チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

略称が同じ日本のオーケストラについての整理

2014-09-15 23:00:30 | メモ

昔の音楽雑誌を読んでいると「日響」「新響」とか「東響」って略称が説明なしに結構出てきて、呼び方が同じでも違うオーケストラを指していることがあってややこしや~

もう一回、整理しておきます。

【日響・新響】

・大正末期、山田耕筰の下の日本交響楽協会(日響A)→そこから近衛秀麿を指揮者に誕生した日本交響楽団(日響B)が分裂→昭和初期から新交響楽団(新響A)に改称→戦時中に財団法人日本交響楽団となった(日響C)→昭和26年にNHK交響楽団と改称

↑ 近衛秀麿指揮による(新響A)第一回公演(昭和2年2月20日、日本青年館)

 

↑ (日響C)発会式(昭和17年天長節、共立講堂。 写真は2枚とも藝術新潮昭和30年6月号より)


・昭和31年に設立された、芥川也寸志指揮のアマチュア・オーケストラである新交響楽団(新響B)。

→日響Aと日響Bと日響Cは密接な関係があるが、新響Aと新響Bは無関係。



【東響】

・昭和3年に内田元(1903~1948)指揮の東京シンフォニー(東響A)が結成されたが、まもなく解散。

・名古屋の松坂屋シンフォニー→昭和15年に東京進出し中央交響楽団に改称→翌年さらに東京交響楽団(東響B)に改称→戦後、この流れが東京フィルハーモニー交響楽団となる。

・PCL映画の管弦楽団である東宝交響楽団(宝響)が終戦翌年に誕生→東宝から分離し東京交響楽団(東響C)と改称、現在に至る。

→東響Aと東響Bと東響Cは無関係。



【京響】

・戦時中、尾高尚忠が指揮する京都交響楽団(京響A)が存在した。

・昭和31年我が国初の市立の楽団として京都市交響楽団(京響B)が設立された。

→京響Aと京響Bは無関係。



。。。テストに出たら絶対間違えますね。


参考:文藝春秋「N響80年全記録」及び「音楽の友」1976年4月号「戦前戦後の同名オーケストラ」。自分なりにまとめたんですが、かえって解りづらくなっちゃったかも?