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【動画】映画・ドキュメント=瀬長亀次郎 /TBS報道の魂 「米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローをしっていますか?~」

2016-08-22 14:05:47 | 沖縄

映画・ドキュメント=瀬長亀次郎


映画「カメジロー・沖縄の青春」 
 

<!-- 映画「カメジロー・沖縄の青春」 -->

 

http://www.tbs.co.jp/houtama/

報道の魂

動画 クリックを⇒報道の魂SP 2016年8月21日 160821 - Dailymotion動画


普天間基地の移設をめぐり、国と沖縄県は再び法廷闘争に突入した。開廷前の集会で、演説する翁長知事を大声援で、県民が法廷に送り出す。沖縄のほかに、日本のどこにこんな光景があるだろうか。そして、一人の政治家と集まった県民を一体感、高揚感が包む光景は、多くの県民にとってかつての沖縄を髣髴させるものだった。

ある人はこう語る。「あの時代があったからこそ、いまがある」

あの時代とは、事件事故、婦女暴行などを繰り返し、沖縄住民の人権もかえりみなかった占領米軍の圧政に立ち向かった時代。その経験が、いまの姿に結びついているという。その闘いの先頭に立った政治家がいた。その人物の名は、瀬長亀次郎。

演説には毎回何万もの市民が駆けつけた。影響力を削ごうと米軍が投獄しても、市民の支持はさらに高まり、亀次郎は、その後那覇市長に当選。激化するソ連との冷戦の中で、「赤い市長」と亀次郎を恐れ、さまざまな圧力で追放を試みる米軍との攻防が始まった。

銃剣とブルドーザーによる土地強奪に向き合った土地闘争は島ぐるみ闘争になり、そして日本復帰運動に結びついていったが、それをリードしたのが亀次郎だった。

亀次郎と民衆の闘いを伝える資料館「不屈館」の館長を務める、亀次郎の次女は「父は沖縄を団結させるためにやっていた」と語る。まさに、保守革新を超えたオール沖縄の原点といえる。

それから半世紀以上の時を経て、辺野古移設反対の民意に一向に向き合おうとしない政府と対峙する現代のリーダーに、県民たちもかつての亀次郎を重ね合わせる。

沖縄戦後の占領下で何が起き、亀次郎は、どう占領軍と対峙し、民衆はどう立ち上がり、復帰へ向かったのか、そして、その時代はいまの闘いにどう結びついているのか…瀬長亀次郎の姿を通して、数々の証言により沖縄戦後史を掘り起こしながら、現代の辺野古闘争に通じる沖縄とこの国の姿を浮き彫りにしていく。

 

 

<関連動画>

瀬長亀次郎=沖縄返還の軌跡

 

 

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8/21反戦を訴え続けた、むのたけじさん死去=101歳、ジャーナリスト/【動画】「むのたけじ渾身の訴え!」2016.5.3憲法集会にて

2016-08-22 00:04:29 | 平和 戦争 自衛隊

むのたけじさん死去=101歳、ジャーナリスト

時事ドットコム http://www.jiji.com/jc/article?k=2016082100111&g=obt

 従軍記者として戦争報道に関わった反省から、終戦の日に新聞社を退社し、反戦を訴え続けたジャーナリストむのたけじ(本名武野武治)さんが21日午前0時20分、老衰のためさいたま市の次男宅で死去した。101歳だった。秋田県出身。葬儀は密葬で行われる予定。
 1936年に東京外国語学校(現東京外語大)卒業後、報知新聞社を経て朝日新聞社に入社。戦時中は従軍記者として、中国やインドネシアの特派員を歴任したが、自分の記事に責任を感じて45年8月15日に退社した。
 48年に秋田県横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊。78年に780号で休刊してからは、反戦の立場から執筆や講演などの活動を続けた。著書に「日本で100年、生きてきて」などがある。 (2016/08/21-14:04) 

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むのたけじ渾身の訴え!

          (引用元: 市民のチカラを見よ!~東京・憲法集会に5万の人波 - レイバーネット日本 )

むのたけじさん(101歳、ジャーナリスト/写真)は車椅子で登壇し、「戦争は、相手を殺さなければこちらが死に、死にたくなければ相手を殺せという世界。戦争は決して許されない。憲法9条こそが人類に希望をもたらす。70年間、戦死させず、他国民の誰も戦死させなかった道はまちがっていなかった」と話し、満場の拍手を浴びた。

2016.5.3憲法集会が最後の訴えがとなった。2分20秒ごろより