異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

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★画期的!NHK解説スタジアム 「どこに向かう 日本の原子力政策 LIVE」 - Dailymotion動画

2016-08-28 19:18:36 | 福島、原発

★NHK解説スタジアム「どこに向かう日本の原子力政策LIVE」 - Dailymotion動画

http://www.dailymotion.com/…/x4ql7be_%25E3%2581%25A9%25E3%2…

 (こちらでもご覧になれます。⇒ 解説スタジアム 160826 - PANDORATV

 
北川高嗣教授「これがNHKかと目を疑う。画期的! 」

北川 高嗣さんFBより

当たり前のことを、当たり前に素直に受け止め、当たり前に発言しているだけ。

これがそうだけど・・・

画期的だな。NHK、ライブならでは。

解説スタジアム 2016年8月26日。
「どこに向かう 日本の原子力政策」

 

規制委員会の現在の基準と実施形態は、
住民避難を保証しない。
ハードウェアが「基準」を満たしているかを確認しているだけ。
社会的リスクを担保していない。
10キロから30キロ圏は、事故時の避難先が決まっていない。
はっきり、原子力を続けるのはムリ。
避難計画を作ってまで、原発を動かす必要はない。
裏側のコストを加味していない。作るまでに現在価値で45兆円相当を国庫をつぎ込んでいる。
福島の賠償金、除染に9兆円、税金をかけているがそれは、国民が電気代として負担するのとなんら変わらない。
常識的に40年ルールを採用すれば、2030年のエネルギーポートフォリオは実現できない。
40年寿命から20年延長は、現実にはザル法になっている。
(40年超えの原発が事故を起こしても、どのみち、保険もなく、誰も責任を取らない(取ることはできない)。)
現実には、新設(リプレース)しない限り、安全性を確保しつつ 今言われているエネルギーミックス(2030年時点での原子力の割合20−22%)を実現できない。
核のゴミの処理については、手付かず。処分場はどこに?過去20年、処分場を公募したが、候補地はなかった。強制的に設置することができるのか。これからでは、20年、30年かかるだろう。
アメリカ最終処分地は、ヤッカマウンテンは、30年かけたが、白紙に戻った。(白紙に戻したのはオバマ。)
誰かが、犠牲にならなければならないものをなぜ拡大するのか? 信頼が土台だがその信頼は全くない。
核燃サイクル?どうしようもない。実質的に破綻している。
現実にもんじゅが破綻している。運営主体がない。運営主体が変わるというが現実には存在していない。
やめるべき。(単純明快)潔くやめるべき。
矛盾大爆発。

原発10年でやめるべき。(10年でエネルギーシフトは終わる、次世代の新エネルギも目白押しで目処がつく。これが世界のペース)

などなど・・・これが、NHKかと、わが目、わが耳を疑うこと請け合い。

【写真解説委員はこの6名:

島田敏男・板垣信幸・関口博之・竹田忠・水野倫之・髙橋祐介 各解説委員

6名いっぺんには辞めさせられないだろうという勢い。

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上

全員が言いたい放題。
避難計画、作れよ。
事故が起こるというのは最早「前提」とすることがFukushima以降、世界の常識となっている。


規制委員会は、「安全を保障するものではない」
自分でそう言ってしまっているではないか。

じゃあ、地元住民はどうすればいいんですか?
 
 
2018年7月、原子力協定が切れる。
安倍さんはこれを主テーマとして、継続か破棄かを含め、
国民的議論をきちんとするべき。
(アベシの任期は現状、2018年9月) 
核燃サイクルやめると使用済み核燃料が、資源からタダのゴミになっちまうからやめられないんだよ。
 
 
審査したって、基準が甘けりゃやったってしょうがないんだよ。
住民の避難計画がないもの(審査基準)を、厳しいなどと言わない。
テロ対策にしろ、地震、火山、津波対策にしろ、全てが甘い。
 
もんじゅ、破綻している。きっぱりやめるべき
 
 
 
 
 
 <関連記事 天木直人のブログ
 

原発政策は不可であると断言したNHK解説委員たち(続) |

 この番組は国民必見の番組である。 情報をいただいた読者に感謝するとともに、他の読者と共有したいと思う。 ... 原発政策は不可であると断言したNHK解説委員たちの勇気
 
 
 
 

世の不条理と戦うことを止めてしまえば、世界は独裁者のものになってしまう 〔渥美志保 | 映画ライター〕

2016-08-28 06:59:26 | ご案内

http://bylines.news.yahoo.co.jp/atsumishiho/20160827-00061554/

世の不条理と戦うことを止めてしまえば、世界は独裁者のものになってしまう

(写真:ロイター/アフロ)

 

今回はフランスで大ヒットした社会派ドラマ『ティエリー・トグルドーの憂鬱』から、主演俳優ヴァンサン・ランドンさんのインタビューをお送りします。リビューはこちら!

フランスの映画賞セザール賞常連の名優であると同時に、出版社の創立者を叔父にもち、自身もジャーナリストの経歴を持つヴァンサンさん。ヨーロッパだけでなく日本でも深刻化する中高年の失業や、相対的貧困をテーマに、職探しをする父親を主人公に描き、昨年のカンヌ映画祭とセザール賞で主演男優をW受賞。カンヌ受賞時には「やっと自分の職業を息子に誇れる」とコメントして涙したヴァンサンさんの入魂の作品です。ということで、まずはこちらを!


 

この映画で得た出演料のほとんどを、製作費につぎ込んだそうですね。

シナリオを読み、物語がすごく気に入ったんです。私は世の中で起きていることを反映した映画が好きなんですが、この映画は今ある絶対的なリアルを描くと同時に、希望を与えることもできると考えましたし、こうした作品を通じて、私なりに政治に関わることができるのではないかと思っています。でも本当に低予算の作品でしたから、いつものようなギャラをもらうのではなく、そのほとんどを製作につぎ込んで映画を実現することになりました。

こうした社会派の作品は資金が集めにくいということですか?

そういうわけではありません。今回の作品にも、カナル・プリュス(制作会社)やアルテ(テレビ局)などの資金も入っていますし、その気になれば出資者を集めることはできたと思います。でもそれよりも、私も監督は作品を作るうえでの自由を優先したということです。興行成績などを考えずに、自分たちが思うように映画を撮ることが大事だったんです。ある意味とても贅沢なやり方かもしれません。観客の支持が得られず、資金が戻らなくとも構わないという覚悟で作ったわけです。でも実際には想像を超えて、映画は大ヒットしたんですけれどね。

ご自身はブルジョワの家庭に生まれ、フランスでも多くの賞を獲得している名優で、ご自身が失業する実感はないのでは?

脚があって普通に歩くことのできる人間だって、車椅子に興味を持つものです。たとえブルジョワでありスターであっても、娯楽作に出て大きな報酬を得ることよりも、自分の大義のために身銭を切って作る作品を、自ら選んでいるわけです。アラン・カヴァリエ監督の『パテール』、フィリップ・リオネ監督の『君を思って海を行く』、そして今回のような作品を。

https://youtu.be/z_bQXkIvonk?t=13

映画の仕事において最近ますます感じていることは、芸術一般の中でも特に映画は、「人々の意識を呼び覚ます最も素晴らしい手段である」ということです。こうした映画を作ることで、微力ながら世界をいい方向に向かわせることができるのではないかと思っています。

ヒットの理由は何だと思いますか?観客の反応や、それを受けて感じたことを教えてください。

おそらくこの作品のテーマに興味を持った方が多かったのでしょう。本当に残念なことですが、失業や雇用に関する問題は、フランスのみにとどまらない、普遍的な問題です。

こうした流れは全世界的で、ドイツやポーランド、スペイン、アメリカやロシア、日本でもそのうち深刻化すると思います。人口は増える一方なのに、機械化によって人間の仕事がどんどん奪われてゆく。でも職業や食料は十分にあるとは全く言えません。

現在、フランスの失業者はは450万人、これは全労働人口の7%です。スペインでは労働人口の25%、つまり4人に一人が失業者です。これは失業した本人のみならず、その家族や子供にも降りかかる問題です。報酬が得らえる仕事を失うのは、誰にとっても大きな苦悩です。対応に急務を要する問題だと思います。

登場人物はスーパーの店員もレジ係も、みんな本物の方たちだったそうですね。特に訓練所でティエリーの模擬面接のVTRを周囲の若者にケナされる場面など、ご自身が俳優としての演技を批判されているかのような、生の反応に見えました。

私自身は特に違いはなく、いつもと同じやり方で仕事に臨みました。でもおそらくいつもよりも、内容的に現実的であったかもしれません。面接のシーンはおっしゃるとおりです。私はあのシーンを、本当に自分が経験しているかのような――言ってみれば素人の俳優たちが、プロである私の演技を批判しているかのような感じです。内容は俳優の演技についてではないのですが、みんなが私の演技を批判している、私の俳優としてのいいところ悪いところ、なぜ自分でなく彼らではなく私が演じているのかとか、そういったことを言われていると、自分の中で置き換えて、そしてそういう場面を実際に生きました。

フランスではテロや移民など様々な問題が起こっていますが、これまでと何か変わってしまったと感じることはありますか?

もちろんあります。日本で地震が起きる前と後で「何か変わりましたか?」と聞かれているのと同じです。人生や文化がそのことによりひっくり返りました。事件の前と後では全然違います。

その変化とは、社会から寛容さが消えているということでは?本作品に関連付けて言えば、スーパーで店員が起こす小さな不正は、以前なら即解雇というほどの問題ではない気がします。

そうです。規則が増え、人口が増え、リスクが増え、公害が増え、暴力が増えています。決して私は批判的なスピーチをしたいわけではありません。私は人生を愛し、希望も持っています。今後を生きる若者にも、希望のある世界を生きてほしいと願っています。でも現実は、とても暴力的で、多くの手段を持たない人にとってはとても生きにくい、困難な時代だと思います。

映画のラストは、そうした不条理な社会システムの一部にならざるをえない男の小さなレジスタンスでしかない、無駄な抵抗にも思えました。この結末に、あなたは何か意義を見出したのでしょうか。

私はティエリーの決断が無駄だったとは決して思いません。この世から彼のような人間が消えてしまったら、その時こそ世界はおしまいです。独裁者が一方的に弱者をいじめるという社会になり、マーティン・ルーサー・キングも、ジャン・ムーラン(第二次大戦中の、フランスの対独レジスタンスの指導者)も、日本にいたに違いないそうした人たちも、現れないということになります。

ティエリーのような人間が、ひとり増え、ふたり増え、100人増え、1000人増えてこそ、世の不条理と戦っていくことができるんです。彼のような決断により人々を啓蒙し、そうした価値観を親から子供に引き継いでいくこと。それなくしては、世界が悪い方に向かうスピードを少しでも遅らせることはできません。初めから諦めてしまったらお終いです。

それがあなたがこの映画を作った「大義」なんですね。

そうです。この映画に限ったことではありません。周りを見て、助け合い、困っている人には手を差し伸べる。平凡に聞こえるかもしれませんが、それが唯一の方法だと思います。

 

リビューはこちら!

『ティエリー・トグルドーの憂鬱』公開中

公式サイト

渥美志保 映画ライター

TVドラマ脚本家を経てライターへ。FRaU、GOETHE、ELLE Japon、コスモポリタン日本版など一般誌のほか、企業広報誌などにも多く寄稿。J-WAVE「KEY COFFE METROPOLITAN CAFE」にてシネマスターとして映画を紹介。TOKYO FM「FMシネマ」では構成とキャスティングを担当。現在は映画を中心にカルチャー全般のインタビュー、ライティングを手がける。お仕事の依頼は、フェイスブックまでご連絡下さい。