チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

カラヤン世界初のサイン会(1977年11月11日東京・山野楽器)

2016-11-07 22:15:41 | 来日した演奏家

【このブログの2013年10月14日の記事に画像と情報を追加しました】

父の、カラヤンのベートーヴェン交響曲全集(LP8枚組+インタビューLP1枚)を勝手に持ち出して解説書を見たら、カラヤンの直筆っぽいサインがあったので父に確かめたらホンモノでした。

当時まだ中学生だった父がカラヤンのベートーヴェンの新交響曲全集を買えばサインをしてもらえる!っていう銀座の山野楽器の宣伝文句を見て、悩んだ末、お年玉を使い果たして買っちゃった。18,400円也。

 

それから何週間後かの夕方(昭和52年11月11日金曜日6時頃)からのサイン会では抽選で当選した100人が山野楽器の待合室に集まり、当選した父を含め期待と緊張感でいっぱい。あらかじめ郵送されていた案内ハガキにはサインしてもらえる順位の他、「このハガキとレコードの解説書をお持ちください。解説書のカラヤン氏の横顔の写真のページにサインして頂きます」ってなことが書いてあったそうです。父は緊張すると手のひらに汗をかくので待合室でしきりにズボンで汗を拭いていたら、となりのオジサンも苦笑しながらズボンで手を拭き始めてちょっと心が通ったみたい。

定刻にカラヤン登場!父も興奮してたらしく記憶が飛んでいるのですが、意外と小柄だったことと、目の青さが印象的だったらしいです。カラヤンは所定のページにサインをした後は、他の人に対するのと同様、微笑しながら父の目をしっかり見て握手してくれたそうです。やさしい。(一瞬不思議そうな目をしたのは若いからというよりチョー汚い格好だったから?もっとオシャレして行けや!) 

父はとりあえずその日は手を洗わなかった。

なお会場には一目でもカラヤンを見たいと抽選モレ等のファンが帰らずに待っており、山野店長からこの事情をきいたカラヤンが「時間の許す限り一人でも多くサインをしたい」と発表し、結局追加で2百数十人にサインをしたそうです。

↑ カラヤンの登場を緊張しながら待つ人々(「音楽の友」1978年1月号より)

 

当時カラヤンはベルリン・フィルとのベートーヴェン交響曲チクルスのため来日しており、父も11月15日の普門館(杉並にあるホール)の公演に行ったそうですが会場が広すぎて音がまともに聞こえず、なんだかなーって感想でした。

 

ちなみにその日の演目は4番と7番で、題名なしの2曲ってことで人気がないため他の日に比べチケットは簡単に取れたそうですが、今だったら一番人気のメニューかも!

 

(参考までにそのときのチケットの画像を載せます)

オモテ↓

ウラ↓

チケットの袋 オモテ↓ ワイセンベルクが来てたんですね。

チケット袋ウラ↓

 

(追記)

『芸術生活』1978年2月号と3月号には音楽評論家、笠井マリ子氏の皮肉一杯の楽しい記事が載っています。ここから判ることを3点に要約すると


1.11月11日のホテル・オークラでの1度目記者会見の後、カラヤンは笑いながら「これから、私が世界で初めて行うサイン会に参ります」と二人の娘アナベルとイザベルと共に銀座四丁目の山野楽器店へ向かった。サイン会の開催はカラヤン自身の意向。

↑ おばさまがカラヤン神におじぎ



2.サイン会の二日目(11月12日)の主催は東芝系で、カラヤンは大阪リサイタルのため出席不能となったワイセンベルクの分も受け持った。対象はカラヤン/ベルリン・フィルの「新世界」及びワイセンベルクと共演のベートーヴェン・ピアノ協奏曲第4番購入者全員であり、カラヤンは山野楽器店で約300人に対してサイン。

↑ 1977年11月12日、ホテルオークラ「有明の間」でのワイセンベルクとの3度目の記者会見。この後カラヤンだけが山野楽器店でのサイン会に向かった。



3.カラヤンが東京で泊まっていた部屋は、ホテル・オークラ本館最高の10階のロイヤル・シート2部屋続き44坪の「王座」で、当時1泊10万円(サービス料等別)でしかも2人の娘さんたちとは別室。

 

。。。世界でも別格の扱いだったらしく、カラヤンが世界で初めてのサイン会を日本で開催したのにも納得しました。