てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

我が家の紅葉。

2022年11月13日 12時18分50秒 | 【ヒゲ親父】庭のこと
今朝、縁側から、我が家の和風庭を見る。

ずいぶんと紅葉が進みました。

外に出てみて、


うん、我が家の庭は、今が見頃のようです。
コメント (2)
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ブラオイラ#437(司馬遼太郎を追体験、越前勝山・大野編)

2022年11月12日 21時45分07秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
追体験・・・、WEBの国語辞典によると、
追っかけ体験、文学作品などで作者の体験と同様の体験を読者がすることをいう。ふつうは作品を読み込んで解釈し、作者の体験をシミュレートすることをいうが、旅行記などでは、実際にその足跡をたどって、作者の見聞を共有し、作者の心情に近づこうとするダイレクトな行為がそれに当たる。(なるほど

当ブログでも書いておりますが、オイラは司馬遼太郎(1923年-1996年)が好きなわけで、小説もエッセイもよく読んでいます。
なかでも「街道をゆく」シリーズはお気に入りで、その第18巻「越前の諸道」は隣県ともあって何度も読み返しました。


今回のブラオイラは、その司馬さんが訪れた福井県の勝山と大野に行き、彼が見たもの、感じたことをオイラも同じ場所に立って、追体験したいと思っています。

「越前の諸道」の冒頭、
かねがね越前の九頭竜川ぞいを上下してみたいとおもっていたが、この秋十月のはじめ(昭和五十年)、須田画伯をさそって、念願を遂げることができた。
昭和50年(1975年)今から47年前でオイラは小学生の頃になります。

今日は秋晴れの雲一つない青天です。


「越前勝山」


まずは勝山、この商店街に、


司馬さんが宿泊した宿があります。


それがこちら「板甚」

ともかくも、私はこの宿にとまりたくて、宿泊地をわざわざ勝山にしたのである。

板甚の軒のひくい表構えは、そういう赤色のさまざまな切れっぱしにうもれて、昔ながらのしずかさでうずくまっている。

店の前の格子に付いている説明板。


ちなみに司馬さんは以前にもここで泊ったことがあり、
私の記憶では、朝、宿の下駄を借りて二十メートルばかりむこうの薬屋に風邪薬を買いに行ったところ、途中、自分の下駄の音が、下手な拍子木でも鳴らしているようで耳ざわりで、いかにも自分がこの町にとって異分子に感じられるほど、街並みがしずかだった。

宿の左向かい側にある薬屋さん、ここで下駄をはいた司馬さんが風邪薬を買ったのですね。


翌朝、近くの九頭竜川に散歩に出かけています。
朝、町を散歩した。
町をすぎて九頭竜川のほとりに立つと、向こう岸は小ぶりな山々ながら、いきいきとした樹叢と山脚をもって流れに迫っている。

(※樹叢・・・じゅそう:植生によらない、自生した樹木が密生している林地。神社境内の社叢などに見られることが多い。)


司馬さんが、このように橋の上に立って川を見下ろしたかはわかりません。(当時この橋が無かったかも・・・)


橋の入口に恐竜のモニュメントがありました。
さすがの司馬さんでも将来この勝山が恐竜興しで盛り上がる町になるとは思いもよらなかったでしょう。

町のいたるところにこんなのがありました。

九頭竜川から板甚に戻る際におそらく司馬さんが通ったと思われる路地を見つけました。


左右がお寺のこの路地です。
この章は次の一文で締めくくられています。

宿にもどる途中、寺の多い一郭を過ぎるとき、わずかながら古い城下町のにおいがした。


「薄野」


続いて、勝山をあとに大野市へ向かいます。


おそらく司馬さんの越前の最大の目的地は宝慶寺(ほうきょうじ)であったはずです。
越前の寺で一番有名なのは永平寺。鎌倉時代に道元が開いたわけですが、その道元は国内で修行の後、中国まで行って修行を行いました。その際に道元の考えや行動を慕って弟子になった寂円(じゃくえん)という中国僧がいて、道元が帰国したあとを追って日本までやって来ました。それから永平寺にて道元の側で修行を行うわけであります。道元の死後もしばらくは永平寺にいたのですが世俗的な大伽藍や大官と結びついた寺門経営に反対して、みずから山奥に籠りひたすら座禅をする修行(只管打坐)を続けたとあります。そのあたりに宝慶寺が出来たのです。

寂円

(拝借

大野市街地の南端から、ほそい道が西南にむかっている。すぐ小さな渓谷に入る。


この細い道の入口に木本という字があるが、それより奥は人家がまれで、路に沿って溝のような清滝川が、しきりに流れをいそいでいるだけである。


にわかに、薄野に出た。

下界の薄はまだ穂が白くなっていないが、ここは道のふちがことごとくプラチナ色になっていた。


「宝慶寺の雲水」


「家があります」
須田画伯が、ほのかに感動した声をあげた。それほど途中、人というものを見なかった。たしかに左手に、道端に沿って、数軒の家が点在していた。ただ置きすてられていた。


すでに50年近く経っており、左手に現存している家はありませんでした。
これはその残骸でしょうか。

右手にはこのような建物が確認できました。


谷川に、コンクリートが古びて左岩のようになった小さな石橋がかかっている。

新しく架け替えられたようですね。

そこから深い杉木立の道が山の奥へつづいており、そのトンネルのような道のむこうを窺うと、なにやら寺への道めかしかった。


念のためそれをたどってみた。


豪雨などのとき、路が川になって表土を削りとるのか、右側の木立の老杉の根が、磯馴れ松のように根あがりしている。


しばらく歩くと建物が見えてきました。


寺としての宝慶寺は、存在したのである。

寂円禅師と書いてありますね。

四脚門をくぐっても、道はつづいている。そのはてに楼門とは名ばかりの簡素な山門があった。


山門をくぐると、さほどの年代が経っているとは思えないのに風雨にさらされて、いかにも古色を帯びていた。


本堂の横手に、二階建ての僧堂ー学寮風の建物ーがある。


入口は普通の庫裡に似ている。


本堂にあがりお参りをしました。<ここに来ることができて感謝


本堂から出る際、本の一文を思い出しました。

本堂を出た。堂前の簡素な木の階を三段ばかり降り、つづいて栗石でかためた石の段を六、七段おりると、もう本堂の軒先を離れてしまう。

オイラが感心するのはこういう一瞬の情景を後々まで記憶して的確に文章で表せるということ。
物書きという人たちの才能には驚くばかりです。

寂円はこの近くの洞くつの石の上で十八年もすわり続けるという・・・司馬さんはこう書いています。
仏教は、本来、物狂いなのである。インドにも中国にも、物狂いの僧は出たが、日本には酔狂な僧は出ても、ついに寂円のような人は出なかった。
ともかくも、寂円は道元の死後、山に入り、さらに宝慶寺を開山して、如浄・道元の禅風をひとり守るのである。


宝慶寺をあとにした。

今回のテーマとは別に一か所だけ寄りたかった場所があります。

昨日グーグルマップで見つけました。

なんと、まるで進撃の巨人の世界です。


なるほど、悲しい出来事があったわけですね。


さて次は平泉寺に向かいます。



「菩提林」


やがて前方に、平泉寺の歴史的象徴ともいうべき菩提林が見えてきた。


「いい森でしょう」私は、須田画伯にいった。十数年前、水田の尽きるはてにあるこのみごとな杉の森を見たときの感動を、画伯につたえたかった。



「木洩れ日」


平泉寺に到着しました。ここにはオイラは何度か来ています。


往くうちに、左側にその建物が出てきた。
門に、「白山神社々務所」という大きな表札が出ており、小さな文字で「元北国白山平泉寺本坊」と書かれている。もとの玄成院である。門柱に小さく「平泉」という表札も出ていた。


47年前であるのに、まったく文字通りで少々驚きました。

さらに驚くのは・・・、

四百五十年前、細川武蔵守高国の作 国の名勝に指定。ツマリ国宝デス。拝観料五十円。
拝観料五十円というのも時勢ばなれした安さだが・・・、
と書いてあり、

当時の司馬さんでさえ安いと感じた拝観料が47年後の今でも1円も値上げしていないのであります。

なかなか凄いお庭のようです。


それではお庭を拝見。


ほぉ~、


これが北陸最古のお庭ですか。

庭は当時流行の枯山水とはいえ、石組みなどで奇をてらったりせず、沙羅双樹やつつじなどで自然な林の感じだけを出していて、匠気をおさえこんでいる。まことに古貌を感じさせてあっさりしているが、こういう無芸とさえ思える作庭は、芸をもって顕示する必要のない立場の者でしかできないかと思われたりする。
しかし、作庭された当初、設計者は苔の庭にしようなどとは思わなかったろう。ただこの平泉寺境域の自然条件が、ながい歳月のなかで、庭を一面の苔でうずめてしまったものであるらしい。
「こんな苔、みたことがありません」須田画伯はうずくまってしまった。


近年「コケ、コケ、」言うてるオイラも、たしかにこんなフワフワな苔は見たことなかったです。

なんという種類だろうか。

さらに、ゆるやかな石段の道にもどってのぼってゆくと、左手に枝道が出ているようでもあり、


試みにたどってみると、小径は急に降り勾配になっている。


加えて、池と泉がある。


泉に湯呑が置かれていたから、一口飲んでみた。比重がやや重そうで、まるみのあるうまい水だった。


ん!


まさか!? いくらなんでも当時のものではないよね・・・。

さすがに飲めませんよ。

さらに参道を進みます。


平泉寺といえば、このショットと決まっている。

特徴的な段差のある切り株越しからの苔が広がる奥の拝殿であります。

三之宮まで上ります。


まさに木洩れ日の参道ですね。


さらに登ってついに三之宮にいたるのだが、これよりさきは、はるかに道は白山の天嶺ににつづいている。三之宮の前で、尻腰をついて息を入れてしまった。


ではオイラも、


尻腰をついて一息入れます。


平泉寺の門前まで下りてきてあたりを散策してみる。


紅葉の見事な寺を見つけました。


いいね。


越前での昼食は、「おろしそば」か「ソースかつ丼」と決まっています。

旨し

さて、そろそろ帰ろう。

山越えルートにて、


谷口屋の油揚げを買って帰ります。(カミさんリクエスト品)


さて今回のブラオイラ、オイラの好きな司馬遼太郎が訪れた勝山と大野の地を巡りました。
50年ちかく経っているとはいえ、多くの場所は当時とあまり変わっていない気がしました。
それぞれの現地に立ってみて、かつて司馬さんが見て思い感じたこと、オイラもそれに少し近づけたのではと思っています。
今日は天気も良くて気持ちよい一日となりました。
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司馬遼太郎が感じた場所を求めて・・・。

2022年11月11日 19時32分40秒 | 【ヒゲ親父】出来事
明日は福井県に行こうと思う。

さてこのボロボロの本、
オイラの好きな司馬遼太郎の著書「街道をゆく 越前の諸道」であります。


風呂読書で読み込んだから相当傷んでいますね。

でも本棚にもう一冊あるので大丈夫です。

最近になって、越前(現在の福井県)という地に魅力を感じているところです。
司馬さんが、かの地で見たもの、歩いた場所、感じたことにオイラは追体験してみたいと思います。

明日は全国的に天気もいいようで、
きっと紅葉もきれいだろうから楽しみです。

追伸・・・

このあと風呂に入り、風呂読書をしながら、
明日寄るべきポイントに付箋を貼った。

その作業のおかげで、ますます当本は汚れてしまったのである。
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なんか嫌な状況だ。

2022年11月09日 20時04分56秒 | 【ヒゲ親父】思考日記
年末に向けて、公私ともに多忙になってきて、
余裕もなくなっているのだが、
ここで一息せねばと思う。

とはいえ一息入れると、
世界の情勢、日本の実情、わが身の現実、
う~む、あまりよろしくないね。

さてさて、来年は今年よりいいことありますように・・・。
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皆既月食を見ています。

2022年11月08日 18時51分05秒 | 【ヒゲ親父】出来事
月食進行中。
でもスマホではうまく撮れないから、画像はなしよ。
今回のパターンは皆既月食&惑星食といわれるもので442年ぶりとか、
前回は1580年で織田信長の時代です。
そして月は今、半月状態になりました。
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ブラオイラ#436(少し早めの紅葉手取峡谷編)

2022年11月06日 17時45分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
今日は気持ちいい秋晴れなので、カミさんと午後から手取川上流の手取峡谷へ紅葉を見に行きました。



まずは鶴来の道の駅「しらやまさん」へ、


おっ手取川の対岸がいい感じだぞ。

外に出てみよう。

いいね。


左手に橋が架かってます。


獅子吼高原からのパラグライダーも飛んでいますね。


橋に向かいます。


この橋を渡ると、白山比咩神社の表参道の近くまで行けます。


さらに上流に向けて車を走らせます。


「黄門橋」に到着。


橋の上から、


おぉいいね、やっぱり紅葉と渓谷はよく似合う。


次は、


さらに上流の「不老橋」へ


高くて怖いけど、


眺めはいいですね。


さらに上流へ行き「綿ヶ滝」まで来ました。


ふむ。


まずは滝を見るため展望台の方へ向かいます。


ここだ。


遠くに、


「綿ヶ滝」が見えました。


それにしてもポカポカ陽気で気持ちいいな~、


では、滝の近くに行きます。


少し整備したようです。


いつ来ても水量が多いですね。


あれ正面にも滝あったっけ?


なかなかの景色で満足でした。


雪深いこの付近の集落では、


そろそろ、


冬支度をはじめる頃ですね。


鳥越の方まで戻って来まして、


弘法池をチラリと見て


少しづつ紅葉は始まってますね。


手取渓谷の紅葉は来週あたりが見頃かもしれません。
さてそろそろ帰ろう。
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チューリップの球根植え

2022年11月06日 12時00分00秒 | 【ヒゲ親父】庭のこと
秋晴れ。


ここ数年、11月になるとチューリップの球根を植えています。


納屋の奥の棚に、


春に球根上げしたのを保管していました。


小さな雑草を取り、


横の細長い畑から土を頂戴し、


少し耕して、


球根を植えます。11個ありますね。


5~10センチの深さに1個づつ入れていきます。


花壇に8個入れます。


3個余ったので、鉢植えにします。


赤玉土(小粒)を入れ


培養土を入れ、


腐葉土も入れ、ブレンドして


球根を入れます。


そっと土をかぶせていきます。


はい完了。


水をあげて、


花咲く春を待ちます。
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恐ろしい未来・・・。

2022年11月05日 21時13分03秒 | 【ヒゲ親父】思考日記
朝、目が覚めると布団の中で行う最初の行為、
まずはスマホを見ることである。

ニュース速報の通知ポップアップが無い事でとりあえずホッとしている。
「よかった、まだ起こっていない」と、

何がって?

ウクライナ戦争でロシアが核攻撃をしたかどうかです。

はっきり言って、北朝鮮が日本海に向けて何発ミサイルを打とうが、さして気にもならない。
「また愚かなことやってる」と思う程度です。

しかしロシアは違う、
プーチンの狂った決断を恐れるのだ。
(悔しいけど・・・)

恐怖のシナリオはこうだ。
戦況が押され気味でもはや敗北モードのロシアがウクライナの地で戦術核※を使用する。
(※戦術核といっても広島型の10倍の破壊力もある)
当然、すぐさまNATOは反撃するがこの場合は通常兵器となる。
ロシアの拠点の数か所を徹底的に叩いて、前線部隊はほぼ全滅状態まで追い込む。
もはや実弾も装備も不足しているロシアは通常兵器では対抗できないので、またも核攻撃するしかなく場合によっては戦略核を使用するかもしれない。
こうなると、NATOも核ミサイルを撃つしか・・・・、

想像するだけで絶望的になるのだが、なんとか休戦となっても、
ヨーロッパとロシアの西半分は放射能汚染で人が住めない地になってるだろう。
世界の大混乱は、数十年続くだろう・・・。

もちろんこのような最悪な結果にならないようオイラは願うばかりだが、
今の状況から、普通に事態が終息していくイメージがなかなか想像出来ないのであります。
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ブラオイラ#435(高岡の国宝寺院見学編)

2022年11月03日 19時30分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
お隣り富山県高岡市には国宝建造物が2つあります。
瑞龍寺(ずいりゅうじ)と勝興寺(しょうこうじ)です。

(それぞれの受付でもらうパンフレット表紙)

勝興寺については、先月の10月に国宝指定の答申を受けたと発表されたばかりです。


ということで、本日の祝日(文化の日)にカミさんと行って参りました。



高岡市内、思わず撮っちゃう路面電車。

石川県にはありませんからねぇ。

高岡市北部のこの地は伏木とよばれる地域で、奈良時代に越中国府が置かれました。
歌人の大友家持が国守として5年間赴任した地であります。

万葉集を編纂した人ですね。

勝興寺に到着、正面に総門が見えます。

ボランティアのお年寄りの方々が駐車案内や受付などされておりイキイキしてましたね。

総門をくぐると望楼形式の鼓堂が現れました。


この勝興寺には七不思議があるそうで、


唐門をくぐって境内に入ります。


正面に大きな本堂(国宝)が目に飛び込んできます。


それからこの大きなイチョウの木。


七不思議の一つです。


こちらも七不思議、

石でたたくと意外な音が鳴りました。

はい、そうですか・・・


経堂。


これはたしかに大きいなぁ

寺院本堂の面積では国内で9番目の大きさだとか。
ちなみに1位は東本願寺御影堂、2位は西本願寺御影堂、3位は東大寺金堂であります。

絢爛豪華です。


本堂からイチョウの木を見る。

額縁の絵のようです。

この柱が龍に見えるとか見えないとか、

ムム、なんとなく見えるぞ!

こちらは猿か、

う~む、これは見えん・・・

大広間や書院の方へ向かいます。


大広間(国宝)上段の間。


奥の書院へ


どんと屏風(洛中洛外図屏風)が登場。


お庭を見る。


台所へ向かう途中に駕籠が置いてあり、前田のお姫様が使用したとか。


台所。


井戸は深いようで、底が見えませんでした。


さてパンフによると、
勝興寺は浄土真宗本願寺派の寺院で1471年に蓮如が砺波郡に営んだ土山坊を起原とし、戦国時代には焼失・再興がありながらも、江戸時代を通して加賀前田家と密接な関係を保ちながら広壮な伽藍を築き上げたとあります。
境内には2棟の国宝と10棟の重要文化財があります。

ということで、御朱印もゲッツ


ガイドマップを見てから


このあたりを少し歩いてみました。


高岡市伏木気象資料館(国登録有形文化財)


高岡市万葉歴史館へ、


今日はイベントがあったらしくてファッションショーをしてましたよ。

こういう晴れやかな着物を着た若者がいっぱいおられました。

新元号の「令和」の出典は万葉集からです。

初春月、気淑風、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香
<現代語訳>新春の好き月、空気は美しく風は柔らかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉の如き香りを漂わせている


伏木の地域をあとにしまして、


もう一つの国宝建造物である、
瑞龍寺にやって来ました。


何度か来たことがあります。

総門(重要文化財)

さて入ろう。


山門(国宝)

山門前に広がる白い砂利の砂紋が美しい。

左右に金剛力士像があります。


山門をくぐると青々とした緑が全面に出てくるので少々驚きます。

仏殿(国宝)

左に禅堂(重要文化財)


右に大庫裏(重要文化財)


そして奥に法堂(国宝)です。


回廊を歩きます。

古いタイプの木魚が吊られています。

座禅をする場所なのでしょう。


法堂でお参りしまして、


御朱印をゲッツ!


こちらもパンフから、
曹洞宗高岡山瑞龍寺は、加賀藩二代藩主前田利長公の菩提を弔うために三代藩主利常公によって建立された寺です。
造営は20年かかり1663年に完成、当時は周囲に壕をめぐらし城郭を想わせるものがあったとのことです。


お昼は、瑞龍寺から前田利長公墓所まで続く八町道沿いにある、


こちらのお店で頂いたのですが、


美味しいランチ1000円(サラダ&コーヒー付き)×2名分で、

まさかのマスターの奏でるウクレレ♪と奥様(かな?)の歌(しかも自作)を聴けまして大変満足でした。

国宝。
京都や奈良、東京などと違って地方においては国宝建造物というのは数少なく貴重な物であります。
石川県には重要文化財はありますが国宝はありません。
そんな国宝の寺院を同日に2か所も見ることができて、文化の日にふさわしいブラオイラとなりました。
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