てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

ブラオイラ#280(街道をゆく(22)越前国境編)

2018年07月16日 17時17分33秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
石川県内の旧北国街道をゆく!

旧北国街道は、
その昔源平の頃では木曽義仲が京都に向けて進撃し、


江戸時代では、
参勤交代で加賀の大名行列が金沢江戸を往復し、
--

奥の細道では松尾芭蕉が南下して通った道である。
-----

旧北国街道はどのルートだったのか?
当時の物はどれだけ残っているのか?
そんなブログの記事を残したいと思っていた。

そしてオイラには強い味方がある。
まつお出版「北陸街道紀行」だ。

通称、味方の本さ


こうやってはじまったこのシリーズ。

いよいよ今回がです。
じゃじゃじゃ~ん!!!



さて今回はここから、



今日は、朝早くに来ました。

そして味方の本
щ(゚ー゚щ)ラストカモーン!

赤矢印からのスタートです

では行こう。





この時間帯だと、まだ涼しくて気持ちいいです。


と思いきや、早くも強い日差しが


えっ道ないんですけど・・・、


もしかして、ここ行くんかい・・・

こりゃ最後にして、最大の難関ルートになる予感がするぜ

でもオイラは行くぞ!
今までだってかなり無理してきたんだ!
最後はきっちりと踏破するんだ


倒木が道を塞ごうとも、


土砂崩れが行く手を阻もうとも、


変な虫が顔にまとわりついたって、


オイラは!旧街道を前進するのみ



おっ!フェンスにアスファルト発見!


案内の木も立っていた。


北陸自動車道に出ました。


あの橋を渡ります。


これがあって助かった。


現代の北陸自動車道の上に、旧北国街道が渡るとは、新旧の公道ここに交わるですね。


味方の本にもあったけど、
越前まで、おおむねこんな丘陵地帯を通って行くことになる。

高速道路はその丘陵地帯をザックリと削りとって分断しています。

反対側の丘陵地帯に渡り入って行く。





右側になんかある。


1773年宝暦十二年三月末 加賀千代女吉崎参詣往還

そうか松任千代女もここを通ったんだ。
「かさとりの山や笑ひのもどかしき」




道が合流します。


歩きやすい道はうれしいねぇ


うむ。


ここに入っていくのか、


村だ。


三木という集落です。


大通りを


旧街道は横切るのだ。


うーむ


草が生い茂っている。


やっとアスファルト道路


なんかあるよ。


案内石標だ。

ふむふむ

これまでもいろんな街道を紹介する案内標を見てきたね。
各町によっていろいろ種類はあったね・・・。

しばらく北陸自動車道沿いに旧街道が進む。


また案内石標だ。


それによると、

この橘には宿場駅で使う駅馬が17頭飼育されていたんだって。
ちなみに大聖寺は11頭、動橋は14頭、月津は22頭置かれていたと。

橘の集落に入る。


ここが県境の町になるから、


当時も加賀国最後の村だ。

越前側からすると加賀国最初の村となる。

こういう街道沿いで国境のお宅って、忍だったりする可能性もあるんでは

藩の密命により、家前を通る者を監視してたりさ・・・。

さて旧街道はというと、また丘陵地帯に入っていく。


神社か、


いろいろ想像するんだけど、

街道沿いの加賀国最初の神社なら昔は相当多くの人が立ち寄ったはず。
道中の安全祈願、加賀国に入った感謝
今では誰も立ち寄らない神社か・・・(しんみり)

林道は涼しくていいね。


お地蔵さん。


むむ


水汲坂。

昔は水は貴重でしたからね。ここで水が汲めたんだろうね。

そして、


味方の本にもあるが、


橘の宿址


ここに宿場や茶屋があったとある。

こんな所に宿場とは、

そしてここで道が二手に別れるが、


右は吉崎(蓮如道)で 左は細呂木(旧北国街道)

当然、旧北国街道へ向かう。




またまたこんな感じに


ん!


あっ!ゴルフ場だ!


フェアウェイが眩しいね。

でもオイラはゴルフ興味ありません。

旧街道はゴルフクラブハウスに向う道路につながって、


しばらくはこの道を行きます。


はい

片山津ゴルフ倶楽部。


なんと!


これか!


クラブハウスには入らず、まっすぐ進みます。


ここもまっすぐ


なんと広大な畑!

梨園です。

ほら


さていよいよ・・・・


味方の本の加賀国編も、

さらに中世以来、宿駅が置かれていた橘の茶屋跡、かつて一向一揆の一大拠点であった吉崎御坊へ至る道との分岐点を過ぎ、
ゴルフ場と果汁園の間の細い道をしばらく進み、国境の一里塚の碑を過ぎると越前(福井県)との国境に着く。

味方の本ありがとう、大いに役に立ちました。

番所があった場所。








!!!


ついに到着。


加賀国と越前国の国境のしるし。

お国境名号搭である。

です。


こちらが加賀国で向こうが越前国です。


今日はこれだけ進みました。




我ながらようやったわ。

いろいろ思い出すぜ。


旧北国街道・・・・。
多くの事を知ることができた。
またいろいろ発見して大変勉強になりました。


よっしゃー!
石川県の旧北国街道を踏破したぞ~!!!





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やっぱ回転寿司はスシローだね

2018年07月16日 11時17分09秒 | 【ヒゲ親父】評論的な・・・
昨晩は、久しぶりに家族4人で回転寿司に行きました。
  


回転寿司といえば、やっぱオイラはスシローがいいな。


だって旨いんだもん。


特に息子が食いまくって
家族4人で万越えだよ・・・

でも旨かった
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ブラオイラ#279(街道をゆく(21)加賀大聖寺編)

2018年07月15日 20時19分11秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
旧北国街道「街道をゆく」も最後の町、大聖寺に入ります。


さて今回はここから、



まずは味方の本
щ(゚ー゚щ)カマン!

赤矢印からのスタートです

大聖寺川。


ギラギラ

今日は暑いぞ~
こんな日のブラオイラは危険だぞ~
熱中症で倒れるかもだぞ~


それでもオイラは行く!(キッパリ

ほんじゃ行くかい!


水分補給はこまめにしてと、


ここは右折します。


弓?


大聖寺にはこういう案内板が各所に立っていました。


大聖寺は加賀支藩の大聖寺藩の城下町。
武士も多く、弓町のような武士に由来する町名もあるのだ。

右手の道に進みます。


旧街道沿いによくある特徴的は建物も残っています。


荒町。


立派なお寺の願成寺。


その前を通り、右折。





しばらく行って左折して、


このあたりは金沢でもあった鍵形で街道が進みます。

城下町の特徴ですね。


曲がり角に出てきたのは、このあたり本町のシンボル的存在、
時鐘堂です。

時鐘は人々に時刻を知らせると共に、木戸や町会所の開閉の時刻を知らせるものであった。
ご~ん!

旧街道はこの時鐘堂を左折するのですが、
ここでしばらく街道より外れて行ってみたい場所があります。

大聖寺といえば、

流し舟ですよね。
その船乗り場へ行ってみよう。


あった、あった。

今日はお客さんはいないようです。
暑すぎるわな・・・

そしてもう1か所、

これ

長流亭です。

江沼神社から入ります。


前に来たね。

(まぼろしのブラオイラ1回目なんちって

懐かしい・・・


はい長流亭です。


大聖寺藩三代藩主前田利直の休息所として、1709(宝永6)年に、藩邸の庭園の一隅に大聖寺川を臨むように建築された亭舎です。
当初は「川端御亭」と呼ばれていましたが、後に利直の雅名からとって「長流亭」と称されました。
1950(昭和25)年文化財保護法の施行により重要文化財に改称されました。

対岸より

特徴的な造りです。

さて寄り道から時鐘堂に戻りまして、街道を進みます。


直線的な街並み。


大通りを、


右折します。


関町と、

こういう地名が出てくるということは、

そうですね、関所があったということです。


出ました。


ふむふむ


関所(木戸)の模造、いいね


石碑「大聖寺藩関所由来記」によると、
大聖寺関は前田氏が加賀藩を治める以前から置かれていたものであるが、寛永十六年に大聖寺藩が創建すると同時に藩が管理するところとなった。
その支配権は加賀藩が持ち、越中の境関と相対し、加賀藩二大関門として重要な役割を担った。
平素は大聖寺藩の経卒を関番として配置したが有事に際しては金沢より士卒を派遣することとしていた。
なお有事とは、藩侯が死去した時、或いは金沢城が炎上した時や金沢城下に大火があった時などを指す。
関所は主に越前方面より大聖寺城下に入ろうとする行旅の人及び携行の荷物を検閲した。
門扉の開閉は、日の出と共に開き、日没と共に閉じるを慣例とし、夜間は絶対的に通行を禁止した。
関番はその数約十数人、非番と当番に分かれ、昼夜を問わず詰めていた。
幕末には加賀から越前方面に抜けようとして、清水次郎長一行もこの関を通ったが、銃器を所持していたことで、咎められたという。

へぇ~清水次郎長一行も通ったのか

さすが大聖寺だ、
いろいろ歴史的構築物があったんですねぇ。


関所を通過した旧街道は町はずれに延び、

いよいよ加賀の国の終わりが近づいてくるのだ。


このあたりで


味方の本によると、山道になるらしい。


ええと、

さらに進み県道141号を外れなだららかな丘陵を登る。この先、越前まではおおむね丘陵地帯で細い道が多いが、幾つかの石碑も見られ当時の風情を楽しむことができる。

きたー





そろそろこれがあるはず、


あった


大坂一里塚。

明治の頃までこのあたりに名物の団子屋が三軒あったという。

さて行こうかい!


旧街道らしくて、オイラはこういう雰囲気が好きです


と思いきや、頂上は大きく開けていて


材木会社の正面入口を横切る、


さらに構内?を進むようで


材木を横目に


会社の敷地を抜けると・・・

おぉ!


越前国はもうすぐだ・・・・。


今日はここまで、


これだけ進みました。


次回はいよいよ最終回、
越前国境編です。

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ブラオイラ#278(一里野イルミネーション編)

2018年07月14日 23時00分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
三連休初日は、
庭の草刈りでヘトヘトになりました


夕方になってから、
カミさんと娘とで一里野のイルミネーションを見に行くことにしました。

途中、手取川に架かる黄門橋から見下ろす手取峡谷です。


もう18時だけど、まだ陽が高いので時間調整のためあちこち寄りました。

ここは綿ケ滝いこいの森です。

まずは展望台へ

 
あれか!


滝、遠~い!


ということで、滝へ向います。


はい、ど~ん!

どどどどどど!
大迫力!ちっ近すぎる!

さっきの展望台が遠くに見える。



さて向かいましょう。


瀬女の道の駅。


あらあら

もういくぞ~



あっ!
サル発見!



しばらくいくと、尾添集落です。


この地のことについては、
能登のある地域との係わりについて後日記事を投稿するつもりである。





そして、一里野スキー場に着きました。


まだ明るいね。

あそこでしばらく待機しよう。


七夕に願いを込めて


いい感じ。


白山は開山1300年。


さて腹ごしらえだ。


このイベントは9月末までやってます。



よし、外が暗くなったぞ。


おぉ!


近くにいってみよう。


光の筋の間を歩く。


上から見下ろすとこんな感じ。


まるでイルミネーション畑の中にいるみたい。


光の色が変わった。


きれいです。


皆さんもいかが。

特に恋人同士なら是非の場所ですぞ。

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オイラはこっちの方が・・・

2018年07月13日 20時49分22秒 | 【ヒゲ親父】評論的な・・・
この時期になるとうれしい贈り物が。

そうお中元です。

夏の贈り物でうれしいのは、やっぱりビールですよね。

が・・・、

このビール
ちと高級なんでしょうが、
オイラはやっぱりこっちなんですねぇ~。


我ながら困ったもんだ。

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コンビニのバカ本もたまにはいいかも

2018年07月13日 20時10分31秒 | 【ヒゲ親父】思考日記
コンビニに売っている本には、
馬鹿馬鹿しいものがある。

さすがに普通は買わないけど、三連休も始まることから
思わず買っちゃった。


まったく馬鹿馬鹿しくて面白い


風呂読書にピッタリだね。


皆さんも


いかがですか?


たまには、馬鹿馬鹿しいものに接するのも
楽しいと思いますよ。
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これは読まなきゃだよね、とりあえ~ず。

2018年07月12日 20時07分08秒 | 【ヒゲ親父】地元のこと
久しぶりに書店に行くと、
目に入ったのがこれ!


上田秀人著
「百万石の留守居役」

なんと10巻まであるではないか


開いてみると、

ワクワクもんである。

さぁ、さっそく風呂読書で読んでみよう。

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娘も自動車学校へ

2018年07月11日 20時48分26秒 | 【ヒゲ親父】娘のこと
大学一年生の娘はいま自動車学校に通っている。

わが娘が自動車運転とは、
年数が経っているとしみじみ思うよ。

さていつ乗せてくれるか、
少し楽しみでもある。

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加藤剛死す。

2018年07月09日 21時53分14秒 | 【ヒゲ親父】思考日記
俳優の加藤剛さんが6月18日午前10時11分、胆囊(たんのう)がんで死去したことが9日わかった。
80歳だった。

ど~ん!

若い時の加藤剛さん。(拝借

大きなニュースがあるなか、なぜ敢えてこのタイトルかというと・・・、


オイラの遠い親戚だからです。

それは遠い遠い・・・・親戚。


だから、話したことも会ったこともありません。

父親の兄の・・・・と加藤さんにつながるルートも正確にはわかりません。


ずいぶん前にお袋が言ってた話だから。


オイラにとっては、
一番近い芸能人だったんだよね。

ご冥福を祈ります。
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ブラオイラ#277(野田山墓地散策編)

2018年07月08日 17時10分01秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
西日本豪雨の被害、多くの犠牲者が出てしまいました。
ご遺族の皆様に謹んでお悔やみ申し上げます。 また被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

・・・・・・。

さて来週は新盆になりますね。
全国的にみると8月に行われる旧盆が主流ですが、7月15日を中心として行われる新盆が主流の地域もあります。

新盆前の野田山墓地でも散策してみよう。

今日の昼には、すっかり晴れました。

長坂用水がキラキラ光ってました。


野田山墓地は、


ここが正門にあたるんだろうね。


野田口と書いてあります。




6番観音。

ふうん


お墓だけでなくいろいろあるんだなぁ


おや、なんだ?


なるほど、こういう現実があるわけだ。

期日までに申し出がない場合は、無縁仏として改葬されます。




ふむふむ


聞いたことのある名のお墓もあるようです。

奥村宗家墓所。

前田土佐守家


鈴木大拙さんのもあった。


そしていよいよ


加賀藩主前田家墓所にあがります。


これが


意外と


大変で


ようやく


到着。


このあたりに加賀藩主前田家墓地がかたまっています。


このあたりが初期の方々が眠られていて、


二代利長公。


お松様。


そして藩祖利家公です。


利家が眠る墓地は金沢城方向に向けて立っている、ずっと見守っているのかな。

合掌。

近くに駐車場があり、ここまで車で登って来れる。


景色がいい。


さて、また暑くなりそうだぞ。
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今週は高校生からパワーをもらった

2018年07月07日 22時42分50秒 | 【ヒゲ親父】出来事
7月に入ると、高校へ求人票を提出できます。

今週に入り、県内の高校へ周りました。

能登から

(能登空港にて)

加賀まで

(尼御前SAにて)

高校10校周りました。

そして7日土曜日は高校生企業ガイダンスということで
産業展示館にて会社説明会。


高校生パワー恐るべし。
元気なパワーをもらえた一週間でした。

君たちの若い力が必要なんです。
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雨の日の高校周り

2018年07月05日 20時01分07秒 | 【ヒゲ親父】出来事
今日は雨の一日でしたね。

高卒求人票提出で高校周りも大変でした。

でも、校内で若い方から元気な声で挨拶されると
気持ちいいもんですね。

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祭りは終わった・・・

2018年07月03日 19時57分16秒 | 【ヒゲ親父】思考日記

(拝借
日本のロシアW杯は今朝終わった・・・・。

まさかの逆転負け、

オイラもまさかこんな負け方をするとは想像もしなかった。
いや2点も先行するとは思わなかったのだ。

負けるのなら最初から圧倒的な差を見せつけられて負けると思っていた・・・。


(拝借

でも・・・、

この負け方は酷(こく)すぎるぜ。

試合が終わった瞬間、しばらく放心状態だった。

日本のロシアW杯は終わった。

4年後か・・・、

4年は長すぎる・・・、

今日は会社に行きたくなかったなぁ。

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まもなく日本VSベルギー戦

2018年07月03日 02時15分03秒 | 【ヒゲ親父】評論的な・・・
先ほど起きた。
昨晩は9時に就寝

もちろん3時からの日本ベルギーを見るためだ。

頑張れニッポン!

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ブラオイラ#276(街道をゆく⑳加賀動橋編)

2018年07月01日 20時26分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
旧北国街道「街道をゆく」もいよいよ最終盤に入りました、あと2回くらいですかね。

実は当初⑳までの予定でした。
なぜならば①とか②の記号が⑳までしか表示できないから。

う~ん〇枠の21以降がない、困ったのぉ・・・
まっいっか。


さて今回はここから、



まずは味方の本
щ(゚ー゚щ)カモーン!

赤矢印からスタートです

動橋川。


動橋大橋を渡ると左手に石碑があった。

松尾芭蕉の句碑かなと思いきや、どうも違うので紹介しない
(冷たいオイラ・・・



特徴ある屋根の古民家は造り酒屋さんのようです。


旧街道はその前の道を右折する。


その交差点左に石標があった。

金澤市元標十一里十二町とある。

裏を見ると

熊坂県堺三里二十四町だ。

越前国との県堺までもう近い。

右折する前に、正面のお寺に寄ってみよう。


篠生寺。


このあたりはやっぱり蓮如上人ですよね。


おや?

蓮如上人御旧蹟 ちまき笹の霊場 とある。

蓮如上人伝説がある。
ちまき笹伝説・・・蓮如上人が動橋を訪れたとき一夜の宿を求めたところ断られた。そのとき作っていたちまきを1本所望したところ意地悪な事に笹の葉に石を包んで差し出されました。蓮如上人が「この笹から青葉がでたら宿をたのみ申す。」と念じたところ根が出、青葉が茂ったそうです。

蓮如上人の伝説は北陸各地にありますからねぇ。


さて旧街道を進もう。


ぐっ


おっ氷室饅頭ですね、金沢の行事菓子がこの地でも販売されてます。

今日は7月1日氷室の日です。

氷室・・・
夏七月一日、金沢では「氷室の日」と呼ばれおります、毎年冬の間に降った雪を氷室に貯蔵し、夏になると氷室を開き、雪を切り取り、桐の二重長持ちに入れて江戸の徳川将軍へ献上していた。
五代藩主綱紀公の頃、金沢市近郊や市内に多くの氷室が設けられ町民も氷を食する事が許された。しかし夏の氷は貴重品で、主に目上の人への贈答品などに使われ、庶民が食することは大変だったようであります。それで氷の代わりに麦で作った「氷室饅頭」を食べて無病息災を願う習慣だけが現在でも残っている。
現在は六月末に氷室から切り出され、石川県知事、金沢市長、加賀藩下屋敷があった東京都板橋区、目黒区に贈呈されている。


味方の本、再度
щ(゚ー゚щ)カモン、カモーン!

ここは旧街道が線路により途切れてしまっているのだ。

ここ。


地下横断歩道に入る。


壁に描かれた絵は、例のちまき笹伝説だ。


反対側に出た。

こんな感じでかっては道があったんだろう。


さて進もう。



左手に


出ましたね。


再度再度の味方の本щ(゚ー゚щ)カモン、カモン、カモーン!


一里塚はわかるけど、都もどり地蔵って何だ?

帰って調べてみた。

都もどり地蔵・・・
鎌倉時代初期の歌人西行が、西住と共に諸国行脚を行い、大聖寺川上流西住村に滞在しその渓谷の美を愛でたという。
やがて西行が都に帰るとき二人が別れたのがこの附近と伝えられている。終生の師弟、西行と西住が別れを惜しんだという場所にいつしか地蔵が祀られ、人々はこれを「都もどり地蔵」と呼んだ。

へぇ~西行ってあの西行法師か、たしかに諸国漫遊していたからね。

旧街道はこのあたりで


左に逸れる。


北陸線の下をくぐると、


おっ!

また蓮如上人伝説の場所だね。

ここか、


「蓮如上人巡錫の地 白水の井戸」

薄い・・・

あれか、


いい水だね。


白水の井戸・・・
蓮如聖人が浄土真宗の布教のため巡業中この八日市を通りかかり喉の渇きを覚えた。米を洗っていた女に水を所望したところ女は洗い米の白濁した水を杓にすくって差し出した。聖人はその水を捨て、自ら大地に杖を突き刺すと、そこから水晶のような水が湧き出した。

あれ蓮如上人って意外とドライね・・・


すぐ横で新幹線工事が進んでいました。





春日神社ですが、


ものすご~くシンプルな造りです。

こんなシンプルな神社、今まで一かも・・・

神社のすぐ横にいい感じの川があり、

川に降りれるところがいいね。

作見町に来ました。


あれが見えてしまった。


これです・・・。

加賀大観音73メートル。
オイラはあんまり・・・・。

さて進もう。


三輪神社です。


入ってみる。


今日は暑い34℃ありました。
熱風が田んぼを走る。


でも頑張って進む。


そろそろこれがあるはず。

味方の本。

これかな、


敷地一里塚。


さらに進むと、


富樫の馬塚

室町の時代ね。

それにしても今回は江戸時代のみならず、鎌倉、室町といろいろの時代のものを見てきたね。

そしてこのあたりといえば・・・、

この神社ですよね。

菅生石部神社。
(すごおいそべ)神社と呼びます。

これが有名、竹割まつりの御願神事。

一度ナマで見てみたいんだよねぇ

これですすごい迫力!

拝借

さて入ろう!


立派な山門です。


でーん!

ここであの神事が行われるんだね。
この石畳で竹を
バチコーン!!!!!
と叩きつけるんだ。

そして、ようやく大聖寺川に到着です。


今日はここまでです。


これだけ進みました。


次回は大聖寺編ですね。

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