昔疑問に思っていて、
その疑問をいつのまにか忘れてしまい、
ある日突然その回答と出会う時ってあります。
亡くなった司馬遼太郎は、オイラの好きな文人だが、
とにかく古書や資料を調べ尽くして
本を書くので、書かれている内容が、
知識として取ることが多い。
次の一文は、オイラがかって疑問に
思っていたことを、解決した回答文でした。
<街道をゆくより>
中国文明の特色の一つは、言語の文章表現が殷代という
早い時期にはじまり、紙以前の木簡・竹簡時代において
完成しきったことである。
木簡・竹簡時代は、うかつに冗漫に書けば、荷車にでも積んで
牛に曳かせねばならなくなってしまう。漢文が極端に簡潔であるのは、
一つは木簡・竹簡時代に文章語として完成してしまったからに相違なく、
さらには、紙の時代になってもこの基本的性格はかわることがなかった。
の一文です。(スゴイ!)
まったく、納得しました。
(竹簡の写真)
例えば漢詩で
「緑樹陰濃夏日長」
というのがあり、
意味は、
(緑樹の陰[かげ]濃[こまや]かにして夏日長し)
であり、夏の日の情景を詩ってるが、
こんなの中国人は7語で理解するから驚きだ。
俳句よりもっともっと短文
この短文過ぎる謎が解けた瞬間でした。
よって、日本語の文章が長いのは、
紙の時代に文章表現が完成されたからで、
いくらでも書くことができる物(スペース)
があったからに他ならない。
そう考えるとすごいでしょ。
【ヒゲ親父】
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その疑問をいつのまにか忘れてしまい、
ある日突然その回答と出会う時ってあります。
亡くなった司馬遼太郎は、オイラの好きな文人だが、
とにかく古書や資料を調べ尽くして
本を書くので、書かれている内容が、
知識として取ることが多い。
次の一文は、オイラがかって疑問に
思っていたことを、解決した回答文でした。
<街道をゆくより>
中国文明の特色の一つは、言語の文章表現が殷代という
早い時期にはじまり、紙以前の木簡・竹簡時代において
完成しきったことである。
木簡・竹簡時代は、うかつに冗漫に書けば、荷車にでも積んで
牛に曳かせねばならなくなってしまう。漢文が極端に簡潔であるのは、
一つは木簡・竹簡時代に文章語として完成してしまったからに相違なく、
さらには、紙の時代になってもこの基本的性格はかわることがなかった。
の一文です。(スゴイ!)
まったく、納得しました。
(竹簡の写真)
例えば漢詩で
「緑樹陰濃夏日長」
というのがあり、
意味は、
(緑樹の陰[かげ]濃[こまや]かにして夏日長し)
であり、夏の日の情景を詩ってるが、
こんなの中国人は7語で理解するから驚きだ。
俳句よりもっともっと短文
この短文過ぎる謎が解けた瞬間でした。
よって、日本語の文章が長いのは、
紙の時代に文章表現が完成されたからで、
いくらでも書くことができる物(スペース)
があったからに他ならない。
そう考えるとすごいでしょ。
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