中さん

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日記(7.27)コラム「上川氏の「胆力」

2018-07-27 17:26:23 | 日常
7月27日  (金曜日)    晴れ

40度越を経験したら32〜33度が涼しく思えるから
不思議だ。これから一気に疲れが出てきそうだ。
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夕方は自治会の敬老会参加出欠資料のコピー取りを数人で
 支援センターで行ってから
 市の体育館で熊谷スポーツ新聞の広報委員会に
 18時から出席。
 帰る19時をまわる頃、西空が真っ赤に染まっている
 実際はもっともっと赤かった。


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コラムに

 「カミソリ」の異名を持つ後藤田正晴氏が、宮沢喜一内閣で法相に就任したのは、
  平成4年12月である。
  翌年3月、3年4カ月ぶりの死刑執行に踏み切り、賛否の大きな議論を巻き起こした。

 ▼実は後藤田氏は、個人的には死刑廃止論に傾いていたようだ。
  廃止論者として知られる元最高裁判事の団藤重光氏の著書について、
  「考え方に僕は反対ではない」と著書に記していた。
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 ▼それでも決断が揺るがなかった理由を国会で述べている。
  「裁判官に重い役割を担わせているのに、
   行政側の法相が(死刑を)執行しないということでは、
   国の秩序が保たれるか」。
 

  上川陽子法相の死刑制度についての考え方は知らない。
  少なくとも、国の秩序を保つという信念
  後藤田氏と共通しているらしい。
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 ▼地下鉄、松本サリン事件などオウム真理教による一連の事件に
  関わったとして殺人の罪に問われ、死刑が確定した
  教団元幹部ら6人の刑が昨日、執行された。
  これで確定囚13人全員の執行が終わったことになる。
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 ▼小紙連載「モンテーニュとの対話」で桑原聡記者が指摘したように、
  上川氏の「胆力」には脱帽する。

  法相就任の際、「為政清明」という大久保利通の座右の銘で決意表明していた。
  心を澄まして、平成の日本を震撼させたテロ集団の始末をつけた。
  どんな批判も受けて立つ覚悟ができているのだろう


 ▼元教祖の麻原彰晃死刑囚ら7人の死刑は6日に執行された。

  翌日の新聞はまた、昨年3月、千葉県で起きた女児殺害事件の被告に対する
  無期懲役の判決について伝えていた。

  「これでは娘が天国に行けない」
  肩を落とす父親の言葉が胸に突き刺さる。
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  後藤田氏は、死刑をめぐる世論にも敏感だった。
  廃止はまだ、日本にはなじまない

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★個人的には凄い政治家だったと思っている後藤田氏
★1カ月で2回、計13人の死刑執行は“極めて異例”といえるもの。
 死刑執行には法務大臣のサインが必要だが、
 落合弁護士は上川法務大臣の心情について
 「腹を決めたのでは」と推測。
 「今後生涯、警護が付かざるを得ないかもしれないと言われ、
  残っている教団の関係者がテロの対象にする可能性もありうる。
  9月以降に内閣改造や人事異動がある中で、
  上川法務大臣としては『自分の代で決着をつける』と
  腹を括った面があるのでは」と述べた。
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日記(7.27)上之村神社「例大祭」

2018-07-27 15:13:23 | 日常
7月27日  (金曜日)   晴れ

上之村神社の夏の例大祭に出かける。




実際に毎年雅楽の演奏が行われるのはが凄い。

通常はテープで流す事が多いのだが・・
天皇御在位30年のお祝いも一緒に行われている。
神社庁のポスターも張ってある。
氏子・総代は準備も大変であったことであろう。
榊を備えて40分程が経過・その後少しだけ
”なおらい”に顔を出して帰宅。
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  神社庁(じんじゃちょう)とは、神社本庁の地方機関である。
  全ての都道府県に1つずつ設置されている。
  各神社庁は、「○○県神社庁」のような名称となっている。
  「県」「庁」とついているが、都道府県や国の機関ではない。
  
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  神社庁は、都道府県の神社の人事財政などの諸事務や、
  神社・神職の指導、祭祀・地域活動の振興を図る活動などを行っており、
  また、神社の活動の広報窓口となっている。

  神社庁の事務所は、ほとんどの場合
  その都道府県で比較的大きな神社の境内または隣接地に置かれている。
  神社庁の下部機関として、支部が置かれる。
  支部は、都道府県をいくつかの地区に分け、各地区に1つずつ設置されている。
   ~~~~~~
   多くの神社庁は宗教法人となっており、
   その場合は、神社本庁の被包括法人である。
   その場合でも、その都道府県下の神社は神社庁ではなく、
   直接に「神社本庁」の被包括法人となる。
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日記(7.27)コラム「われ一人腹を切て、万民を助くべし」

2018-07-27 14:07:51 | 日常
7月27日  (金曜日)  晴れ

徳川家康といえば、何より我慢のイメージが強い。
といっても、けっして戦いを忌避したわけではない。
桶狭間の戦いから、天下分け目の関ケ原の戦いまで、
合戦だらけの生涯だった。

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 ▼そんな家康の伝記を書いた歴史家の笠谷和比古さんは、
 「われ一人腹を切て、万民を助くべし」との副題を付けている。
 
 天正12(1584)年の小牧・長久手の戦いでは、
 豊臣秀吉相手にほぼ勝利を収めていた。

 ▼それでも日々興隆を極める秀吉の求めに応じて、
  家康は上洛を決意する。
  強硬派の家臣に対して、
 「自分一人が犠牲になることによって、万民を助けることができるだろう」と
  なだめたという。
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 ▼「若い頃は織田信長、豊臣秀吉が好きだった。
   年を取るにしたがって徳川家康の生き方に共感を覚える」。


  自民党の岸田文雄政調会長は先週、名古屋で行った講演でこう述べた。
  その岸田氏は、9月の自民党総裁選への不出馬を表明し、
  
  安倍晋三首相の3選支持を決めた。自らを家康になぞらえて、
  一人腹を切ろうというのか。
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 ▼昨日の小紙政治面に載った市原すぐるさんの漫画には、
 思わず膝を打った。
 サッカークラブの少年12人と男性コーチが救助されて、
 世界の注目を集めたタイの洞窟が舞台である。

 救助隊が水たまりに飛び込むように促しても、
 岸田氏は足がすくんで動けない。
 漫画が示す通り、戦う勇気がなかった、との印象がぬぐえない。

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 ▼岸田氏が率いる宏池会は、政争に弱いことから「お公家集団」
  と呼ばれてきた。
 NHKの大河ドラマに登場する公家は、優柔不断で頼りないと決まっている。
 しかし、幕末の激動期を生きた公家たちの実像は違う。

 ●n志士たちを煽(あお)り、幕府相手に権謀術数を重ねていた
 (『公家たちの幕末維新』刑部芳則(おさかべよしのり)著)

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