中さん

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日記(2.1)

2023-02-01 08:36:05 | 日常
2月1日  ② (水曜日)  晴

新潟日報 日報抄 記事2月1日
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 きょうから2月。
 今冬がことさら厳しく感じるのは気温の低下が著しいからか。
 外を歩くと、コートやマフラーのわずかなすき間から冷気が入り込む。
 家にいても部屋の中がなかなか暖まらない
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寒さで体の熱が奪われ、低体温症になり命を落とすことを凍死という。
 室内で凍死する人が増えていることは、あまり知られていない。
 低体温症というと山岳遭難など屋外で起こるイメージが強いが、
 救急搬送された人のうち7割が屋内での発症だったという調査結果もある
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▼夏場は熱中症に注意せねばというのは常識のようになった。
 しかし2000~21年の
 ●凍死者は約2万2千人で、
 ●約1万6千人だった熱中症死の1・4倍にもなった。

  熱中症よりもさらに危険な存在/といえそうだ
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▼とりわけ体温の調節機能が衰えがちな高齢者は温度への感覚が鈍くなり、
 寒さを感じにくくなるという。
 取り返しのつかないことになるかもしれない
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▼切ないのは、
  暖房に使う燃料費や電気代が大幅に値上がりしていることだ。
  命あっての物種だけど、財布が空になれば生きていくのは難しい。
  どちらに転んでもつらい。あまりに厳しいジレンマに、心はいっそう凍り付く。

▼室内での凍死が増えている背景には、
 高齢者の独居など孤独が深まっていることもあるという。
 この点では熱中症と同様だ。周囲の見守りなど、人の温かさが大切になる。
 社会のぬくもりの水準を少しでも上げて、冷えを防ぎたい。
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「冷え性」よりも危険な「低体温」
 自覚がないまま進む「低体温」

「冷え性」は、人が寒さを感じない程度の温度環境で、
  手足や下半身などが冷えて、つらいと感じる自覚症状のこと。
  指先などが冷たくなっていても、
  身体の中心部の温度は正常なことが多くあります。
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一方「低体温」は、深部体温(脳や内臓など身体内部の温度)が下がってしまうことをいいます。
自覚がないまま進む「低体温」
 深部体温が35度以下になると、激しい震えや、
 判断力の低下などの症状があらわれ、「低体温症」と 診断されます
 体温が下がるにつれ、筋肉の硬直、脈拍や呼吸の減少、血圧の低下などが起こり、死に至ることも。
 自覚がないまま進行することもあるため、
 高齢の人や、寒い中屋外作業をする人は注意が必要です。
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★注意!がいるなあ~!
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日記(2.1)

2023-02-01 08:08:43 | 日常
2月1日  (水曜日)  晴
早いもので、2月になってしまった。
何もしないうちに時は猛スピードで流れ去り
振り返っている暇もなし。
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NHK大河ドラマ”どうする家康”が始まった!
今までの家康像とは大分違う感じだ。徳川=「松平」
そこで門松の松と竹の斜め切りの事が思い浮かんだ。
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門松の竹の先端が斜めと平らの違いは?

◆最初は平らだった門松を斜めに切るようになったのは、いつからなのか?
 諸説ありますので、これから代表的な由来を幾つか・・
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 徳川家康 vs 武田信玄説
   一番有名な説は、徳川家康だと言われています。
   ときは戦国時代に遡ります。
    徳川家康と武田信玄が戦った三方ヶ原の戦いという合戦が年の瀬にありました。
    そこで家康は、命こそ落としはしなかったものの、信玄に大敗します。
    さらに勝った信玄は、新年の挨拶の歌を詠んで家康へ送ったそうです。
   その歌がこちら。
       「松枯れて 竹類なき あしたかな」
    単純に現代語訳するとこんな意味です。
    「松が枯れて、これからは竹が類をみないほどに繁栄していくだろう。」
    ここでの松は、家康のことを、竹は信玄のことを指します。
    それを踏まえて解釈すると…
    松平家(家康)が滅んで、武田家のみが今後は栄えていく、いい年明けだ。
   そんな意味に捉えられます。
    さて、そもそも松がどうして徳川家康なのか?についても、  
     徳川家康の徳川は、実は改姓後の名前で、旧姓は松平なんです。
    だから、武田信玄は歌を詠むときに、
    自分を植物の竹に例えるのと同じように植物の松と家康の松平をかけたんですね。
    戦にも負けて、こんな挑発的な歌まで送られた家康は、まさに怒り心頭。
     でも、自分の家臣から歌を詠みかえた一句を言われた途端に上機嫌に。
    その歌がこちら。
      「松枯れで 武田首なき あしたかな」
    松(家康)は枯れずに、武田信玄の首が飛ぶ、めでたい年明けだ。
   なるほど~!と声が出そうなくらい、とんちの利いた素晴らしい返しです。

   ●実際にはこの時・・信玄公はもっと先に行っていたらしいが・・
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   この歌になぞらえて、
   門松の松を打ち首のように斜めにスパンと切り落としたのが由来と言われています。
    ちょっと歌の部分は出来過ぎた話のようにも聞こえますが、
   負けた戦を悔いた家康が信玄になぞらえて竹を切ったとされるのは、
   有名なエピソードです。
   家康が天下を治めた江戸を中心に竹を斜めに切るそぎ型が生まれ、
   その後全国的に主流になっていったと言われています。

   実際、そぎ型の門松は中心に斜めに切られた竹があり、
  その周りを松が覆うように飾られています。
  この説を聞いてから、門松をもう一度思い浮かべてください。
   松(家康)が周囲を完全に包囲し、信玄の首をとったように見えませんか?
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  門松は神の依り代
  門松は、松かざり、立て松ともいい、
  年神(正月神)さまを家に迎え入れるための依り代と考えられています。
  神様が宿ると言われるのは常緑の樹(常盤木:ときわぎ)で、
  その中でも松は「祀る」につながることから、
  平安時代から門松として正月飾りに使われてきました。
  神様が宿るのは常緑の木なので、地方によってはクリスマスツリーとしても使われる
  『樅の木(もみの木)』や、最高級の将棋盤・碁盤にも使われる『榧の木(かやのき)』で
  お迎えするところもあるようです。
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  現代の門松の元祖ともなる
  竹と松を一緒に飾るようになったのは、鎌倉時代以降のようです。
  門松の竹を斜めに切る理由は、狸親父が関係している?
  門松というと、竹を斜めに切ったものが飾ってあるとの印象が強いですが、
  竹を水平に切る門松もあります。
●竹の先端を斜めに切ったものを「そぎ」
 ●「水平に切ったものを「寸胴:ずんどう」
  と呼びます。
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◆諸説あるうちの2つ目は医者にまつわる話です。
 江戸時代、江戸城に飾られた門松は、
 武士の間にも広まり武家屋敷にも飾られるようになりました。
 そのころの門松は、細工をしていない竹の束でした。
これを見た江戸の一般庶民はまねをしますが、
 竹を使ったのでは申し訳ないということで笹を使用しました。
 そこで考えたのが、身分は武士より下ですが、庶民よりは上にあたる医者です。
 笹を使わず、竹を使った門松を飾りましたが、
 武士に遠慮して竹を斜めに切り落としたものを使用したということです。

  一説には笹は群生して笹藪(ささやぶ)となるので、
 藪医者と思われないように笹を使わずに竹を使ったという説もあります。
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◆3つめは、斜めに切ると笑顔に見えるためという説もあります。
 しかし、口をあけて笑うのは江戸時代~明治時代まで、
 地方では戦前まで、はしたないことと思われてきたので、

 この説はインスタ映えが流行っている現代的な解釈ではないかと思いますね。
 どの説も、これはと思うような根拠はないのですが、
 ちょっと想像してみるとお正月も楽しめるのではないでしょうか。
★とうに過ぎた正月を大河ドラマが思い出させた。
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