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事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「エイリアン ALIEN」「エイリアン2 ALIENS」

2007-10-31 | 洋画

Aliens_aliens_adultes2   全米公開から1年以上も待たされて「スター・ウォーズ」が公開された時、一番驚いたのは、ハリソン・フォード扮するハン・ソロの宇宙船が“汚れていた”こと。

宇宙船といえば、よくわかんないコックピットがぴかぴか光り、信じられないぐらい無機質かつセクシーな宇宙服を着た女性飛行士がいたりするもんだと思っていたので(「宇宙大作戦=スター・トレック」や「謎の円盤UFO」……ああストレイカー司令官!の見すぎである……どうせ若いモンにはわからんだろうが)、まるでヤンキーがチューンナップした族グルマに、しかもお姫さまを乗せるという強引な展開には感激までした。

Alien01 ところが「エイリアン」のノストロモ号はその先を行った。

民間企業の(COMPANY、とだけ呼ばれている)資源探査船?という性格からか、いやー汚い汚い。

しかもこの汚れは乗組員の方にも徹底していて、「1」は町工場の整備工たち、って感じ。「2」の方は『今度は、戦争だ。』というコピーを裏切らず、まるでベトナム戦争時の前線部隊。

以降、「3」は囚人、「4」はゲリラとこのシリーズはコンセプトがしっかり。露骨、ともいえるか。そのなかでも、「1」と「2」の面白さは突出している。タイプは違うが、どちらも傑作。実績のあまりなかった監督(リドリー「ハンニバル」スコット、ジェームズ「タイタニック」キャメロン)を抜擢して一躍メジャーにしたことでも共通。

 その面白さは“部屋で見ながらタバコを吸うのを忘れる”という、私には最大級のもの。でも何度も観ると欠点も目立つ。「1」でいえば、あれだけ巨大な宇宙船に、乗組員全員が乗れる救命艇が無いのはいくらなんでも不自然だし、船長(トム・スケリット)やサード・オフィサーのリプリー(シガニー・ウィーヴァー)は作戦ミスが目立ち、冷静に考えると3人はリプリーのせいで死んでいる。

でも作り手がそのことを意識していないわけではなくて、アッシュ(イアン・ホルム)が実はロボットであるエピソードをうまく挿入して、観客にアラを気づかせないようになっている。うまいなぁ。

Alien02 今回も和田誠と三谷幸喜の「それはまた別の話」を参考にすると、そのアッシュがリプリーを襲うときに使ったエロ本が、なんと【平凡パンチ】だったって、気づいてました?

でそのロボットが「2」では善玉にまわる(「人間にしては、やるね」このセリフはにくい)パターン、よく考えたら「ターミネーター」と一緒でした。このジェームズ・キャメロンが、まさか「タイタニック」のような大恋愛映画を撮るとは……。

「4」で主演したウィノナ・ライダーが、「子どもの頃に観て以来の(このシリーズの)ファンなの」と語っていたが、そうか、1作目は’79年の作品なのだ。ギーガーのデザインしたエイリアンを〈脳天ちんぼ〉と呼んでいたのは20年以上も前。もうそんなになるのか。

間違いなく古典になるといえるこの映画、しかし【我等が時代の名画】が、人間の胸を食い破って出てくるモンスターのお話であるのは、いやはや殺伐としたものだが。

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DIE HARD  (88‘ 米)

2007-10-31 | 洋画

Brucewillisdiehard ジョン・マクティアナン監督 ブルース・ウィリス主演 89’年度キネ旬ベストテン第1位

おすすめDVDシリーズは、みなさんがこの映画を既に観ている、という前提ですすめます。ネタバレもありあり。

え?あなたは「ダイ・ハード」を観ていない?次回「エイリアン」も?まさか「JAWS」は?……何考えて生きて来たんです。今すぐビデオ屋に走れ!

映画館、ビデオ、DVDと何度も観ているこの映画(タイトルを意訳すると「なかなか死なねーなーこいつ」)。そのたびに感心するのは、んもうどこまで練り上げられた脚本なのか、ということ。原作(あったんだね)を読んでいないので比較はできないけれど、とにかく伏線につぐ伏線。それらを一気に収束させるラスト。ため息が出るくらい完璧な脚本である。

和田誠と三谷幸喜が、映画のディテールにこだわって対談した好著「それはまた別の話」(文春文庫。このタイトルに笑った人は、三谷のあのドラマを観た人ですね?いずれ特集しますのでお楽しみに)で「ダイ・ハード」は取り上げられ、実作者である三谷に

Diehard709124 三谷:「ダイ・ハード」の決定稿を作家がただ一人で机の前で書いたんだとしたら、僕は潔く筆を折ります。

とまで言わしめている。それほどすき間なく計算されていることが何度も観ているとわかってくる。「神は細部に宿る」というが、この映画は再見に耐える小細工が満載である。

1.日本企業が既婚者を嫌うため(いえてる)、主人公の妻は旧姓を名乗っているが、家族写真を伏せているせいもあって、テロリストにいつ夫婦であることがばれるか、とのサスペンスをそれだけで発生させている。ラストのセリフにもちゃんとつながるし。

2.1のこともあって主人公ジョン・マクレーンはちょっとふくれていて、妻の有能さの証としてボスから贈られたローレックスが、さらなる夫婦関係の亀裂を観客に予感させる。が、そのローレックスとともにテロリストの首領を墜落死させることで、カタルシスを倍加させている。

3.クリスマスイブであることが徹底して利用されているストーリー(たった一人で、あれだけのテロリストと渡り合って生き残る、それだけでもクリスマスの奇跡)だが、裸になったマクレーンが、銃を隠すために使った小道具がクリスマス用のテープだったあたり、芸が細かい。ここまでやるかねしかし。

……他にも、【西海岸】【東部】【日本】といった地域性が十分に活かされていることや、現代のハリウッド活劇の主人公に必須な条件「考えろ!考えろ!」を本当に口にしているあたりに感心感心。

次回「エイリアン」のリプリーもそうだが、今や技術やメカに疎い人間はヒーローやヒロインになれないこともよくわかる。無理してシリーズ化されているが、「2」も傑作。「3」は数段落ちる。が、キャッチコピーは「3」が一番優秀だった。

世界で一番運の悪い男

そりゃそうだ(笑)。ダメ押しの一撃も含めて、現在のエンタテインメントの方向性を決定づけた金字塔にして教科書のような作品。ま、教科書というには四文字言葉が多すぎるんだけどさ。

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DVD規格統一~業界はオタクでいっぱい

2007-10-30 | デジタル・インターネット

Img_slhf900 今はブルーレイとHD-DVDの間でもめているけれど、考えてみればDVDだって同じような経緯をたどったのだ。で、その前はVHSとβ。
この業界は“最初に勝ったヤツが最後までむさぼり食う”のが通例だから、デファクトスタンダードになるためにはどんな手法でも使うってことなんだろう。
で、今回はDVDの昔話です。2001年11月に、業界はこんな感じだったわけ。

Digital Versatile Disc ~業界おたく話でどうもすみません~

DVDの普及がいきなり加速している。規格統一でメーカーの利害が衝突し(今回はSONYと東芝)、再生機を買うのはまだまだ早いよなあ、と思っていたのがもう遠い昔。実際多くの消費者は様子見にとどまっていたし、ビデオカセットでは“ベータの男”だった私も、あの二の舞は避けたかったので慎重にならざるをえなかったのに。

 ついでだから語っておこう。VHS対βの争いは全く不毛だった。でも負け惜しみに聞こえるだろうが機能や画質の面ではβが勝っていたという世評に私は完全に組みする。βの場合、ハイバンド導入以降、画質の向上は著しかったし、カセットを挿入した途端にテープをヘッドにからませる方式をとっていたことから、再生や早送りでVHSのトロさとの差が歴然としていたのだ。

Dvd  ベータ組学級委員だったSONYに問題があったとすれば、ユーザーにとってビデオとはまず映画を再生するものだ、との発想に一歩出遅れ(このへん技術屋だよなあ)、基本規格を【60分】に設定してしまったことだろう。カセットのサイズを小さくすることを優先させたかったんだろうか。SONYらしいっちゃSONYらしい話。その点、ビクター・松下のVHS連合軍は【120分】に初手から設定していたし、販売もかの有名なナショナル店会(松下幸之助の御真影を今でも毎朝拝んでるって話だぜ……嘘だけど)をフル稼働させ、殿様商売だったSONYを蹴散らした……このへんが勝敗の分かれ目だったかなあ。

 だからといってSONYだけを責めるのはお門違いというもの。技術へのプライドから、他メーカーに妥協することを渋ったのは松下だって一緒なのだ。U-マチックっていうマイナーな規格のビデオ、まだ視聴覚室の片隅に残っている学校ありませんか?あれに固執していたのが松下で、形勢不利とみて系列のビクターのVHSにすり寄った、こんな経緯だったと私は勝手に総括している。

Vhs  結果、ベータ保有者にとってビデオレンタルとはまことに淋しい世界となってしまった。βマークが貼付された、ほんのわずかなタイトルから選択して借りていくのは屈辱そのもの。独身時代にはベータhi-fiだのハイバンド・ベータだのと新機種が出るたびに買っていた“SONYの子”である私も、結婚してなぜか思いっきりビンボーになったのに(独身読者諸君、趣味に金をかけるなら今のうちだ)、仕方なく“清水の舞台をぶちこわす”思いでVHSのビデオを買ったのだった(泣)。オーバーに言えば、一種の転向。

 それまでの我慢の反動もあって、以降、私は怒濤のようにビデオを借りまくった。昭和天皇が死んでテレビが追悼一色になった時期があったでしょう。あのとき、ビデオ屋の長蛇の列に並びながら、んーこれで俺も一般市民だなあ、とちょっと寂しかったのを憶えている(この心理、典型的なオタクのもの)。

 あ、そうだ。あの年間200本以上もビデオを観ていた時代、映画仲間(モーテルマップの連中とは違う人種たち)に私家版ビデオガイドを発行していたのだ。今もこんなメールを出していることを考えると、成長してないというか昔も暇だったというか……。今度ここでご紹介します。久しぶりに読んだら結構笑えたので。

 あれ?何の話だっけ。あ、そうそうDVDでした。この普及に何よりも貢献したのがSONYのDVD再生機能付ゲーム機プレイステーション2であることは衆目の一致するところ。ついに昨年は売り上げでDVDがVHSを上回ったとか。印象としてはアッという間である。

 このプレステ2と任天堂のゲームキューブの覇権争いが、昔のVHSとβの対立に実はよーく似ているのだ。ユーザー同士が壮絶に反目し合っているところ(ネット上の掲示板ではお互いの中傷合戦が繰り広げられている)とか、自前の技術とは言えないゲームキューブにDVD再生機能を付けて来月松下が参戦するところとか。

Ps2  マイクロソフトがXboxなるゲーム機で殴り込んでこようが、結局勝負はソフトが左右するのであり、正直にいえば次のドラクエを獲得したハードが主流になるのだろうが(FFについては既に決着がついている。前号でお知らせしたように、スクウェアの139億にものぼる大赤字をSONYが救済した以上、プレステ陣営は確定済み)。

 いずれにしろビデオ再生の主流がDVDに移ったことは疑いなく、こうなったら早くTSUTAYAとかもどんどん棚を広げてほしい。まだまだタイトルは少ないからなぁ……でもメディアの初期に特有の、なんでこんな映画が!?というタイトルもあるので今は幸せな状態にあるともいえる。ゴダールの初期なんてなかなか観れるもんじゃないぞ。

 で実際に私もプレステ2でDVDを観て痛感するのは、その画質と音質の良さはもちろんだけれど、特典メニューでメイキングや未公開シーンを観ることができたり(おまけ、という言葉を聞くと興奮したり、映画館では予告編も楽しみという人には絶対のおすすめだ)、音声と字幕をそれぞれ原語や日本語に選択できる機能がうれしい。

 無理を承知ですべて英語にしてみると、今のアメリカ映画がいかに四文字言葉にあふれているかがよくわかる(F○CKとかSH○Tとかを字幕で観るとなんか笑える)。若い頃からこうやって観ていれば、ここまで英語力が落ちることもなかったろうになあ。この機能はNOVAに通うよりなんぼか有効じゃないか?

 で、その四文字言葉てんこ盛りの「ダイ・ハード」を第一弾に、DVD傑作選、開始します。ああ、また勝手なシリーズを……。

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がんばれ清原

2007-10-30 | スポーツ

Kiyohara1 2001年7月1日付の、清原ファンの悲痛な叫びです(笑)。
今どうしてるんだあいつは。

「おとうさん、野球の選手でだれが好き?」私の影響ですっかり巨人びいきになった息子がきいてくる。
「うーん、清原かなあ」
キヨハラぁ?どうして?」息子は松井ファンだ。
「えーと…」どうしてって…

 …1985年8月14日。第67回夏の甲子園7日目第2試合。山形県人にとって悪夢のような事態が起こっていた。当時は学校もまだ閉庁方式をとっておらず、私は出勤していたためリアルタイムでその試合を見ることはなかったが(職員室で甲子園を見ることが常態となっている職場も多いらしいが、どうも私はそのことに馴染めないでいた……他のことには全くいいかげんなくせに)、うちに帰ってそのスコアに目を疑った。

PL学園29-7東海大山形

ななななんだこりゃあ!?
 この試合をテレビで見ていた連中は、今でも「まいったっけなー、あれは。」と飲み屋で話してくれる。この試合の凄さを数字で追うと、

・毎回得点
・チーム最多得点 29
・チーム最多安打 29
・ 両軍最多安打  41
・ 個人最多安打  6(笹岡)
これらは今でも大会記録だ。

でも、飲み屋で話す連中は、必ず一言付け加えるのを忘れない。「でもやー、あんどぎのPLがら7点も取たんぜー。」

あのときのPL学園。いうまでもなく、投手桑田、四番清原を擁した高校野球史上最強のチーム。関西人が「阪神とやったら勝つかもしれへん」と半分本気で語ったチームである。もっとも、この年、ペナントレースと日本シリーズを制したのはその阪神タイガースだったのだが。

 まあ、7点取ったと言っても、最後の1イニングを投げたのは桑田を引っ込めて出てきた清原で、PLのサービスだったわけ。清原のピッチング、見たかったなあ。にしてもこの大敗、県議会で問題になるほどの大事件で、東海のピッチャーが肩を壊していたことを差し引いても、山形県人にKK(桑田・清原)恐るべし、との強力なインパクトを与えてくれたのだった。

Kk1_2   そして例のドラフト騒ぎになる。桑田の巨人入団を日本テレビではニュース速報まで流したのを憶えているが、清原の涙は巨人を国民の敵にするに十分だった。あの時の巨人の監督は言っとくけど王だからな。ただ、みんな忘れたふりをしているが、あの時巨人が清原を獲れたのに桑田にした、というのはあたっていない。結局くじ引きになることは目に見えていた清原よりも、お得意の密約(あったに決まっている)で将来のエースを掠め取った、こんなところだろう。臆病な王のやりそうなことだ。

そして清原の西武時代。四番バッターとしての英才教育を森から受けた彼が、今にいたるも一つもタイトルを取っていないのは不思議だけれど、オールスターや日本シリーズになると無類の強さを発揮するあたり、目立ちたがりの本性が出ていて私はむしろ好きだ。そして例の1987年の日本シリーズ、巨人を倒して日本一になる第6戦の最終回、二死ランナーなしとはいえ、インプレー中に泣きはじめてしまうという彼の激情は、巨人ファンである私にもグッとくるものがあった。(あれを私は、百姓仕事をしながらラジオで聴いていたのだった。アナウンサーが、『おや?辻が清原のところへ向かいました。どうしたんでしょう?』と不思議がっていたのをよく憶えている)

こんなドラマをかかえた男が、巨人に来たのである。移籍した年に桑田と並んでお立ち台に立った彼の姿にはめちゃめちゃに感動した。

この、背景にドラマを感じさせる、という特質は、プロ選手として最大の財産だ。“記録よりも記憶に残る”ことがやっと認知されはじめた日本球界(これは、タイトルのために敬遠だの先発を外すだのを繰り返す悪弊への皮肉)だが、これ(ドラマ)なしには、メジャーという最大級のドラマに翻弄されつづけるだけだろう。松井秀喜を語るときに、甲子園での連続敬遠を外せないように、何らかのドラマ性をまとわせた選手は球界の宝なのだ。劇空間、とはよく名付けた。ただ気になるのは、その巨人戦の視聴率低迷が叫ばれているけれど、それ以前に、阪神大震災以来(だと思う)、どうも甲子園に誰も思い入れを抱かなくなったと思わないだろうか。本当なら準決勝で大逆転し、決勝で(!!)ノーヒットノーランをやってのけるという奇跡のドラマを生んだ松坂大輔のことなど、実はもっともっと騒がれていいはずだったのに。

あ、話がそれた。清原のことだった。

Kuwata 韓国から、大阪経由で転入してきた応援団出身のそれはこわぁい高校時代の先輩が、お兄さんと一緒に酒田で焼肉屋を開いていた。中学時代には日本語も話せなかったこの強面の旦那が、2年間ダブっただけで酒田のいわゆる進学校に転入してきた陰には相当の苦労があっただろう(だから他の先輩たちも年長の彼には怖れを抱いているようだった)。私がその高校に入学した当時、グランドへ新入生全員が引っぱり出されて応援歌練習をやらされていた昼休み、団の“顔”として睨みをきかせていたその旦那は、新入生の間を無言で歩いていたのだが、私の前で立ち止まり「お前、前へ出ろ」と命じたのだった。歌がお上手だからではもちろんない。態度が悪い、ということだった。同様に前に出された5人ほどの同級生とともに、「歌え」との彼の命令のおかげで、応援歌を情けないほどの絶叫調で歌わされた、それほどの怖い先輩だったのだが、その店で同級生と飲んでいる時、清原のことが話題になった。

※なんでまたそんな怖い先輩の店で飲むんだ、と思うでしょう。実は私の友人たちは全てその先輩に心服しており、焼肉は連中と飲む時はそこでしか食べさせてもらえないのである。おまけにその人は、去年うちの学区に独立して店を開いており、それは美味しいタン塩をサービスしてくれたりするのだ。やさしい笑顔がかえって怖かったりする。

「清原が、朝鮮系だって知ってるか?」先輩がいきなり持ち出す。
「え?そうなんですか?」
「あの強さはな、チョーセンだからだよ。」誇らしげに彼は言う。

彼ら在日にとって、清原は一種、民族のシンボルになっているのだった。その時点で、私にとって清原にもう一つのドラマが加わったのだ。もっとも、先輩兄弟は複雑な家族関係のせいで総連系(北)と民団系(南)に分かれた反目があるらしく、店を手伝っていた彼らのお母さんも加え、客を忘れた壮絶な怒鳴り合いが始まってしまい、それ以上清原の話題が深まることはなかったのだが。

 先日の横浜戦を観ていただけただろうか。レフトスタンドに叩き込んだ清原のホームランを、横浜ファンがグラウンドに投げ返し、それを二三塁間で拾ったランナー清原が、そのボールを一塁側スタンドに投げ入れたシーンを。あんなことは、野球の神に寵愛されたスターにしか起こり得ないことだし、清原が、間違いなく神に愛された男であることを証明して見せた瞬間だ。

今年再びFA権を取得する清原だが、巨人に残るにしろ去るにしろ、私はファンとして変わらずに応援し続けるだろう。どんな未来が待つにしろ、全てのドラマを勲章として身につけてゆく、この稀代のスーパースターを。

↑今でも愛しているんだよマジで。ホントよ。

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黒船(シネコン)来襲

2007-10-30 | 映画

In4 (2001年)8月11日、ついに庄内にもシネマコンプレックス(複合上映施設、だっけか)が開館した。売場面積東北最大級(級、があやしい)を誇るジャスコグループのフラッグシップ、イオン三川ショッピングセンター2階の「aeoncinema(イオンシネマ)三川」がそれ。

 7スクリーン、総座席数1692。音響はドルビーデジタルだのSDDSだの、加えてどの座席からも死角にならない大画面、快適で大きなシート、障害者用の席も確保したバリアフリー、会員になれば点数がたまっていろいろもらえる(らしい。まだポップコーンしかゲットしていないので)マイレージ商法、売場面積に比例した広大な駐車場……黙っていても客がやってきた映画の黄金時代から、ほとんど企業努力をしてこなかった旧弊な興行界にとっては、黒船の名に恥じないモンスターだろう。

 最初のシネコンは、確か神奈川の海老名に、それこそ黒船らしく米資本ワーナーとマイカル(旧ニチイ)が組んで作ったものだが、それこそアッという間に全国に広がり、イオンのような国産のシネコンも数多い。おかげで年々減少を続けていたスクリーン数も増加に転じ、「タイタニック」や「もののけ姫」等のヒットもあって観客動員も上向いた……のはいいのだけれど息が続かず、去年はまた減少してしまっている。昔は10万人以上の人口がなければ映画館が維持できない、と言われていたものが、空白域だった米沢でもワーナー・マイカルが健闘しているように、シネコンという形態は映画から遠ざかりつつあった日本人を再び劇場へ呼び戻してくれたのだ。ああそれなのに、肝心のソフトが追いつかないとは……。

In1  でもまあ、今年は史上空前の夏興行。どんな映画もそこそこに客は入ったわけなので、とりあえず映画産業は息をついているのだろう。しかしこんなことはそうは続くわけないし、シネコンのもう一つの側面“ヒットする映画はどんどん大きなスクリーンで高回転させて動員が加速し、当たらない映画はどんどん片隅に追いやる”が助長する二極化構造に映画界は耐えなければならないのだ。大変だなあ。当たりそうもない映画もどんどん観に行ってやらなくては……って俺はいいカモだよホントに。

例月給与報告、という名で学校を飛び出し、とっとと映画館へ消える不良公務員である私にとって、シネコンが庄内総合支庁のそばに出来るというのは福音以外の何ものでもない。なにかの罠?と思うぐらい。酒田の審査割当が午前中であろうがどうしようが私の学校出発時刻は午後2時半。これは動かせない。

で、はじめてイオンショッピングセンターに入った印象はというと……ベネトンやらコムサがテナントで入っていても、やっぱりここは東田川郡三川町だなと(笑)。平日の午後のここは、田舎臭い女子高生やらくたびれた中年男(俺だ俺)しか見当たらないのである。まあ、その数がひたすら多いというだけで。

さて、実は私、シネコンは初体験ではない。札幌に近所の連中と(百姓のツアーで)出かけたときに、UCIという、これも米資本のシネコンに入ったことがあるのだ。もちろん一人で。他の連中はススキノですんごいことになってましたが(年明けにまた行くことになっているので、詳細をお届けできることと思います。今から不安で胸が……高鳴っている)。でもシネコン体験としてほとんど参考にならないのは、この時観たのがアイマックスシアターにおける「ファンタジア2000」だったから。視界の全てが画面になる、この巨大な上映方式に圧倒され、シネコン云々どころの騒ぎではなかったのである。正直言うと、ちょっと吐き気まで。

2203 おまけに、私はこのときエライ恥をかいている。
予想と違ってほとんど新作になっていたファンタジア(旧作がディズニーの最高傑作であることは疑いない。誰も言わないが、新作の「火の鳥」のシークェンスはナウシカのパクリだよな)に感動した私は、こりゃあパンフも買わなきゃ、と売店のお兄ちゃんに声をかけた。
「はい?……パンフですか?ファンタジアの。ちょ、ちょっと待って下さいね。」お兄ちゃんアタフタと奥に駆けていく。何か悪いことでも言っただろうか。ディスプレイには結構な厚みのパンフが飾ってある。値段をみると980円。パンフも高くなったものだ。
 お兄ちゃん戻ってきて、厳重に保管され、きれいにラッピングされたパンフを奥の棚から出してくる。
「お待たせしました。ファンタジアアートブック、9800円になります。」
「え。」
きゅーせんはっぴゃくえん。」
「……すいません、ギブアップします……。」
かように私のシネコン初体験は苦いものだったのである。

 で、イオンシネマ。ひとつ私にはそぐわない方式をとっている。全席指定、というヤツ。自分の前に人の頭が入り込むことを極端に嫌う私は、とにかく前の方に座るというガキのような性癖を持っている。自分の頭が誰よりも大きいのに迷惑な話だが。でも受付のおねえちゃんに「一番前の席をお願いします!」とリクエストするほどの根性もなかったので、その結果、まあ一番好条件の席ということになっている中央に陣取ることになる。でも、指定されたその席の隣には、ポップコーンをほおばった30がらみのデブ男が既に座っており、結果的にいい年こいたデブ二人が仲良く並んでカンフー映画を眺めることになったのだった。なさけねー。

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不都合な真実

2007-10-30 | 洋画

Goa2 AN INCONVENIENT TRUTH(’06 米)

この映画にはいくつか懸念があった。
①地球温暖化に関して、“(環境保護派にとって)都合のいい”数字だけを羅列するのではないか。
②アル・ゴア個人がフューチャーされることで、温暖化阻止のテーマがむしろ後退しないか。
③二酸化炭素削減をめざす意味で、原子力発電についてどうふれるのか。

……ある面ではその懸念は的中し、ある面では外れた。とにかく圧倒的なのはアル・ゴアのパフォーマンスだ。何千回もスライドショーをくり返したこともあってか、お前は伝道師か!とつっこみたくなるほど見事なのである。あまりに見事なものだから、なぜこれだけの人間がジョージ・ブッシュごときに大統領選で敗れてしまったのかとすら。

 しかし逆に、ゴアの主張は産業界を完全に敵に回すことになりかねないので(実は産業界にとっても有益なのだと説明されるのだが)、急進的で筋金入りの環境保護論者がよくぞあそこまで健闘したよな、と考えるべきなのかもしれない。ちなみに、この映画がパラマウント製なのは、伝統的に民主党支持(ユダヤ人ロビイストが強い)ハリウッドならでは。

 もっとも時間をとって説明されるのは、CO2と温暖化の関連。しかし印象が強かったのは『わずか一世代のスパンで個体数が3倍(20億→60億!)に増えた』人類の不思議さ。こんなむちゃな人口爆発こそ、最優先で解決されなければならないのではないかとも。

Goa3  金持ちのお坊ちゃんが道楽でお題目を唱えているだけさ、と否定する人も多かろう。でも、温暖化は富裕層よりもアジア、アフリカの貧困層を直撃する課題であることもみごとにゴアは説明してみせる。なにより感服したのは『現状に絶望すると、人間は努力をしなくなる』ので、やたらにポジティブに「どんな困難もわれわれアメリカ人はのりこえて来たではないか」とあおる政治家としての姿勢だ。原子力発電に全然ふれないあたりもうまい(笑)。偽善だ、と切りすてることはたやすいが(こんなに批判されやすい主張も珍しい)、デマゴーグと非難されることをおそれずに突っ走るゴアは、確かにノーベル平和賞に値する人物なんだろう。さて、それでは極東の地方公務員は温暖化阻止のために何ができるんだろう。割り箸を使わない?あれはなあ……。

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歴史の責任2~みんないっしょに

2007-10-29 | 国際・政治

Pokemon01 (前号より続く)
山形新聞の投稿欄といえば、ゴリゴリの反動ジジイが「祝日には日の丸を掲げましょう」だの「目に見える国際貢献を」と主張する場になっている。その同じ紙面に佐藤賢一のユダヤ原理主義糾弾の主張が載るのは奇跡に近い。ところが同じ日、『季節風』という欄に、これまた山形新聞らしくないコラムが載ったのである。
今回の戦争に、どうしてまたやみくもに自衛隊を派遣するために与党や一部民主党が躍起になっているか、そのヒントがこのなかにあるような気がする。例によって全文掲載。

お泊まり保育

小中学校の不登校者数は、調査開始以来十年間最多を更新し続け、昨年度は13万4286人になった。「心のケア」を重点にスクールカウンセラーの配置などを行って一定の効果はあるものの、「学校離れ」に抜本的な対策は見いだせないという。不登校予備軍もあわせれば、「学校嫌い」は相当の数に達するものと思われる。

これまで、小中学校教育の問題点が、ずいぶんと指摘されてきた。しかし、幼稚園教育のありようを分析する必要はないのだろうか。義務教育前の段階で、すでにこの国の教育の型が形成されている可能性があるからだ。たとえば「お泊まり保育」。

幼稚園生活を過ごすなかで、子どもたちにとって最も思い出深いものになるもののひとつに「お泊まり保育」があるという。「お泊まり保育に行きたくない」と言い出す園児がいると、「一人でも不参加になってしまっては」と担任団は気をもみ、家庭と連絡を取り合い、「楽しい雰囲気づくり」を心がけながら、なんとか園児を参加させる対策を講ずるのだという。そして、終了すれば「素晴らしい二日間」だったとしめくくる。

The_first_contact 「みんなでいっしょに行動する」ことは、検討されることもなく、いいものだとする自明性に守られている。集団行動に価値を置く一律一斉主義は、文化祭・体育祭・修学旅行などの行事に形を変えてひそんでおり、そこでも西欧に見られるような不参加の自由はほとんどない。息苦しさは、そこからやってくる。言われたことを素直にきける子どもに学校は楽しいかもしれない。学校が推し進める価値とは異なるものを追い求めようと思う児童生徒ほど、自由や選択のない学校に、絶望するのではないか。                          【由】

……脱亜入欧、としゃにむに突き進んだこの国の近代(仲間はずれにされたくない)が、こんな部分に生き残っていると考えるのは穿ちすぎというものだろうか。何でもかんでも“ひとといっしょでなければ”不安で仕方がない、農耕民族特有のこの根性を克服できるのはいつのことだろう。

 数年前、中学の運動会練習を眺めていた英語指導助手が「Too Military(マルデ軍隊ダ)……。」と呆れていたのを側で聞いていた私は、一糸乱れぬ行進に血道をあげる体育教師の興奮した顔に、紛れもない日本人を見たのだった。もっとも、ガイジンに言われなければ何にも気づかないこちらの感性も、間違いなく日本人のものなのだが。

画像は

ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT」(‘01 松竹)
ポケットモンスター/セレヴィ~時を超えた遭遇」(‘01 東宝)

 私も嫌いではないので観はするが、夏休みは子ども映画花盛り。上記以外にも東映アニメフェアとジブリの「千と千尋~」が田舎でも公開され、そこそこにみんな客が入っているのはすごい。特に、狭い劇場で朝一回だけの上映だった「~コスモス」は全席埋まっており、仕方なく最後の一席(しかもパイプ椅子)に娘を抱きかかえながら観た。あっつー。

430699078d9c775b  まあ子ども映画の何が強みかというと、客単価は低いものの、ほぼ確実に大人同伴で来るわけだから動員数が跳ね上がるところだろう。そのため、作る側も引率者を無視するわけにはいかないし、大人向けにそれなりの工夫を凝らしてくれている。ま、文字どおり“子どもだまし”も多いんだが。

 この2本で言えば「コスモス」は懐かしのバルタン星人を哀しきE.T.に位置づけ、ポケモンの方はエンドタイトルにちょっとしたひっかけ(おそらく親の方しか気づかない)が仕込んであり、劇場をでてから親子の会話が成立するようになっている。ありがたいことです。それにしても、だ。客が入ることはわかってるんだから、もう少し面白くできないものか、とも思う。画面に集中し続けることが苦痛だったのは、娘を抱いていたからだけじゃないぞー。

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歴史の責任

2007-10-29 | 国際・政治

Suga さて、同時多発テロが起こった2001年9月11日。以降わたしのメルマガもそっち方面に集中する。今回は地元ネタもからめて……

事務職員へのこの1曲
「Happy Birthday」 福耳(杏子・山崎まさよし・スガシカオ)
詞・曲 スガシカオ

事務職員になって、というか社会人になってラジオは全くといっていいほど聴かなくなった。チャート小僧だった昔(恥ずかしい)が嘘のようだ。おかげでトレンドからは取り残され、新人に食指が動くこともない。
だがある日、さくらんぼテレビのジングル(集まらないCMの穴埋め)で、舟下りの船頭さんが出てくるヤツのバックに流れている曲を聴いたときは焦った。ムチャクチャにいい曲だったのである。周りに訊いても誰も知らないし、これはもうTV局に電話するしか……とまで考えた時にふと気づいた。(当時の)校長の娘がSAYに勤めてたんじゃなかったっけ?早速きいてもらうと偶然とはおそろしいもので……
「あのビデオ、俺の娘作ったんけー」

おお。結局彼女が選んだその曲はFMで結構なヒットとなっていたスガシカオの「黄金の月」と判明。ったくラジオを聴いてないとこれだからな。今なら「夜空ノムコウ」を作った人、で一発なのだが。
 スガをお薦めするのは、長い広告代理店勤務がダテではないな、と思える嫌みなほどの頭の良さが社会人の耳に心地いいからです。もっとも、年末調整に堪能そうな芸能人ってのもなぁ……。
                                                     山形県教職員組合事務職員部報 №310 1999年12月10日

Kyoko ……それが今ではスガの新作はオリコン初登場1位。「夜空ノムコウ」のセルフカバーは効いたなあ、というような話をしたくて昔の部報を持ち出したのではない。今回はこの“校長の娘”の方のお話。この娘、なんと「双頭の鷲」「傭兵ピエール」の著者にして「王妃の離婚」で直木賞を受賞した鶴岡市在住の作家佐藤賢一と結婚してしまったのである。どひー。あの校長が直木賞作家の義父とは。なんとまあ。

 その佐藤が月1回山形新聞の夕刊に『古今東西』という連載を行っている。この10月15日掲載分が素晴らしかったので紹介したかったのだ。山形新聞のサイトに載っていればリンク一発でよかったのに、どうやらやってないようなので全文掲載。んーめんどくさいな。

       歴史の責任           佐藤賢一
アメリカで起きた同時多発テロ、その報復として始められたアフガニスタン戦争について、やはり私も思うところを述べずにはいられない。テロであれ、戦争であれ、まぎれもない悲劇であり、無念でならないからである。

 つとに指摘されるとおり、対立の軸はパレスチナ問題である。アラブ・イスラム教徒に関しては、すでに方々で語られており、ここでは他方のユダヤ人について、少し考えてみたい。私なりに公平に判断して、そもそものイスラエル建国は、やはり乱暴な話だった。そういう言葉を使うなら、まさに「ユダヤ原理主義」の仕業である。

Yamazaki  1948年、もう20世紀も中盤だというのに、紀元前の旧約聖書を持ち出してきたからだ。聖典に俺たちの土地だと書いてあると、見知らぬユダヤ人に強引に移住され、祖国を奪われたアラブ人の怒りたるや、想像に難くない。北方四島をロシアに奪われた程度でも、現に日本人は大騒ぎしているではないか。その理不尽な仕打ちを、圧倒的な武力で応援する国がいたら、まして恨まずにいられまい。アメリカがイスラエルを支持するのは周知の通り、穏健なユダヤ人がアメリカ市民として、この国に一大勢力を築いているからである。ユダヤ人を怒らせては、大統領は選挙に勝てない。ばかりか、連中は財界、政界、官界と進出して、過激派でも仲間は仲間だと、イスラエル支持を政府に強烈にプッシュするのだ。これでは過激な原理主義者を応援する、穏健なイスラム主義者の心情を、責められた義理ではなかろう。

 いや、違う、とアメリカ人は反論するかもしれない。ユダヤ人もイスラムもなく、これは国際社会とテロリズムの戦争なのだと。が、このテロという蛮行も、実はユダヤ人が元祖なのだ。イスラエル建国前夜、当時の標的はパレスチナ統治を放棄しない、イギリス帝国主義だった。ユダヤ過激派は現地の防衛委員会事務所、移民管理局、税務署、鉄道などを破壊した。なかでも46年、エルサレムでイギリス要人が宿泊していたキング・デイヴィッド・ホテルの爆破テロは有名である。が、このときはイギリスもアメリカも報復戦争などしかけていない。腹立たしい思いは同じはずなのに、どうしてユダヤ人には報復せず、あまつさえイスラエル建国まで容認したのか。様々に政治解釈は可能だが、私は欧米人の心理の底にはユダヤ人には強く出れないという一種の弱みがあるからだと考えている。

 イスラエル建国は実は単体では理解できず、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺の反動として位置づけられる事件である。戦勝国の論理では、ヒトラー政権の所業は絶対の悪だった。これを声高に非難しながら、当時の欧米人の本音といえば、かなり後ろめたかったに違いない。ユダヤ差別はイギリスでも、フランスでも、アメリカでも、どこでも行われていたからだ。ゲットーに隔離したり、異端審問の餌食にしたり、あるいはペストの流行まで、井戸に毒を投げられたとユダヤ人のせいにしたり、それは中世の昔からキリスト教徒に一貫してきた態度なのだ。そうした自分たちの醜悪な横顔を、ナチス・ドイツに極端な形で表現された後に、今度こそ抑圧から解放されたいとユダヤ人に立ち上がられれば、気まずさで腰が引けてしまう気分もわからないではない。が、だからといって、アラブ人にしわ寄せが来る筋だろうか。それが欧米人の歴史ならば、どんなに辛くとも欧米人みずからが、最後まで責任を取るべきではないのか。

Satokenichi  いずれにせよ、日本人には関係ない。あげくの戦争に荷担して、欧米人の後始末をしてやる義理もない。日本の旗が見えないと笑いたいなら連中には笑わせておけばよい。本当に馬鹿にされるべきは、自分で自分の尻も拭けない輩だからである。それでも他人の尻拭いをしたければ、その前に日本人は自分の歴史に、きちんと責任を取るべきだろう。かつて迷惑をかけたアジア諸国に、今度こそ尻ならぬ、晴れやかな顔を向けられるように。

……イスラエル建国については、とにかくイギリスが悪かった、と乱暴な括り方でしかとらえていなかったが、なるほどこんな側面もあったわけだ。ひとつ注目してほしいのは、佐藤が今回の事態を「同時多発テロ」と「アフガニスタン戦争(こう言い切ったのは佐藤しか知らない)」にはっきりと分けていること。私もそう思う。今回の戦争が始まったのは、断じて9月11日ではなく、アメリカとイギリスが空爆を始めた時点からなのだと。
(この項つづく)

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パール・ハーバー

2007-10-28 | 洋画

Pearlhabortop 観るつもりの人はとっくの昔に観ているだろうし、観ていない人はおそらく絶対に観ないだろうから総括させてもらう。勝手な決めつけでごめん。

題材や展開からいって、アメリカ礼讃になることは目に見えていた。実際そのとおりだったし。どうしてこう、もっと刈り込めないのだ、とイライラするような恋愛ドラマとしての拙劣さ、これも当たっている。偉い日本人はいつもマコが演ずる不思議。悪評さくさくのアウトドアにおける御前会議よりよほど不自然だろう。天皇はあそこにいたかなあ。ちょっと言えてるかも、と思ったのは『市場としての日本』を意識して、零戦のパイロットがハワイのがきんちょに「逃げろ!」と叫ぶシーンが挿入されたあたり、卑怯なんじゃないか、との評。でも作ったのがアルマゲドンのコンビ。作り手は商売しか考えちゃいまいから仕方ないっしょ。

でも、“敵としての異邦人”の描き方って、ハリウッドはいつもこの程度じゃなかったか?ほとんどマンガ状態のナチス・ドイツ。不気味そのもののベトコン。日本人はこの映画に顕著なように『いつも絶叫している』民族。これらがアメリカ人にとってのパブリックイメージなのであろう。当然誤ったイメージだし、思いこみは不遜だし、西側文化バンザイ(というか西洋以外に文明が存在することを連中は心の底では信じていない)もいい加減にしてくれ、と絶叫しちゃうぞ。

しかし、彼らは映画というプロパガンダの手段、情緒に訴える極めて有効なメディアを完全に手中にした民族なのだ。制空権、制海権に似た『制メディア権』を握っている。その覇権をもとに、実は底の浅いドラマを壮絶なSFXでくるんで見せる。王者の企みである。横綱相撲というか。

Head2 これはある程度仕方のないことだ。これがつらいというのなら、狭量な保守層のように「こんな映画を観るな」と突き放すか「こんな映画で感動するなんて今の若いモンは」と嘆じるしかない。日本人がこの覇権に異を唱えるためには、小兵なら小兵なりの文化の発信をしなければならないと思う。娯楽映画としてのHIROSHIMAとか。あまりにも極端な例で誤解されそうだけど。どうしてもそれ(世界を相手に商売する、世界を納得させる)が出来ないとなれば、やはりあの戦争は聖戦でもなんでもなく、侵略の延長線上にあったということだろう。少なくとも世界は今そう見ているし、日本人である私ですらそう思っているのだから。

先日の教育テレビで、スピルバーグのインタビュー番組があり、彼が父親の出征について「西側世界を守る戦争に父親が参加できたことを誇りに思う」と断言していた。スピルバーグがユダヤ系(ハリウッドど真ん中)であることを差し引いても、現在のハリウッド→アメリカの制メディア権がかなり強固であることがうかがえる。インテリですらこうなのだ。労働者階級の『黄色い猿』や『赤い髭面』への嫌悪は相当なものだろう。この偏見をひっくり返すのは並大抵の努力ではない。

Head  まして「パールハーバー」では“零戦アタック”をまるで自然災害のように描く余裕さえ見せている。中盤の四十分間の戦闘シーンで、愛国者ではないにしろ日本人の私をほとんど高揚もさせないのだから相当なものだ。ひたすらリアルで、陰惨ですらある。歴然とタイタニックを意識していることがバシバシ感じられるし。実在のコックが戦闘に参加する挿話とか……意味なかったけど。

 肝心のアメリカでこの映画がうけなかったのは、きっとこの、高揚しない、というファクターによるのであろう。後半にとってつけたようなドゥリトル中佐(アレック・ボールドウィン、見事に太ってました)指揮の本土空襲シーンがあるのも、無理矢理アメリカ人を高揚させなければ、とのフォローだろう……失敗してるけど。

 ただ、恋人を死んだ友人に取られ、友人のこどもを彼女とともに育てていこうとする男の物語、これをもっと押し出してくれればそんなに“唾棄すべき映画”とか“あの糞映画”とか言われなくて済んだのに。ラストの夕暮れの飛行シーンとか、良かったじゃないか、素直に見れば。

Toratoratora  それにしても、こんな下手くそなタイタニックの二番煎じでこれ程語らせてくれるのだからハリウッドの底力は並ではない。製作者ブラッカイマーの商売の手法とその失敗を拝見させていただいただけでも金を払った甲斐はあった。若い頃なら激怒していたかもしれないが、「トラ!トラ!トラ!」に続いてこれもコケたことで、もう二度と真珠湾の映画って作られないだろうし。

 おわかりだろうか。この映画における日本、および日本的なるものの存在が、現在のパレスチナ、およびイスラム的なるものに見事にシンクロしていることを。例のテロを“パールハーバー以来”と煽るなど、被害者としてのアメリカの執念深さとファナティックさを思い知らされる映画。                    
あ、もう一つ。ラストの、アメリカが途中までこの戦争で勝てる確信が持てなかったというナレーション。あれは作為的すぎるってもんだろうよ。           ☆☆☆

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小泉政局も読む

2007-10-28 | 国際・政治

Koizumi  加藤政局に続いて四十男の居酒屋政治談義。2001年5月1日にわたしはこんなことを考えていたわけ。今でも同じ部分もあり、もちろん違う部分もある。はっきり言えば、小泉純一郎の影響は予想をはるかに超えて大きかった。もちろん、悪い意味で(T_T)

 ちょっと困ったことになった。組合の幹部たちはそう思ったのではないだろうか。自民党総裁選小泉圧勝。首相就任後の内閣支持率87%。ここは大方の予想通り橋本にもう1回参院選を戦っていただいて、一気に政権交代に持ち込もうとの腹だったのに、というところだろう。私もそう願っていたし、そうなるだろうと思っていた。ここで小泉人気がこうまで爆発されたのでは、サメ頭野郎森喜朗がせっかく(笑)自民党支持率を下げてくれた功績が消えてしまうではないか。

Mori  それにしても退陣してからも出てくる出てくる森への悪口雑言。アメリカ政府筋からは「この1年、日本の低レベルな対応が……」と平気で切り捨てられるし、新聞の総括は「(小渕のように)いい首相のふりをすることさえ出来なかった」ここまで書くか。朝日の首相番の女性記者との確執が首相動静で読めなくなったのは寂しいが、座持ちがいいだけの、要するに市町村議レベルの男を国の最高責任者に選んでしまうとこんな結果になってしまうことの痛みは、ひろむちゃん(この人が誰よりも総理大臣になりたかったことはヒリヒリ伝わってきた。被差別出身…自分で広言しているらしい…の首相が実現したら、それはそれで画期的だったはずだが)もよーく理解したことと思う。だいたい、森が政治家としてやりたかったことって《教育勅語の復活》という、要するに田舎の小うるさいジジイがよく口にする類のことでしかなかったわけだろ?首相でいることそれ自体がただ嬉しくて仕方のない男に、一年も舵取りを任せたこの国はやはり不幸だった。

 しかし小泉のこの人気はなんだぁ?おらが故郷のセンセイの言うことに従順きわまりなく従ってきた自民党員の本領はどこへ消えた?近岡理一郎に不承不承小泉に票を入れさせるほど、保守層は“目覚めて”しまったというのだろうか。

 違うと思う。

Koizumi2 マスコミが騒ぐほどに、彼らが覚醒してしまったはずがない。あえて甘く見るが、ひたすら彼らはウンザリしてしまっただけだ。利益誘導一本やりで国政を考えてきたあいつらが、そう簡単に構造改革に耐えられるものか。

私たち事務職員にしたってそうだ。事務研の時に前田日教組事務職員部長が言っていたが、加藤紘一が政権をとったら義務教育費国庫負担問題なんぞ木っ端微塵だろうとのことだったが、小泉の改革路線はそれ以上ではないか。まるで守旧派扱いの我々にその覚悟が出来ているだろうか?

Makiko 誤解されると困るのだが、日本のことを考えたとき、少なくとも今は小泉が最良の選択なのかもしれない。前任者に国民が辟易していて、民主党は鳩山がトップのうちは怖くない、こんな機会にでもなければ、竹中平蔵や田中真紀子が入閣できるはずもなかったし(この二人を私はまったく評価していないが)。でもなあ、いきなり憲法改正だの自衛隊に失礼だのとの発言を小泉がしているのを聞くと、後ろにサメ頭野郎や中曽根戦後最低軍人宰相の操り糸が透けて見えて(立候補する時になんか言われたに違いないしな)……。それに盟友山崎拓はサメ頭以上に憲法改正ぐらいしかやる気と能力は無さそうだしなあ。マスコミの持ち上げ方も田中角栄や細川護煕の時とまるっきり一緒だし、なんか、やっぱりこの国は残念ながらまだまだ下降しなければ目覚めたりはしないみたいだ。長野や栃木、そしてあの千葉の知事選の流れが、一気に小泉に収束される様子は、見ていて寂しいの一言に尽きる……。

以上、シロート政談第二弾でした。ほんと、参院選(自民党が調子に乗ると衆参ダブル)どうなるんだろう。

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