チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

マーラー交響曲第3番・日本初演(東京音楽学校、1935年)

2016-11-19 00:27:07 | 日本初演

【2015年10月6日の記事に別の画像を追加しました。】

マーラーの交響曲第3番全曲日本初演の画像です。

1935年(昭和10年)2月16日土曜日、日比谷公会堂。クラウス・プリングスハイム(Klaus Pringsheim, 1883-1972)指揮、東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)のオーケストラ第74回定期演奏会。アルト独唱(おそらく指揮者の正面の白い服のひと)は誰だったのでしょうか。

マーラー3番って演奏時間は長いし編成も大きいしで日本初演は戦後のことかと漠然と想像していたんだけど、戦前だったとは。。プリングスハイムと芸大、すごい! プリングスハイムはマーラーの弟子で、ベルリン・フィルとマーラーの交響曲全曲演奏を行った(8番と9番は実現できなかった)という人なのでマーラー直伝の3番初演だったわけですね。

ちなみに第5楽章(ビム・バム)だけに関しては1931年5月7日(木)に近衛秀麿指揮新響+鈴木乃婦子らによって日本初演されています。

ところで上の写真で一番印象的なのは女声合唱の人たちが紋付袴なこと。威圧感があってヨイのですが、音を吸収しちゃいそう?

(『東京フィルハーモニー交響楽団八十年史』、『サントリー音楽文化展’89マーラー』より)

 

(追記)

シンキャウ社『楽苑』創刊号(1935年4月号)に、違う角度からの写真がありました。説明には「東京音楽学校合唱団」とあります。

アルト・ソロは平原寿恵子(ひらはら すえこ、1907-1993)さんでした。


貝谷八百子の「ポーギーとベス」(1955年)

2016-11-13 01:00:30 | バレエ

貝谷八百子さんと巳之部豊さん主演のバレエ版「ポーギーとベス」です。(主婦の友1955年11月号)


↑ 思いっきり逆に紹介されています。

1955年8月25、26、29日、9月2日に日比谷公会堂にて上演されました。古典バレエを主にやっていた貝谷バレエ団のこの公演はかなりの注目を浴びたようです。

ガーシュウィンの原作のバレエ化にあたってはストーリー、音楽ともに相当改変されたということです。演出は貝谷八百子さんご自身。

クラウンは吉村辰彦。スポーティング・ライフは桑原公隆。演奏は森正指揮近衛管絃楽団、美術は三林亮太郎(1908-1987)。

オペラの上演権は黒人の団体が持っていて黒人以外の上演は難しいと言われていたが、バレエ化は可能だと主催者は考えたそうです。

ちなみにこのオペラのバレエ化はアメリカでも行われておらず、このときが世界で初めて。

以下の画像は「国際写真情報」1955年10月号からです。

↑ ぱっと見、ハマり役な感じですね!

 

 

ここからの写真は圧巻だったという第2幕、キティワ島Kittiwah Island)でのデュエットです。

。。。今から60年も前なのにパワフルですね。貝谷バレエ団、恐るべし!

 

(おまけ)貝谷八百子と淡島千景の謎の生写真

撮影時期、何となく容姿が似ていらっしゃるかもしれないお二人の接点等わかり次第書き込みます。


カラヤン世界初のサイン会(1977年11月11日東京・山野楽器)

2016-11-07 22:15:41 | 来日した演奏家

【このブログの2013年10月14日の記事に画像と情報を追加しました】

父の、カラヤンのベートーヴェン交響曲全集(LP8枚組+インタビューLP1枚)を勝手に持ち出して解説書を見たら、カラヤンの直筆っぽいサインがあったので父に確かめたらホンモノでした。

当時まだ中学生だった父がカラヤンのベートーヴェンの新交響曲全集を買えばサインをしてもらえる!っていう銀座の山野楽器の宣伝文句を見て、悩んだ末、お年玉を使い果たして買っちゃった。18,400円也。

 

それから何週間後かの夕方(昭和52年11月11日金曜日6時頃)からのサイン会では抽選で当選した100人が山野楽器の待合室に集まり、当選した父を含め期待と緊張感でいっぱい。あらかじめ郵送されていた案内ハガキにはサインしてもらえる順位の他、「このハガキとレコードの解説書をお持ちください。解説書のカラヤン氏の横顔の写真のページにサインして頂きます」ってなことが書いてあったそうです。父は緊張すると手のひらに汗をかくので待合室でしきりにズボンで汗を拭いていたら、となりのオジサンも苦笑しながらズボンで手を拭き始めてちょっと心が通ったみたい。

定刻にカラヤン登場!父も興奮してたらしく記憶が飛んでいるのですが、意外と小柄だったことと、目の青さが印象的だったらしいです。カラヤンは所定のページにサインをした後は、他の人に対するのと同様、微笑しながら父の目をしっかり見て握手してくれたそうです。やさしい。(一瞬不思議そうな目をしたのは若いからというよりチョー汚い格好だったから?もっとオシャレして行けや!) 

父はとりあえずその日は手を洗わなかった。

なお会場には一目でもカラヤンを見たいと抽選モレ等のファンが帰らずに待っており、山野店長からこの事情をきいたカラヤンが「時間の許す限り一人でも多くサインをしたい」と発表し、結局追加で2百数十人にサインをしたそうです。

↑ カラヤンの登場を緊張しながら待つ人々(「音楽の友」1978年1月号より)

 

当時カラヤンはベルリン・フィルとのベートーヴェン交響曲チクルスのため来日しており、父も11月15日の普門館(杉並にあるホール)の公演に行ったそうですが会場が広すぎて音がまともに聞こえず、なんだかなーって感想でした。

 

ちなみにその日の演目は4番と7番で、題名なしの2曲ってことで人気がないため他の日に比べチケットは簡単に取れたそうですが、今だったら一番人気のメニューかも!

 

(参考までにそのときのチケットの画像を載せます)

オモテ↓

ウラ↓

チケットの袋 オモテ↓ ワイセンベルクが来てたんですね。

チケット袋ウラ↓

 

(追記)

『芸術生活』1978年2月号と3月号には音楽評論家、笠井マリ子氏の皮肉一杯の楽しい記事が載っています。ここから判ることを3点に要約すると


1.11月11日のホテル・オークラでの1度目記者会見の後、カラヤンは笑いながら「これから、私が世界で初めて行うサイン会に参ります」と二人の娘アナベルとイザベルと共に銀座四丁目の山野楽器店へ向かった。サイン会の開催はカラヤン自身の意向。

↑ おばさまがカラヤン神におじぎ



2.サイン会の二日目(11月12日)の主催は東芝系で、カラヤンは大阪リサイタルのため出席不能となったワイセンベルクの分も受け持った。対象はカラヤン/ベルリン・フィルの「新世界」及びワイセンベルクと共演のベートーヴェン・ピアノ協奏曲第4番購入者全員であり、カラヤンは山野楽器店で約300人に対してサイン。

↑ 1977年11月12日、ホテルオークラ「有明の間」でのワイセンベルクとの3度目の記者会見。この後カラヤンだけが山野楽器店でのサイン会に向かった。



3.カラヤンが東京で泊まっていた部屋は、ホテル・オークラ本館最高の10階のロイヤル・シート2部屋続き44坪の「王座」で、当時1泊10万円(サービス料等別)でしかも2人の娘さんたちとは別室。

 

。。。世界でも別格の扱いだったらしく、カラヤンが世界で初めてのサイン会を日本で開催したのにも納得しました。


ペキネル姉妹(Güher & Süher Pekinel)の来日時の画像

2016-11-04 00:01:40 | 来日した演奏家

日本ではピアノ・デュオとしてはラベック姉妹の次くらいに有名なペキネル姉妹(Pekinel Sisters)の画像です。

ギュヘルさん(Güher)とジュヘルさん(Süher)。トルコ出身の双子。

↑ 似すぎてどちらがどちらだかわかりません。公式の場では常にG-S順で並んでいらっしゃると思われます。

 

↑ 例えばホクロの位置とか、簡単な区別のしかたがあるのかも。

 

↑ おそらく6歳のデビュー時の画像。

 

↑ ちいさい手の指を一生懸命広げていますね。



以下、来日時の画像4枚です。(撮影年がわかりません)

↑ 場所不明。ラフマニノフ幻想曲Op. 5の楽譜があります。

 

↑ 来日記者会見。区別できるように(?)お一人がバンダナをしています。

 

↑ 可哀想にバンダナの方が考え込んでしまって片方が助け舟を出している図でしょうか。さすが双子、マナカナのよう。

 

↑ コンサート本番。美しいですな~!来年是非トリフォニー行きたいです。


ラベック姉妹の早朝ジョギング(1983年、東京)

2016-11-03 22:21:32 | 来日した演奏家

(2016年1月10日の記事の末尾に来日時の生写真を追加しました。)

ピアノ・デュオ「ラベック姉妹」(Marielle et Katia Labèque)は、1983年の初来日公演ではNHK交響楽団とプーランク、読売日響とモーツァルトの「2台のピアノのための協奏曲」などを演奏したそうです。



その来日時、東京・芝公園付近で早朝ジョギングを楽しむ姉妹です。当時人気だったノーマカマリのジョギング・ウェア。
左が姉のカティア、右が妹のマリエル。こんなきれいな二人が走ってきたら、しかもそれがピアニストの姉妹だと知ったら驚きますよね。

ラベック姉妹はフランス・ボルドー地方の生れ。父は医者、母親はマルグリット・ロン(Marguerite Long, 1874-1966)の弟子で、結婚と同時に地方の音楽教師になったが、自分の果たせなかった夢を娘たちに託すべく、英才教育を施したということです。なんとなく、諏訪根自子さんのお母さんを思い出しました。

カティアは7歳のときシャンゼリゼ劇場でモーツァルトの協奏曲を弾き、マリエルは11歳でデビュー。パリ音楽院卒業後はメシアンやブーレーズらに認められたそうです。決して容貌だけの人気ではなかったんですね。

(Focus誌1983年7月1日号より)

 

 

(追加) ちょっと傷んでいますが来日時の生写真。ナチュラルな笑顔が素敵。

カティアさんが手に持っている小さいものは何でしょうか?