽しゅうございましたー。
毎回とっ散らかってますが、いつもありがとうー😉
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