オイラの尊敬する故・司馬遼太郎は金沢(石川県)のことは書かなかった。
同じ北陸でも、
富山のことは、街道をゆく「郡上・白川街道と越中諸道」で書いてるし、
福井のことは街道をゆく「越前の諸道」を書いている。
しかし司馬遼太郎は街道をゆくで石川県には訪れていない。
ふふっでも司馬先生らしいよ・・・。
加賀百万石とか、
金箔、海の幸とか、
金沢が放つ、そういう華やかさの押し付けがましさが司馬先生にとって苦手だったんだろうと思う。
ただオイラが意外だったのは
能登については興味を示してくれてもよかったんじゃないかということ、
残念だなぁ。
特に滋賀県の湖西地方(琵琶湖の西)が気に入っていた司馬遼太郎、
昔からの自然と風景と街並みが残っているからで、
能登もまさにその雰囲気があると思うのだがなぁ。
それでも司馬遼太郎は講演会で金沢についてこう興味深いことも語っている。
「金沢市のまちづくりは簡単だ。どなたが市長になっても同じことをすればいい。伝統と文化を守ること。そんな都市は金沢くらい」
「金沢などは、まるまる旧藩の遺産で食べているようなところがあります。美術工芸が盛んですから、昔から美術大学がありますね。輪島塗など漆器、陶器その他の物産も多い。多くは金沢藩の遺産です。加賀前田藩はなにしろ百万石です。」
「馬鹿を装ったのですが、本当に賢い人で、決して反乱をしないという証をたてた。それは美術工芸です。大名としてはまことに文化的な人ですね。まちづくりまでも利常の視野には入っていました。」
「その後に金沢市がまちづくりをするとき、私は楽だったと思いますね。前田さんを踏襲すればいいのですから。ほかではそうはいきません。」
「仙台の将来像を考えると、非常に困ります。金沢は楽ですな」
さすが司馬遼太郎である。
一つの町についてこれほど奥深い知識があるのだから。
これからも司馬作品を読んでいこうと思う。
【ヒゲ親父】
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富山のことは、街道をゆく「郡上・白川街道と越中諸道」で書いてるし、
福井のことは街道をゆく「越前の諸道」を書いている。
しかし司馬遼太郎は街道をゆくで石川県には訪れていない。
ふふっでも司馬先生らしいよ・・・。
加賀百万石とか、
金箔、海の幸とか、
金沢が放つ、そういう華やかさの押し付けがましさが司馬先生にとって苦手だったんだろうと思う。
ただオイラが意外だったのは
能登については興味を示してくれてもよかったんじゃないかということ、
残念だなぁ。
特に滋賀県の湖西地方(琵琶湖の西)が気に入っていた司馬遼太郎、
昔からの自然と風景と街並みが残っているからで、
能登もまさにその雰囲気があると思うのだがなぁ。
それでも司馬遼太郎は講演会で金沢についてこう興味深いことも語っている。
「金沢市のまちづくりは簡単だ。どなたが市長になっても同じことをすればいい。伝統と文化を守ること。そんな都市は金沢くらい」
「金沢などは、まるまる旧藩の遺産で食べているようなところがあります。美術工芸が盛んですから、昔から美術大学がありますね。輪島塗など漆器、陶器その他の物産も多い。多くは金沢藩の遺産です。加賀前田藩はなにしろ百万石です。」
「馬鹿を装ったのですが、本当に賢い人で、決して反乱をしないという証をたてた。それは美術工芸です。大名としてはまことに文化的な人ですね。まちづくりまでも利常の視野には入っていました。」
「その後に金沢市がまちづくりをするとき、私は楽だったと思いますね。前田さんを踏襲すればいいのですから。ほかではそうはいきません。」
「仙台の将来像を考えると、非常に困ります。金沢は楽ですな」
さすが司馬遼太郎である。
一つの町についてこれほど奥深い知識があるのだから。
これからも司馬作品を読んでいこうと思う。
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