中さん

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日記(3.31)

2022-03-31 11:48:20 | 日常
3月31日(木曜日) 晴れた。 花曇りに・

昨年、玄関前に植えておいたスミレが良く咲いた。

かなりいい加減に植えておいたのに丈夫な植物だなあ~!
桃の花も玄関の隅っこで咲いている。

サクラは今、どこでも満開だ。
枝垂れ桃も満開の様子だ。

★畑の整理に行く。第二畑の伸びてしまった黄からし菜・杓子菜をかたずけ
 背丈ほどあるので木と同じだ。ボリュームがある。汗びっしょりだ。
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コラムに
私たちの隣人はもう正気を失ってしまった-。
痩せこけた子どもがこんな歌詞を口ずさむ。
街角で大人が配給のパンを巡り殴り合う
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▼その様子を壁画に描かれたスターリンが見下ろす。
 旧ソ連の独裁者は小麦の束を手に誇らしげだ。
 約90年前、旧ソ連のウクライナで大飢饉(ききん)があった。
 3年前に製作された伝記映画「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」で知った。
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▼彼が指導する集団農業の失敗が原因だ。
 かの地は「欧州のパンかご」
 呼ばれるほどの穀倉地帯。

 なのに農民は種もみまで国に取り上げられた。
  干ばつや冷害による凶作なら天災だ。
  だが政権が国民の飢えを知りながら
  収穫を奪えば人災や虐殺になる

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▼惨劇は「ホロドモール」と呼ばれ、
 1990年ごろまで史実は闇の中だった。
 ロシア文学者の故・木村浩さんが紹介した現地報道によると
 餓死者は1日2万5千人、1年で700万人に上った。
 正確な記録はなく、犠牲者は1千万人を超すという説もある
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▼木村さんは、飢饉を隠ぺいしたのは社会主義体制下での
 誤りを表沙汰にしないためではないかと推し量った。
 いまウクライナに侵攻したロシアは、
 戦火の下の現実から自国民の目をそらそうと躍起になっているようだ
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▼ウクライナでは1千万人を超える人々が家を追われた。
 その規模はホロドモールを想起させる。
 スターリンは飢饉や大粛清を引き起こしたとして、負の遺産を歴史に刻んだ。
 ウクライナへの侵攻を命じたプーチン大統領は、
 どんな代償を払うことになるのか。
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  ◆ホロドモールとは、1932〜1933年にかけてウクライナ人が住んでいた地域で
   起きた人為的な大飢饉である。当時のウクライナは、
   ヨシフ・スターリンが最高指導者を務める旧ソ連の統治下にあった。
   この出来事は、
飢饉を意味する「ホロド」と、疫病や苦死を表す「モール」を合わせて、
  「ホロドモール」と呼ばれている。
   オスマン帝国のアルメニア人虐殺や、
   ナチス・ドイツが行ったユダヤ人に対するホロコーストなどと並んで、
   20世紀最大の悲劇のひとつとされている。

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   なぜ人為的大飢饉が起きたのか
   多くの犠牲者を生んだホロドモールは、
   ソ連が1929年から行なった農業集団化(コルホーズ)のシステムが原因とされている。
   ウクライナの自営農家(クラーク)の土地は没収され、
   農民は集団農場と国営農場に組織されていった。
 収穫した穀物は政府に徴収され、外貨獲得の有効な手段として国外に輸出された。
 しかし、その輸出量は国内消費分が不足するほど過剰で、
 恵まれた土壌を持つウクライナでも、課せられた収穫高の達成は困難であった。
 加えて天候不順も重なり、穀物の生産量は激減。
 食料が底を付き多くの農民が餓死する事態へとつながったが、
 スターリンは外貨獲得のために飢餓輸出を行い続けたのだ。
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上毛新聞コラム
今まであまり深く考えず見聞きしてきた・庚申信仰のこと。

人の体の中には虫がいて、60日に1度、人が寝ている間に抜け出て
 天帝に日ごろの行いを知らせに行く。内容次第で寿命が縮むから、

 その「庚申かのえさるの日」は虫が外に出ないよう寝ずに過ごす-
 中国から伝わった庚申こうしん信仰である
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 ▼江戸時代に大流行し、これにちなんで各地に建てられたのが庚申塔
  信仰の弱まりとともに存在感は薄れたが、
  いまも道路脇や寺など身近な場所にひっそりたたずむ
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 ▼建立する際、名のある書家の揮毫きごうを望む人が多かった。
  京で活躍し、「上毛の三筆」と言われた下野田村(現吉岡町)生まれの
  角田無幻(1743~1809年)の人気も高かった
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 ▼子どもの頃から見事な筆跡で周囲を驚かせた。
  天皇に習字の手本となる「千字文」を献上するほど  
  高名になった一方で、書を欲しがる庶民には書き損じを装って渡すなど、
  気さくな人柄を示す逸話が残る

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 ▼元小学校長の須田昭司さん(70)は無幻の書が刻まれた庚申塔を調べている。
  おととしに仲間と研究会をつくり、無幻が養子に行った寺がある渋川市赤城町を中心に
  約130を確認した。鴨川のほとりに修験道の学校を建てるなど、
  書道以外の行いも敬愛された理由と考える。
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 ▼それだけに、存在や功績が知られていないのが「もったいない」。
  とりわけ若い世代に郷土に目を向け、誇りを持つきっかけにしてほしい。
  そんな願いも込めて調査・啓発を続けている。
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庚申塔(こうしんとう)とは
 庚申塔は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する
 庚申信仰に基づいて建てられた石碑、石塔のことで、
 単に「庚申」と刻まれたものや「庚申搭」と刻んだもの、
 あるいは金剛像が刻まれたものなどさまざまなものがあります。

 庚申の年(最近では昭和55年)や庚申講(こうしんこう)を
 3年18回続けた記念に建立されることが多といわれています。

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 庚申講とは、庚申の日に人間の体内にいるという三尸(さんしの)の虫(むし)という虫が寝ている間に天帝(てんてい)※にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、庚申の日(60日に1回まわってくる日)に夜通し眠らないで天帝や猿田彦(さるたひこ)や青面金剛(せいめんこんごう)※を祀って宴会などをする風習です。
 庚申塔の石形や彫られる神像、文字などはさまざまですが、
 「申」は干支(えと)で猿に例えられるため、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り
  村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多くあります。
  同様の理由で庚申の祭神が神道では猿田彦神(さるたひこのかみ)とされ、
 猿田彦神が彫られることもあります。

 また、仏教では、庚申の本尊は青面金剛とされるため、
 青面金剛が彫られることもあります。
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★近くでは神社の参道に建てられる庚申の旗など見ることもある。
 信仰とは凄い歴史があるんだなあ~!
 ●私の虫も”はい出て良い報告”をしてくれたらと思うが
コメント
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