チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

トルストイの日本音楽への感想(1896)

2014-09-04 22:13:34 | 何様クラシック

ロシアの文豪、トルストイ(1828-1910)は大の音楽好きで、若い頃はピアノのために「ワルツヘ長調」を作曲したほどでした(幸せそうで素敵な曲。Tolstoy waltz in F major でググれば聴けます)。そしてベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタからエロさを嗅ぎ付けたトルストイは小説「クロイツェル・ソナタ」を著しました。(その小説にインスパイアされたヤナーチェクがこれまたエロい同名の弦楽四重奏曲を書いたりしています。)

そのトルストイに、歴史家・徳富蘇峰(とくとみそほう、1863-1957)がモスクワで明治29年(1896年)に面会し、日本の詩吟を披露したそうなんです。


そのときの様子を蘇峰は『環球偶筆』に次のように書いています。

「晩餐後は食堂の片隅に相集り種々談話に遊戯に興じたる末、深井君【深井英五、銀行家、1871-1945】は所望に応じて『君が代』を歌い、余は頼襄(頼山陽)が『蒙古来』を吟じぬ。....然るにその吟じ様の如何に可笑しかりけむ、一同くすくすと笑い、その嫁女の如きは遂にたまらず吹き出しぬ。翁(トルストイ)は片手に自個の禁へ兼ねたる唇を圧しつつ、片手を揮うて曰く、笑うなかれ、笑うなかれ、笑うものは別室に去るべしと。嫁女は立ちて行きぬ。....余曰く、余の詩吟にて、かくまで御身達の興を博するは、この上なき満足ぞかし、請ふ更に吟ぜんとて、又しても頼襄の『鞭声粛々』を吟じぬ。実に馬鹿馬鹿しき話なれども、笑われて止むべきにあらざれば、負けぬ気になりてやりつけたるぞかし。翁はさすがに、余の声が音楽にかなうとて賞賛せられぬ。これだけはトルストイ翁のお世辞にして、如何に余が自惚なればとてこれだけの自惚はなきぞかし。」


→トルストイの奥さんたちには笑われちゃたけど、蘇峰は日本人代表として頑張りましたね!さすがトルストイは芸術が分かってるので「笑うな!」って言ってくれたし賞賛までしてくれた。。。のか?


トルストイ自身の日記を見ると。。

「日本人たちが歌い出すと、我々は笑いを抑えることが出来なかった。もし我々が日本人のところへ行って歌い出したら、彼等も笑い出したことであろう。ベートーヴェンでも演奏したらなおさらであろう。インドやギリシャの寺院神殿は万人に理解される。ギリシャ彫刻もこれまたあらゆる人に理解されている。我らの絵画も優れたものは理解しやすい。こういったわけで、建築、彫刻、絵画はそれぞれ完璧の域に達した時、あらゆる人の心情に訴え、世界性を獲得するのである。言葉の芸術もそのいくつかの発顕においては、同様の達成を示している。......芸術劇にあっては、ソフォクレスやアリストファネスはそこまでいかなかった。新しい作家達によってこれが達成された。ところが、音楽となると完全に遅れている。すべての芸術にとって、その精進努力の対象たるべき理想は、万人理解の普遍性である。しかるに現在の芸術、ことに音楽は、巧緻洗練のみを狙いたがっている。」


→なんだ、トルストイも詩吟を「普遍性なし」とバカにしていたんですね~。それに昔の日本人でもベートーヴェン聴いて笑いやしなかったと思いますけど。。それにしても詩吟を笑われてもメゲなかった蘇峰さんエラい!日本人はすばらしい自国の音楽を誇りにすべき(詩吟って聴いたことないけど)。そして西洋クラシックが何が何でも最高!っていう自分自身の気持ちにもちょっと疑問を持ってしまいました。

 

参考:「レコード芸術」2005年9月号、「ホープ」昭和21年6月号