私が初めてクリティカル・シンキングを知ったのは1999年の文部省(当時)による海外研修においてである。UCデービスの語学研修所のプログラムの中にCritical Thinkingというコースがあったのだ。
結構ハードな授業だったが、目から鱗が落ちるような新鮮な驚きの連続だった。「当然あるべき姿」として認識されていたものに対し、オルタナティブな視点からの意見が提示されアメリカに対する先入観が見事に崩された。
その時に使われた教材がRereading Americaという本。もともと現地の大学1年生向けにつくられたクリティカル・シンキング用の教材だ。
http://www.amazon.ca/Rereading-America-Cultural-Contexts-Critical/dp/0312405545
自身の研修としてはとても楽しいものだったが、自分の授業にクリティカル・シンキングを応用することはできないだろうと考えていた。日本の高校生にはハードルが高すぎると当時は感じていたからだ。
しかしながら、「読む」という行為の本質について深く考えれば考えるほど、クリティカル・シンキングについてもう一度じっくりと対峙しなければならないという思いは強まっていった。クリティカル・シンキングそれ自体は教材の難易度と関係ない。
今年も昨年同様、2度の授業公開を予定していて、2回目の授業はクリティカル・シンキングのエッセンスを生かした授業にしたいと考えている。しかしながら、どのようにアプローチすればよいか悩んでいたのである。
同僚のALTにも相談をしていたのだが、面白い記事を見つけたということで渡されたのが上智大学のChristopher J. Long先生の論文。クリティカル・シンキングはいくつかの能力が揃って初めて可能になるものという点に強く惹かれた。
http://www.paaljapan.org/resources/proceedings/PAAL8/pdf/pdf022.pdf#search='Christopher J. Long Critical thinking'
http://www.paaljapan.org/resources/proceedings/2003/long.pdf#search='Christopher J. Long Critical thinking'
つまり、下位技能のいずれかに関わるリーディング・タスクをデザインすること。そこから、授業を組み立てるヒントが見えてきそうである。
結構ハードな授業だったが、目から鱗が落ちるような新鮮な驚きの連続だった。「当然あるべき姿」として認識されていたものに対し、オルタナティブな視点からの意見が提示されアメリカに対する先入観が見事に崩された。
その時に使われた教材がRereading Americaという本。もともと現地の大学1年生向けにつくられたクリティカル・シンキング用の教材だ。
http://www.amazon.ca/Rereading-America-Cultural-Contexts-Critical/dp/0312405545
自身の研修としてはとても楽しいものだったが、自分の授業にクリティカル・シンキングを応用することはできないだろうと考えていた。日本の高校生にはハードルが高すぎると当時は感じていたからだ。
しかしながら、「読む」という行為の本質について深く考えれば考えるほど、クリティカル・シンキングについてもう一度じっくりと対峙しなければならないという思いは強まっていった。クリティカル・シンキングそれ自体は教材の難易度と関係ない。
今年も昨年同様、2度の授業公開を予定していて、2回目の授業はクリティカル・シンキングのエッセンスを生かした授業にしたいと考えている。しかしながら、どのようにアプローチすればよいか悩んでいたのである。
同僚のALTにも相談をしていたのだが、面白い記事を見つけたということで渡されたのが上智大学のChristopher J. Long先生の論文。クリティカル・シンキングはいくつかの能力が揃って初めて可能になるものという点に強く惹かれた。
http://www.paaljapan.org/resources/proceedings/PAAL8/pdf/pdf022.pdf#search='Christopher J. Long Critical thinking'
http://www.paaljapan.org/resources/proceedings/2003/long.pdf#search='Christopher J. Long Critical thinking'
つまり、下位技能のいずれかに関わるリーディング・タスクをデザインすること。そこから、授業を組み立てるヒントが見えてきそうである。