夜な夜なシネマ

映画と本と音楽と、猫が好き。駄作にも愛を。

脱ステロイドのこと。

2021年09月16日 | ほぼ非映画(アトピー)
巷で脱ステロイドのことが話題になっていると昨日知りました。
“ザ!世界仰天ニュース”で脱ステを好意的に取り上げたせいで炎上しているとのこと。
先週だったか、友人からチラリとそのことは聞いたのですが、
まさか鶴瓶中居くんの番組だとは夢にも思わず。
エライことやってしもたんやなぁと苦笑いしてしまいました。
 
私はその番組を観ていないので、どんな取り上げられ方だったのかわかりません。
Yahoo!ニュースとコメントを見て想像するのみ。
ゴールデンタイムに安易(ではないのかもしれないけれど)に取り上げていいネタではないですよねぇ。
 
かくいう私が脱ステに挑んだのは2013年のことでした。
最初はステロイドを止めて、ワセリンで保湿していましたが、
快方に向かっているかのように見えてまた逆戻り。
これで「乾燥ガビガビ療法」なる方法を知り、脱保湿もすることに。
 
ここから私の地獄の戦いが始まります。
襲い来る痒みと痛み。それに耐えて耐えて耐え続ける毎日。
そりゃもう大げさではなく、死んだほうがマシだとすら思いました。
 
でも、ここまで耐えているのに、またステロイドに頼るのは嫌だ。
絶対に薬を塗るまい、保湿もするまいと自分に言い聞かせました。
手がほぼ治ったと思った後、首やお腹、脛に湿疹が出て、
掻き壊してぐちゃぐちゃになったこともあります。それでも何も塗らず。
結果、皮膚が鍛えられたのか、すべて放置で治りました。
この「放置する」「何もしない」ということが一番きついのですけれど。
 
完全に治ったと言えるまでには6年ほどかかったのではないでしょうか。
一昨年辺りまでは、たまに指から出血したりしていましたから。
脱ステ脱保湿を始めて以降、擦り傷、切り傷、虫刺され等にも何も塗りません。
虫に刺されて痒くてたまらないときは、かまわず掻きます。「ナマ掻き」は厳守(笑)。
でも治りがめちゃめちゃ早いです。跡もわりとすぐに消えます。
 
番組で脱ステロイドで完治したという人に取材していたのだとしたら、
それはやらせなどではない、本当に完治した人なのだと思います。
でも、この方法は人には決して薦められない。ものすごくつらいから。
それに、私の場合は顔に湿疹は出ていなかったから耐えられたのかもしれません。
もしも手と同じ症状が顔にも出ていたら、脱ステは断念していたと思います。
 
私の手の状態が最も酷かったとき、同僚が「そんな手になっているのに、
ご主人は家事を何も手伝ってくれないんですか。人でなし!」と、
私に代わって憤慨してくれたことがあります(笑)。
そうそう、ダンナは「可哀想やなぁ」と言うだけで、
炊事洗濯なんにもやってくれなかったけど、まぁそれでよい。
脱ステしていることに対してごちゃごちゃ言われるようなら無理でしょう。
家庭、職場、友人知人、みんなが理解して応援してくれる状況でなければ無理です。
 
もしも脱ステ脱保湿を検討していらっしゃる方がいれば、それは応援したいと思う。
ここに完治した者がおりますゆえ。
 
ほぼ完治にいたるまでの体験記についてはこちらにまとめています。
今でもカパッと上げて使っていることがよくあります。

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打倒、手湿疹の巻〈エールをおくる〉

2015年02月08日 | ほぼ非映画(アトピー)
今でも毎朝、前日の「検索キーワード」を見るのが楽しみです。
笑えるキーワードもいろいろありますが、
相変わらずランクインしていて笑えないのが「手湿疹×脱ステ」、「手湿疹×脱保湿」。

映画と本にほぼ特化したブログにもかかわらず、
この検索キーワードでここにたどり着かれた方々の多さを知ると、
つらくて仕方なかった頃のことを思い出します。

先月、そうした方々のうちのおひとりからメッセージをいただきました。
脱ステと脱保湿を始めて約1カ月半だそうで、お仕事を休職中。
本当にこの方法で治るのか、治るならばどれぐらいの期間を要するのか、
それが不安で送ってこられたメッセージでした。

「乾燥ガビガビ療法」を始めてから私はもうじき丸2年。
死んだほうがマシとさえ思っていたはずなのに、今ではそれが嘘だったよう。
でも、その方とメッセージをやりとりしている間にいろいろよみがえります。

怖かったものあれこれ。
箸、歯ブラシ、ボールペンなど手で握らねばならぬものはすべて脅威。
トイレットペーパーホルダーに関しては今もトラウマ。
アルミホイルを切るときのギザギザも同様に怖い。
ファスナーの端が当たると痛くて、鞄の中は落屑だらけ。

治癒の度合いや速度は人によって異なると思うので、
楽観的な話をしてはいけないのでしょうけれども、
乾燥ガビガビ療法は耐えるだけのことはあると信じています。

私に言えるのは、「痒かったら我慢しすぎるな」。
思う存分、掻いて良し。ただし、「ナマ掻き」で。
爪は常に短く切って、服の上からは決して掻かないように。
そして、掻いた後は自己嫌悪に陥らぬこと。

暗くならない。ひたすら前向きに。
この状況を笑いのネタにするぐらいのつもりで。
……なんてことは、関西人にしかでけんかもしれませんが。(^^;

昨年、少し早めの忘年会の折り、
アラ還のお姉様から高田郁の『みをつくし料理帖』をお借りしました。
このお姉様のおかげで時代小説アレルギーはなくなったというものの、これは全10巻。
いったいいつ読み終われるやろと思いながらお正月に着手。

江戸時代後期、大阪で水害に遭い、天涯孤独の身となった少女・澪は、
大阪隋一の料理屋「天満一兆庵」の女将・芳に救われて奉公人に。
料理人として天性の素質ありと主人から見込まれた澪は、一兆庵で腕を磨きます。
ところが今度は火事に遭い、店を持つべく先に江戸に向かった芳の息子・佐兵衛が行方不明に。
澪と芳は一兆庵の再興と佐兵衛探しのために江戸へ。
「つる家」という蕎麦屋から誘われて、澪は料理人として働くことに。
おおまかにはこんな物語です。

次巻を読むのが楽しみでたまらず、しかし最終巻を前にすると、読み終わるのが悲しくて。
RPGでラスボスを倒したらこのゲームが終わってしまうと思うと、
寂しくてラスボスをいつまでも倒しに行けずにいるのと似ています。

どうして手湿疹の話からこんな時代小説の話になるんだと言いますと、
第7巻の『夏天の虹』に「これ!」という箇所があったから。
実はこの巻はAmazonのレビューで唯一評価が低かった巻。
と言っても、ほかの巻が4.5なのに対し、この巻だけ4.0だという程度なのですけれど。
澪に降りかかる、これでもかという不幸災難。
それにうんざりするというレビューが多く見受けられました。
しかし、私は泣けて泣けて。

脳卒中で倒れた知人がろくに食事を摂らなくなり、
食べる気を起こすような旨いものをつくってほしいという依頼が澪のもとへ。
手を使うのが不自由なその人のため、澪は食べやすいものを懸命に考えます。
柔らかいもの、喉を通りやすいもの、匙で食べられるもの。
そうして料理を提供しますが、その人はやはり食べません。
なぜなのかがわからず、信頼できる医師・源斉に相談したときの言葉に涙が。

「ひとの身体には、病に打ち勝つ力が潜んでいるように思います。
 あまり手を貸しすぎては駄目なのです」。

時間をかければ箸を使って食べることができるのだから。
澪が考えた「鯛の福探し」は、脳卒中の人だけではなく、
病ゆえに食べることに興味を示さなくなっていたの心を捉えるのでした。

手湿疹には箸は脅威となるので、やはり匙のほうがいいですけれど(笑)。
人に本来備わっている力を信じること。

エールをおくります。

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打倒、手湿疹の巻〈ひさしぶりに近況レポート〉

2014年08月15日 | ほぼ非映画(アトピー)
以前、「検索キーワード」について書きました。
前日の検索キーワードを見るのが毎朝の日課。
1年以上経っても、挙がるキーワードにはさほど変化がないのですが、
毎日必ずランクインしているのが「手湿疹」に関係するキーワード。
「手湿疹×脱ステ」だったり、「乾燥ガビガビ療法」だったり。
毎日誰かが悩んでいるんだなぁ。

で、私の手がその後どうなっているのかについて、
ちらりと書いてからすでに4カ月が経過。
今日はひさしぶりに書いてみます。

思い返せば去年の今頃はまだドツボの状態。
落屑も半端ではなかったので、車に乗るときは白手袋を着用していました。
去年はあまりに汚くてここには書けなかったのですが、
酷い落屑は掃除機をいくらかけてもキリがなく、秋口にはダニに狙われました。
ただでさえ手が痒いのに、全身をダニにやられて涙目に。

掃除機をかけるのも大変でした。
手のどこかに当たればすぐに出血するような状態で、
ぼやきながら部屋や車に掃除機をかけまくっていた時期もあります。

数カ月前までは、10本の指のうち、常に3本ほどの指のどこかが割れて、少々出血していました。
それらの指の爪はまだガタガタですが、
今日現在、酷い状態にあるのは右手の小指1本のみです。
酷い状態と言っても、去年の今頃に比べたらなんちゅうことなし、
ちょっと痒くて掻きむしることがある程度。

脱保湿が効果的だということを信じられずに踏み切れない人もいるかと思いますが、
私の経験だけから言えば、ものすごく有効です。
脱保湿にチャレンジしてから、手がどんな状態になろうとまったく保湿していません。
薬やハンドクリームはもちろん塗らない、ワセリンもまったく塗らず。

手だけでなく、昔ステロイドを塗った覚えのある腕や足の脛も、
脱ステと脱保湿を始めたら、手ほど酷くはなくてもエラい状態になりました。
浸出液も多い時期がありましたが、それでもいっさい何も塗りませんでした。

ただひたすら爪を短く切り、痒いときには我慢しない。
服の上からは決して掻かない。痒いときには「ナマ掻き」で(笑)。
こうしていたら、本当に皮膚は強くなりました。
掻いてもそんなにエラいことにはならないし、快復ははやいです。

皮膚が強くなると言うと、皮膚が分厚くなるようにお思いかもしれませんが、ちがいます。
ステロイドを塗っているときは、治ったように見えても治っておらず、
皮膚の悪い層にどんどん上書きされて、それこそ皮膚が分厚くなっていました。
けれど、脱保湿を始めたら、悪い層が剥がれ落ちて行き、
そのうち再生された柔らかい皮膚、しかも逞しくなった皮膚が出てくる、そんな感じ。

チベットにはアトピーの人がいないと聞き、
そうか、保湿しなければアトピーの症状は生まれないのかと感心しましたが、
とは言うものの、さすがに顔をまったく保湿しないとチベット人になってしまいそう。(^^;
顔にだけは化粧水等を用いていますが、からだのほかの部分はまったく保湿なし。
これでぐんぐん快復してきたのですから、本当に人間のからだって凄い。

症状がなかなか改善されなくて、憂鬱になっている人も多いと思います。
だけど、努めて明るくするよりほかありません。
手がぐじゃぐじゃでも好きなことにいそしむ。映画を観て本を読む。
そういえば、人前ではあまりに見た目が汚いので手袋を着用していましたが、
電車の中で手袋をしたままでは本の頁をなかなかめくれず、
頁をめくることに集中する自分が可笑しくてひとりで笑ったことも。
飲みたいときにはお酒も飲む。そのせいで手が痒くなってもそこは自己責任。
飲みたい気持ちと痒いのを耐える気持ちと天秤にかけて。
イライラするときは、たまには大声で「んがぁぁぁ、もうっ!」と叫びましょう。

こんなぐじゃぐじゃな皮膚が治るわけない、そう思っていたのに、
いつのまにか改善されていました。

トイレットペーパーホルダーがいちばんの脅威だった頃の名残で、
今でもトイレに入るとホルダーの蓋部分を持ち上げる習慣が取れません。
どこかの劇場のトイレでカチッと蓋を持ち上げる音が個室から聞こえてきたら、
それは私かもしれません。

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打倒、手湿疹の巻〈今年最後のレポート〉

2013年12月21日 | ほぼ非映画(アトピー)
闘いはじめたのが2月の半ばすぎ、
初めてここにUPしたのは3月初めの「打倒、手湿疹の巻」でした。
〈第2ラウンド〉〈第3ラウンド〉〈その後〉〈その後のその後〉
〈その後のその後のその後〉と来て、
〈その後のその後のその後のその後〉をUPしたのがお盆の頃。

正直に言って、2月の時点では3カ月ぐらいで治まるだろうと思っていました。
いや~、甘かった。今でもまだ爪がボコボコのカワイくないお手々です。
だけど、当初は死んだほうがマシだと思うぐらいの辛さでしたから、
それに比べれば今の状態は「屁」でもありません。

秋口までは落屑が酷く、布団はもちろんのこと、車の中にもボロボロと。
そのボロボロ落屑を片付けるべく掃除機をしょっちゅうかけていましたが、
出血箇所も多々あるから、掃除機の操作がまた痛い。
仕事中も机周辺の落屑が気になり、ガムテープを常に置いていました。
これでペタペタと回収することが日に何度も。

現在は出血箇所はありません。
皮膚がステロイドと保湿に頼るのをキッパリ止めたと見えて、
何も塗らなくてもあまりカサカサ感がないんです。
脱ステ・脱保湿前はハンドクリームなしの冬なんて考えられませんでしたから、
去年より皮膚自体つよくなっていることが実感できます。

思い返せば、脱保湿をはじめたとき、頭や耳まで体中が痒かった。
からだが全力で水分を手に回そうとしていたのだと思います。
あちこち痒くてたまらなかったけれど、それでも保湿しなかったら、
じきに落ち着いて来るのだから、からだって凄いです。

そういえば、この間ハデに転んだときも、その後の治癒がなんだかはやい。
これって、手湿疹の荒療治のおかげなのかもと思わずにはいられません。
えぐれていた手のひらや顎も現在はほぼ元通りです。

リバウンドはもうないと、最近ようやく思えるようになりました。
やっぱり痒くなることはありますが、生理中もアルコール摂取中もたいした変化はありません。
あとは爪がきれいになるのを待つのみです。

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打倒、手湿疹の巻〈その後のその後のその後のその後〉

2013年08月11日 | ほぼ非映画(アトピー)
いちばん最近書いた〈その後のその後のその後〉がほぼ2カ月前。
まだ完治のご報告はできないのですが、
前回は「凝視しなければわからない程度」だったのが、
いまは「話している相手が忘れるぐらい」になりました。

この間までは、悲惨だった時期を知っている人と会うと、
その人の視線が自然と私の手に向き、
「うわぁ、よくなったねぇ」と言われていました。
それがいまは視線が向かないぐらい普通になったということです。
レジで財布を出す手を見てギョッとされることはもうありません。

手の甲は見た目は普通、だけど、触るとちょっとざらざら。
色素の沈着があるため、なんだかズズ黒いです。
爪はまともな数本を除いてボコボコ、早く綺麗な爪に生え変わってほしい。

いまだに夜中に掻きむしってしまう指もあります。
おもしろいのはそれがあまり意識したことのない指ばかりだということ。
特に重症なのは右手の薬指で、この指のせいで憂鬱になるほど。
あまり使わない指だと思っていたのに、この指が使えないと、
お箸を使うとき、物を書くとき、とにかく不便です。
その指も含めて、特に酷かった数本の指は、第2関節の部分がしわしわで可愛くない。(--;

こんなふうにまだまだではあるのですが、あの悲惨だった時期のことを思えば、
いまの状態はなんちゅうことありません。
「死んだほうがマシ」だなんて、軽々しく言ってはいけないとわかっていても、
いちばん酷かったときには夜な夜なそう思っていましたから。

友人の知り合いが最近脱ステ・脱保湿をはじめたそうです。
スタートの状態は私よりはマシらしい。
友人が当時の私の手を振り返って言うには、「あんなに酷い手の人は初めて見た」。
だもんで、友人は知り合いに「すっごかった人(=私のこと)がおるねん。
長いことかかってたけど、治りやったで」と言うてはるらしく、これは私もめちゃ嬉しい。
だって、薬を何も使わず保湿もせずに治るなんて、
実際にチャレンジした者とそれを見ていた人しか信じられないでしょうから、
私のことを見ていた人が、チャレンジしようとしている人に話して、
それでいつか治ると信じられるのであれば嬉しいですもんね。

がんばる。がんばれ。

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