CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

平成28年度後期 連続テレビ小説「べっぴんさん」出演者発表 on 2016-5-16

2016年05月17日 05時27分21秒 | 神戸情報
今秋10月3日より、NHKテレビ朝ドラは「べっぴんさん」が始まります。
アパレルメーカの「ファミリア」の創業者の坂野惇子(ばんの あつこ)が
主人公のモデルです。昭和23年(1948)12月4日 女学校時代のクラスメート
田村枝津子、その義姉田村光子、近所の友人村井ミヨ子を誘い、主婦4人で
神戸でささやかなベビーショップ「モトヤ」を開店したことに始まります。
昭和15年(1940)5月 に結婚した 坂野通夫(前ファミリア会長)や一人娘の
光子(てるこ)と夫の岡崎晴彦、さらにその子供(坂野惇子の孫)で
現ファミリア社長の岡崎忠彦氏などがドラマでどうように表現されるか
今から楽しみです。

NHKテレビ朝ドラで神戸が主な舞台となるのは、阪神・淡路大震災で父を
失ったヒロインが造園家の道を歩む「わかば」(2004年)以来12年ぶり。
過去には「甘辛しゃん」(1997年)「風見鶏」(77年)などがある。


べっぴんさんのドラマの主な出演者が本日(2016-5-16)発表されました。
 詳細はNHKのサイト(http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/1000/244992.html) 

NHKが2016年1月13日に発表したドラマのあらすじ
 http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/1000/235474.html

坂東すみれ 実在名:坂野惇子(ばんのあつこ) 役者:芳根京子








上の写真は2016年5月15日に行われた「神戸まつり」でオープンカーに乗って
パレードする芳根京子さん。サンテレビのLIVE中継より


坂東五十八(いそや)すみれの父親 実在名:佐々木八十八(やそはち)
役者:生瀬勝久


佐々木八十八は明治35年(1902)27歳の若さで独立、大坂で繊維・雑貨の
卸売業「佐々木営業部」(現在のレナウン)を創業。

坂東はな/語り すみれの母親 実在名:佐々木倆子(りょうこ)旧姓雲川
役者:菅野美穂


ドラマでは「すみれが9才の時に五十八に思いを託して亡くなる」となるが
実在の佐々木倆子は昭和43年(1968)86歳までの長寿であった。

坂東ゆり すみれの3歳上の姉 実在名:三浦智恵子(旧姓:佐々木)
役者:蓮佛美沙子

実在の三浦智恵子は坂野惇子の13歳年上の姉である。佐々木八十八と倆子の夫婦
の次女として明治38年(1905)に大坂で生まれた。神戸女学院を卒業後岡山県の
勝山藩主三浦基次の子供の子爵三浦義次と結婚した。東京での生活であったが
東京の家が空襲で焼かれ岡山県勝山市の旧藩邸に疎開している。

坂野惇子(旧姓:佐々木)は坂野通夫と結婚後、神戸の大空襲で自宅が全焼した
為、乳飲み子の光子を抱え姉の嫁ぎ先を頼り勝山市に疎開している。

野上正蔵  実在名:尾上設蔵 役者:名倉潤

尾上設蔵(明治20年生まれ)は26歳の若さで佐々木八十八に見込まれ
佐々木営業部(現レナウン)の実質経営者となります。
レナウンの商標取得に奔走し大正12年に取得に成功した。

野上潔 実在名:尾上清 役者:高良健吾
尾上清(1911年5月23日 - 1988年2月9日)は尾上設蔵の長男で戦後の
レナウンを中興した立役者である。

小野明美 実在名:田村光子?   役者:谷村美月


多田良子 実在名:田村枝津子? 役者:百田夏菜子

田坂君枝  実在名:村井ミヨ子?or 不破孝子? 役者:土村芳
病弱だったことファミリアの共同創業者という面では一致しているが女学校
(甲南女子)の同級生ではない。
村井ミヨ子(旧姓:中井)は松陰女学校・専攻科卒業後神戸市東灘区岡本の
松葉先生のアトリエで洋裁を週3回芦屋市から通っていた。
この頃、坂野通夫と結婚していた坂野惇子に子犬をもらったことから
付き合いが始まる。

麻田茂男 実在名:元田蓮 役者:市村正親
元田蓮は三宮センター街でモトヤ靴店を営む熟練の技術を持つ職人。
昭和23年(1948)坂野惇子が父佐々木八十八の軽井沢別荘から持ち帰った靴
を持ってモトヤ靴店に入り坂野惇子が子供の頃に作ってもらったモトヤ靴店
の12足のハイヒールを生活の足しにと思い売りたいと言ってきた。
この時に見せた娘光子の手製定期入れや手製袋を観た元田連の好意で
モトヤ靴店のショーケースを使用して坂野惇子の作った手芸品を販売する
提案を受けたことがベビーショップ・モトヤ(現ファミリア)誕生の
キッカケとなった。

坂東トク子 実在名:佐々木○○? 役者:中村玉緒 


実在人物とドラマとで一致しない面があります。
今後もう少し調べてみます。









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「メトロこうべ」の地下通路に設置されたトリックアート on 2016-5-10

2016年05月15日 13時31分19秒 | 神戸情報
2016年5月10日、「メトロこうべ」の地下通路に設置されたトリックアートの
写真を撮ってきましたので紹介します。









上の写真が2016年3月30日に新たに設置されたトリックアート作品です。
作品は地元神戸市のデザイン事務所「めふめふ堂」が昭和40年代の神戸・三宮と
新開地を描いた風景をトリックアートにアレンジしたものです。

神戸市電や当時のミゼットなどが時代を感じます。


上の動画は昭和の車ミニパレードで8台のクラシックカーが神戸市埋蔵文化財
センターのイベント会場に向かう画面です。ミゼットも参加。
2016-2-21に撮影。

トリックアートの設置箇所は阪神電鉄神戸高速線新開地駅東改札口の東50m
地下通路北側の壁に設置されました。

メトロこうべは阪神電鉄神戸高速線の高速神戸-新開地間の地下街で鉄道の
開通より約半年遅れて昭和43年(1968)9月1日にオープン。
2つの街(神戸タウンと新開地タウン)をつなご地下通路は昭和43年(1968)
10月23日から供用開始されています。

下の写真は「メトロこうべとトリックdeアート」の説明パネル





上の2枚の写真は散歩道としての「メトロこうべ」をPRする説明パネル


上の写真はトリックアートがある付近の地下街「メトロこうべ」




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神戸市各区の区の花とユルキャラ及び各区の概要

2016年05月12日 05時04分57秒 | 神戸情報

兵庫県神戸県民センターが最近下の写真の「楽しいまち神戸」と題するガイドマップ
を刊行しました。



この中に神戸市概要マップと称して神戸市各区の区の花とユルキャラを絵と共に
紹介されています。(下の写真)



三宮の地下街「市民ギャラリー」付近に区の花が展示されていましたので
その写真を紹介するとともに各区の概要データについても記しました。
参照:神戸学検定 公式テキスト 神戸学 Page260-261 2012-4-1のデータ

(1)東灘区   区の花:梅



 人口:211,042人 面積:30.37k㎡ 東灘区の誕生:昭和25年(1950)
  平成27年(2015)11月1日現在の人口は214,304人 世帯数97,312
 人口密度:6,949人/㎢
 旧町村: 御影町、住吉町、魚崎町、本庄村、本山村


(2)灘区   区の花:マリーゴールド
   区の木:桜



 人口:134,251人 面積:31.40k㎡ 灘区の誕生:昭和6年(1931)
  平成27年(2015)11月1日現在の人口は136,129人 世帯数67,084
 人口密度:4,276人/㎢
   旧町村:六甲村、西灘村、西郷町 

(3)中央区 区の花:ペチュニア 



 人口:127,594人 面積:28.46k㎡  中央区の誕生:昭和55年(1980)
  平成27年(2015)11月1日現在の人口は131,990人 世帯数77,440
人口密度:4,483人/㎢
旧区:葺合区、神戸区(昭和6年)生田区(神戸区+湊東区の一部)
                         (昭和20年)


(4)兵庫区  区の花:パンジー 
  


 人口:107,440人 面積:14.56k㎡  兵庫区の誕生:昭和20年(1945)
   平成27年(2015)11月1日現在の人口は106,735人 世帯数57,332  
 
 人口密度:7,379人/㎢
 旧区:昭和6年に湊東区、湊区、湊西区 昭和8年湊西区を兵庫区に改名
   昭和20年に湊東区の一部と湊区、旧兵庫区が合併して兵庫区となる

(5)北区  区の花:スズラン &キク 



 人口:225,809人 面積:241.73k㎡ 北区の誕生:昭和48年(1973)
  平成27年(2015)11月1日現在の人口は220,580人 世帯数87,826
人口密度:934人/㎢
旧町村:有馬町、有野村、山田村、八多村、大沢村、道場村、長尾村、淡河村
       昭和48年までは兵庫区であった

(6)長田区 区の花:サルビア 
    区の木:ハナミズキ



 人口:100,467人 面積:11.46k㎡ 長田区の誕生:昭和20年(1945)
  平成27年(2015)11月1日現在の人口は97,498人 世帯数47,794
人口密度:8,767人/㎢
旧区:昭和6年に林田区が誕生 昭和20年に区の再編で長田区となる。


(7)須磨区  区の花:コスモス 
区の木:松



  人口:165,838人 面積:30.00k㎡ 須磨区の誕生:昭和6年(1931)
   平成27年(2015)11月1日現在の人口は162,836人 世帯数72,112
  人口密度:5,528人/㎢

(8)垂水区  区の花:ゼラニウム 



  人口:220,083人 面積:26.83k㎡ 垂水区の誕生:昭和21年(1946)
   平成27年(2015)11月1日現在の人口は219,447人 世帯数96,286
 人口密度:8,203人/㎢
  旧区:昭和16年垂水町が神戸市須磨区に編入

(9)西区  区の花:ナデシコ



   人口:249,072人 面積:138.02k㎡ 西区の誕生:昭和57年(1982)
    平成27年(2015)11月1日現在の人口は246,195人 世帯数97,701
   人口密度:1,805人/㎢
   旧区:昭和22年(1947)に伊川谷村、玉津村、櫨谷村、押部谷村、平野村、神出村
      岩岡村が神戸市垂水区に編入

神戸市全体の市の花はアジサイです。



神戸市全体の人口推移と歴史概略について下記サイト(小生のBlog)でまとめています。
 神戸市の人口推移と歴史概要

関連Blog
  「生活の質」が高い都市で神戸が48位

 

神戸市の「ゆるキャラ」関連サイトへのリンク集

  https://genic-kobe.com/kobe-character/

  https://www.kobetartan.jp/news/news-1064/

  http://kobe.travel.coocan.jp/knowledge/yuruchara.htm

  https://kobe-maekawa.co.jp/press/archives/3108

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ルージュトマト垂水店でのランチ on 2016-5-7

2016年05月11日 04時44分33秒 | 神戸情報
2016年5月7日、ルージュトマト垂水店でランチをいただきましたので
写真紹介します。

ルージュトマト垂水店は2012年11月17日にオープンした店で株式会社ナルセ
が運営している薪窯ピザと具だくさんパスタとフルーツタルトが売りの店です。
大阪のベッドタウン、和泉中央が本店でルージュトマトとしては2号店になります。
垂水健康公園の北側にあります。

最近は2015年10月26日に開店したパスタ、ピザ、リゾットのチェーン店
pisola(ピソラ)垂水学園南町店に行くことが多く久しぶりの訪問です。


ルージュトマト垂水店の基本情報
住所:神戸市垂水区名谷町697-70 TEL:078-704-3551
料理ジャンル:イタリアン
営業時間:11時00分~22時30分 [ラストオーダーは21時30分]
     ※15時00分~17時00分はカフェタイム
駐車場:30台


ルージュトマト垂水店のHP(食べログ)

ルージュトマト本店(和泉中央)の公式HP

地図はこちら
 

当日いただいたのは私は特製ナポリタンとランチセット 1,470円(税抜)
奥様は明太子とキノコのパスタとランチセット 1,653円(税抜)



まずランチセットのサラダが出てきます(上の写真)


上の写真は私が注文した 特製ナポリタン


上の写真は奥様が注文した 明太子とキノコのパスタ




お楽しみのデザートはイチゴタルト(私)、奥様はフルーツタルトを選択

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三宮ターミナルホテル ラ・パージュでのランチ on 2016-5-6

2016年05月09日 06時52分13秒 | 神戸情報
三宮ターミナルホテル4階のレストラン ラ・パージュでランチをいただきましたので
写真紹介します。 訪問日:2016-5-6

ラ・パージュの英文名:la page

三宮ターミナルホテル ラ・パージュの基本情報

住所:神戸市中央区雲井通8丁目1番2号 三宮ターミナルホテル4階
TEL:078-291-0001(ホテルの電話)

公式HP

注文したのは奥様も私もプレートランチA 1,450円(税込)


まずサラダが出てきます。




続いてスープとパン。


上の写真が当日の日替わりのメインです。


最後にお楽しみのデザート(上の写真)

デザートの塩キャラメルラスクが美味しかったのでリーフレットを添付しました


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明石城 巽櫓 一般公開 見学記 on 2016-4-30

2016年05月08日 04時31分32秒 | 神戸市以外の兵庫県
2016年4月30日(土)、明石城 巽櫓 一般公開があり見学しました。
その時の様子を写真紹介します。


上の写真は船上城から移築された巽櫓。




上の写真は明石城巽櫓(右手)と坤櫓(左手)の遠景

まず明石城の概要説明を明石城パンフレット(一部加筆)より引用紹介します。

「元和三年(1617)、小笠原忠真(おがさわら ただざね)が信州松本より
明石に国替えとなり、現在の明石城より南西約1km程の所にあった船上
(ふなげ)城に入ったことから明石藩が生まれた。
現在の明石城は、元和四年(1618)徳川二代将軍秀忠が、西国諸藩に対する
備えとして、藩主忠真に新城の築城を命じたことに始まる。
徳川秀忠は姫路城主であった本多忠政の指導を受けるように命じ、3ヶ所の
築城候補地をあげ、現在の地が選ばれた。幕府は普請費用として銀壱千貫目
(時価31億円程度)を与え、3名の普請奉行を派遣している。
この頃、姫路藩本多忠政に仕官していた宮本武蔵が町割り図を作った。

石垣の普請(=現在の土木工事)は元和五年(1619)の正月に始められ、
工事は町人請負で行われたとされる。本丸、二の丸等の城郭中心の石垣、
三の丸の石垣、土塁及び周辺の堀の普請が同年八月中旬に終わり、幕府より
派遣の普請奉行はその任を終え江戸へ帰参している。
幕府直営工事は本丸、二の丸、三の丸までで、その他の郭の石垣・土塁工事は
幕府と小笠原氏の共同工事で行われている。

普請を終え、同年九月から藩主忠真により櫓、御殿、城門、塀などの作事
(=現在の建築工事)が始められ、その用材は幕府の一国一城令により廃城と
なった伏見城及び同国の三木城などの資材を用いて建てたとされている。
創建当初の坤櫓については次の資料があり、伏見城の建物を幕府からもらい受け
移築されたことを示している。
「坤ノ櫓ハ伏見御城ノ櫓ナリシヲ此度公儀ヨリ公エ下サレコレヲ建ル」
                          『小笠原忠真年譜』
「幕府から伏見御城の三重櫓一つ下され、御本丸未申の角に立候也」
                           『笠系大成附録』
各建物の建築は翌元和六年(1620)四月に完了した。

築城当初の明石城は、本丸に三層の御殿を築き、四隅に三重の櫓を配したが、
天守台の石垣は築かれたものの、天守は建てられなかった。」



上の写真は明石城巽櫓の前の説明板です。


上の写真は明石城の築城に深く関与した本多家と初代明石城藩主「小笠原家」の
家系図の説明パネルです(巽櫓内に展示)


上の写真は明石城の歴代藩主の説明パネル(巽櫓内に展示)


上の写真は初代藩主小笠原忠真(藩主期間1617-1633の16年)の肖像画です。
石高は10万石。 
1632年11月-1633年4月は幕府直轄地となり本多忠義、政勝が明石城の藩主

2代目城主は松平庸直(1633-1634) 7万石
参考Blog(二代目明石城主松平庸直の五輪塔 in 明石天文台 on 2010-7-15)

上の写真は松平庸直の五輪塔

3代目城主は松平光重(1634-1639)
4代目城主は大久保 忠職(1639-1649)美濃加納から転封
5代目城主は松平山城守忠国(1649-1659)丹波篠山から転封
6代目城主は松平日向守信之(1659-1679) 6.5万石
17世紀中頃1659年より約20年間明石藩主であった松平日向守信之は、
積極的に新田開発を行った。大蔵谷、鳥羽新田、東野新田(現大久保森田)、
浜西村(魚住町浜西)、伊川谷の脇新田(吹上)、明石林崎村小久保、玉津村
水谷、永井(旧長井)、漆山、生田(旧田代)、垂水新田などを開発した。
また街道に松並木を植え防風林としたことや西区岩岡町で煙草栽培(赤坂煙草)
も奨励しました。
その威徳から村人から「日向さん」と慕われ、隣接する神出町同様「日向さん」
に関する伝承が多く残っています。
松平日向守信之は寛永8年(1631)父:松平山城守忠国と母:戸田氏鉄の娘との
間に次男として生まれました。長男の松平信久が早死したため嫡子となった。
父の松平山城守忠国は慶安2年(1649)に播磨明石城7万石転封され藤井松平家
初代の明石城主となりました。
以下2代藩主松平日向守信之について年譜を記載します。
慶安2年(1649)信之(19歳):将軍家初見
承応2(1653) 従五位下日向守に任ぜられる。信之(23歳)
万治2年(1659)父松平忠国が死去し信之が明石城主を継承する。信之(29歳)
延宝7(1679)大和郡山城8万石に転封。
貞享2年(1685)6月老中職となる
貞享3年(1686)旧暦7月22日(現在の暦で9月9日)老中在職中(9万石)に
古河城(下総)で死去。

地元の人達は垂水新田の開発に対する恩徳を謝し播州のゆかりの地に
松平日向守信之公の供養碑が建てられました。
(昭和の初めまでは西垂水新田と呼ばれていました)

上の写真は神戸市垂水区霞ヶ丘の供養碑です。
 書かれている文字は以下のとおりです。
  貞享三丙寅天
    長昌院殿従四位江月圓覺大居士
          仲秋□廿二日

 
 【解説】
貞享三年=1686年 丙寅(ひのえとら)の7月22日に松平信之は卒しています。
仲秋□廿二日にしているのは7月22日に死去していますが江戸で火葬して下総古河
の板間村に葬ったのが8月22日であるので古河藩の正式発表がこの日(8月22日)で
あったためそのような表現となったと推定されます。
 長昌院殿従四位江月圓覺大居士は松平信之の戒名

7代目城主は本多政利(1679-1682) 6万石
8代目城主は松平直明(1682-1701)
 明石藩主8代目松平直明公から15代松平斎宣公までの歴代の
 城主とその夫人、子供など約60基の御廟所となっている松厳山長寿院を
 紹介した小生のBlog(明石長寿院)へのリンク

9代目城主は松平直常(1701-1743)
10代目城主は松平直純(1743-1764)
11代目城主は松平直秦(1764-1784)
12代目城主は松平直之(1784-1786)
13代目城主は松平直周(1786-1816)
14代目城主は松平斉昭(1816-1840)
15代目城主は松平斉宣(1840-1844)8万石
 松平斉宣(なりこと)は徳川将軍家斉の25男で養子に来て明石城主となった
 養子に迎える見返りに2万石加増された。

16代目城主は松平慶憲(1844-1869)
 松平慶憲(よしのり)の時代、鳥羽伏見の戦い(1868)で山陽鎮撫使
(さんようちんぶし)が通過する際、それまで佐幕の方針を貫いてきた
 明石藩であったが藩の存続のため恭順した。
 江戸の明石藩邸にいた大目付の津田柳雪は脱藩し松石隊を結成彰義隊に加勢
 明治4年(1871)5月10日の上野戦争に加わった。
 上野戦争で松石隊は津田柳雪の子芳之助ら7人が戦死し壊滅。

17代目城主は松平直致(1869-1869)
   
松平 直致(まつだいら なおむね、嘉永2年8月4日(1849年9月20日) -
明治17年(1884年)6月28日)は明治2年(1869年)慶憲の隠居に伴い家督を
相続する。同年6月版籍奉還で知藩事となる。この年、鎮姫と婚姻する。

明治4年7月14日(1871年8月29日)、廃藩置県により明石県が置かれ、知藩事職を
免官となる。東京へ移住する。その後、11月2日(12月13日)に明石県は姫路県
に併合され、1週間後に姫路県は飾磨県と改称された。
明治6年(1873)廃城令により門や櫓
明治17年(1884年)に病没し、弟の直徳が家督を継いだ。



上の写真は明石城の巽櫓で配布されている歴代城主一覧表と家紋です


上の写真は巽櫓から撮った坤(ひつじさる)櫓方面を撮ったものです。


上の写真は石垣に関する説明パネル(巽櫓内部で展示)


上の写真は坤櫓の近景。


上の写真は明石城巽櫓の内部。


上の写真は明石城巽櫓や坤櫓が阪神淡路大震災で被害を受け修理された時の
様子を表したもので建物が持ち上げられ別の場所で修復作業をした。


上の写真は明石城巽櫓より明石駅方面を眺望。
当日はロハス・ミーツというイベントが行われておりフリーマーケットの出店が
多く人出も多い。


上の写真は明石城の昔の姿w描いたものです(巽櫓内の展示)







上の3枚の写真は明石城巽櫓でボランティアガイドが説明のために使用する
説明パネルです。







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塩屋の洋館 岩井邸 on 2016-4-23&4-30

2016年05月07日 04時16分25秒 | 神戸情報
神戸市役所で塩屋の尖塔のある洋館と安養寺を題材にした絵画を鑑賞したのに
刺激され神戸市垂水区、塩屋の洋館 岩井邸の写真を撮りましたので紹介します。
撮影日:2016年4月23日及び4月30日






上の写真は坂の風景と尖塔がある洋館の岩井邸(現在人は住んでいない)

天野邸→北山邸→岩井邸と持ち主が変わった。
洋館の他に和館があった。住居用ではなく社交場として利用されていたとのこと
(撮影:2016-4-23)

上の写真は尖塔のある洋館「岩井邸」の遠景。
背後の明石海峡大橋や淡路島とがマッチした風景がすばらしい。
(撮影:2016-4-30)


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旧ハッサム邸 in 相楽園 on 2016-5-3

2016年05月06日 06時13分01秒 | 神戸情報
2016年5月3日、相楽園内の旧ハッサム邸の内部が公開されており写真を撮らせて
いただきましたので紹介します。

Wikipediaより旧ハッサム邸に関する説明を転記します(一部追加)
旧ハッサム邸は明治35年(1902)に神戸市中央区北野町2丁目の旧ドレウェル邸
(ラインの館)北側にインド系イギリス人貿易商J.K.ハッサム(J.K.Hassam)の
邸宅として建てられた。
昭和36年(1961)に当時の所有者である神戸回教寺院が神戸市に寄贈し、
昭和38年(1963)に元町の山手にある相楽園内に移築保存され、神戸における
近代洋風建築保存の先駆けとなりました。
設計はシュエケ邸や門邸など数々の異人館を手がけたA.N.ハンセル
(Alexander N. Hansell)といわれている。約400㎡の2階建ての洋館、当時の
調度品が保存されています。
1階がアーケード式(アーチを連ねた形)、2階がコロネード式(列柱式)で、
邸の外観上の特徴になっている。
明治時代の異人館の特徴を伝える名建築として評価され、1961年6月7日に
国の重要文化財に指定されている。
1995年の阪神・淡路大震災では、煉瓦積の煙突が室内配膳室に落下するなどの
被害があったが修復され、現在に至る。落下した煙突は震災の記録として前庭の
一角に展示されている。
前庭に建つ2本のガス灯は1874年頃に旧居留地の街灯として設置された、
現存する日本最古級のガス灯である。


The Hassam house inside Sorakuen Garden was built as the residence
Mr.J.K. Hassam in 1902. J.K. Hassam was an English trader of Indian origin.

The house originally stood in the north of old Drewell house(Rhine House )
in the Kitano-cho area of Kobe.

The house was moved to its present location in 1963 after donated to the
city goverment.

It is said the house designed by Alexander Nelson Hansell who works
Choueke House,Inui house and other many foreign concession.

The bulding has two floors total 400 sq.meter space,1FL is Archeid style
and 2FL is Coronade style specified.

In June 7th,1961 Hassam's House designated an important cultural property
by the Japanese goverment.





上の2枚の写真は旧ハッサム邸の外観です。


上の写真は阪神淡路大震災で落下した煙突


上の石碑は昭和38年(1963)10月1日に相楽園に移築されたことを記録する
ために神戸市によって設置された石碑。


上の写真は旧ハッサム住宅の平面図。

平成19年(2007)から1年余りかけて修理が行われました。
屋根の葺き替え、天井の漆喰塗り替え、外部塗装、窓やドアの歪みの調整など
が施工されました。

旧ハッサム邸が改修終え公開中 の2009年4月28日に写真を撮ってブログ記事を
書いていますのでリンクしておきます。
  旧ハッサム邸が改修終え公開中




上の2枚の写真は現地の説明板です。


上の写真は1階 入り口 右手の応接室


上の写真は1階裏手にある厨房、使用人室の建物














上の7枚の写真は建物内部の風景


上の写真は2007年~2009年の修理に関する資料の説明板



上の写真は旧ハッサム邸近くの旧小寺厩舎

現地の案内板より引用させていただきます。
「この建物は相楽園の所有者であった元神戸市長小寺謙吉氏が明治43年
(1910)頃厩舎としてこの地に建てたもので、園内に残る創建当初の
数少ない遺構の一つです。構造は、煉瓦造りの1階に木造の小屋組をのせた
ドイツ風の重厚な造りで正面1階は馬車庫、2階は厩務員の宿舎、東側は
吹き抜けの高い天井をもつ馬房となっています。
これだけの規模と構造をもつ厩舎は全国でも例がなく、設計者河合浩蔵
(明治・大正期官庁建築を中心に関西で活躍した建築家。
神戸地方裁判所も彼の作品)の代表作の一つに数えられるものです。
昭和55年(1980)には建物の詳しい設計図が60枚見つかり、貴重な
資料として建物とともに重要文化財に指定されました。」
円形の塔屋、急勾配の屋根や屋根窓、豊富な切妻飾りなど変化に富む意匠。」


当日(2016-5-3)は尺八・三絃・筝による邦楽ライブが行われていました。


上の写真は山野草の展示。


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カリーダイニング サヒ(SHAHI)でのランチ on 2016-4-17

2016年05月05日 06時39分10秒 | 神戸情報
2016年4月17日、ブランチ神戸学園都市 森のダイニング の中にある
カリーダイニング サヒ(SHAHI)でランチをいただきましたので写真紹介します


カリーダイニング サヒ(SHAHI)の基本情報

住所:神戸市 垂水区小束山手2-2−1 ブランチ神戸学園都市 森のダイニング 1F
TEL:078-742-7590 営業時間:11:00~21:00
定休日:なし 年中無休
2013年12月6日より営業



上の写真は当日いただいた日替わりカレー 650円(税別)





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ベーカリーレストラン サンマルク 神戸学園都市店 でのモーニング on 2016-4-29

2016年05月05日 06時14分35秒 | 神戸情報
2016年4月29日にいただいたサンマルク 神戸学園都市店での
モーニングを写真紹介します。



ベーカリーレストラン サンマルク 神戸学園都市店の基本情報

住所:神戸市西区学園 東町8丁目2-1
TEL:078-795-0309
営業時間:8:00~23:00  モーニング 8:00~11:00
定休日:なし 年中無休


公式HP:http://www.saint-marc-hd.com/saintmarc/

当日、選べるバリューモーニング 980円(税別)をいただきました。


まずサラダが出てきます。


上の写真は私が注文したメインでグラタンです。


上の写真は奥様が注文したスクランブルエッグ


パンが食べ放題です。欲張って食べ過ぎお昼に食欲がなくほとんど
食べられませんでした。お昼を抜くべきであったのが反省の弁です。



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