信じられないかもしれないが、
江戸末期から明治初期における
石川県の金沢の人口は、日本で4番目であった。
(東京、大阪、京都の次、名古屋より上)
もっと驚くべきは、
明治12年頃、石川県人口は
184万人で日本1位だった。
(富山と福井と岐阜の一部が石川県という巨大県)
それが今では、
どんどん追い抜かれ、
政令指定都市にもなれなかった都市である。
太平洋ベルト地帯を中心に飛躍的に発展した時代の流れには
逆らえませんでした。
だが、考えてみれば北陸とは恵まれた土地である。
関東圏、関西圏、中京圏とほぼ同距離にあり、
大地震による被害の代替地でもあり、
新幹線もできたことだし、
雪だって昔ほど降らないし
(特に金沢は降らなくなった)
これからのますますの発展を期待したいところである。
【ヒゲ親父】
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江戸末期から明治初期における
石川県の金沢の人口は、日本で4番目であった。
(東京、大阪、京都の次、名古屋より上)
もっと驚くべきは、
明治12年頃、石川県人口は
184万人で日本1位だった。
(富山と福井と岐阜の一部が石川県という巨大県)
それが今では、
どんどん追い抜かれ、
政令指定都市にもなれなかった都市である。
太平洋ベルト地帯を中心に飛躍的に発展した時代の流れには
逆らえませんでした。
だが、考えてみれば北陸とは恵まれた土地である。
関東圏、関西圏、中京圏とほぼ同距離にあり、
大地震による被害の代替地でもあり、
新幹線もできたことだし、
雪だって昔ほど降らないし
(特に金沢は降らなくなった)
これからのますますの発展を期待したいところである。
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