大雑把な日常

日常のあれこれ。

子どもで自己満足

2017-02-18 | 日記
今日、
イオンモールで
「東大合格!」
ののぼりに
子どもたちが群がって、
ゲーム的なことをやっていました。

こういう商売が成り立つことを考えると
ニーズがもちろんあるんだろうなって思います。

夕方帰っていると
小学生たちの長い長い行列が、
塾に吸い込まれていきます。
行列はたぶん教室移動ですね。
大きなカバン持って、
学校帰りにこれから勉強かい。

考えてみました。
良い大学に行かせるのは将来のため
ってことだろうな。
私が子どもの頃ならまだちょっとわかるんだよな。
偉くてパワフルな人は
高学歴だった。
絶対数が少なかったからだ。
それでみんなが目指したせいで
実験結果は出たんじゃないか。
そればっかりでも、ないっていう実験結果が。
ニュース見てりゃあ、それだけが全てじゃないって出ている。
何もかも手に入れているように見えても、何にも幸せじゃないことだってある。

勉強って楽しいってことを
子ども頃から知っておくのはいいよね。
ただ受験にまつわる色々なことを聞いていると、
なんか辛そうだ。
経験していないことで、ノスタルジィに浸れなくて
「えーやっときゃ良かったー」って思うことってたくさんあるけど、
受験だけは思ったことない。
蝕んでいるよ。受験は。心を。

ただ思うんだけど、
自分の子どもが
頭がいい
いい大学行っている
なんだったら天才だ
って言うのって、
親にとっては
何にも努力しないで手に入る自己満足の一個だ。
うちの子は勉強は嫌いだけど
親の私より
数段、人間のレベルが上
要するにめっちゃ性格がいいので、
そのことをよく思います。
子どもが性格いいからって、
親の私はまったく変わらない。
私の性格が良くなるわけじゃないのだ。
何にも教えてないし。道徳的なこと。
なんだったら、逆を教えている。
「逃げるために嘘をつけ」とか。

努力もゼロで
性格がいい子が生まれちゃって、
で、
人から褒められるでしょ
なんだか知らないけど、
親の私まで褒められたような気分になって
得しちゃっている。
天才の子どもの親の気持ちってこういうのだよな。

自分の子がすごいって
言いがちだもんね
ナチュラルに、親って。

そんなことを妄想した土曜日。
コメント
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