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小田原の端々



小学校の校庭には様々な記念に建立されたモニュメントや彫像が置かれている。酒匂にある下府中小学校には昭和30年代に行われた児童の善行を記念したブロンズ像が校庭の傍らに立っている。小田原市酒匂の下府中小学校。前の校舎は中里にあったが昭和54年1月に現在地へと移転した。下府中小学校の校庭の一画に置かれているブロンズ像は友愛の像と呼ばれていて、昭和39年に建立されたもの。上級生が下級生をいたわりながら登校している等身大の像で、校舎の移転とともに友愛の像も現校舎へと移設された。この友愛の像は昭和30年代の下府中小学校での児童たちの善行を記念したもの。昭和31年の春、小児マヒのため足の不自由な男の子が下府中小学校に入学。男の子は入学式以降、毎日母親に背負われて登下校していた。当初は冷たい目で見られがちだった親子は、母親のけなげな姿と勉強熱心な男の子の姿勢に、次第に同情するものが増え、年長の6年生の間で皆で男の子の世話をしようとの話がまとまったのは昭和31年の夏のこと。そして、昭和31年の2学期から毎朝6年生が男の子の家に3、4名のグループで訪れ、学校までの1.5kmを交代で背負いながら通学。男の子の身体が大きくなった3年生からは手押し車を利用しての登下校となったが、男の子の世話は毎年6年生に受け継がれ卒業までの6年間、学校のある日は毎日続けられた。男の子が卒業する際に母親から寄付の申し出があり、いつまでも友愛の精神を児童たちに伝えようと記念像が建立されることとなった。記念像は地元の彫刻家の横田七郎氏が制作。横田氏の息子が在校中に男の子を背負ったことがあることから横田氏から製作の申し出があった他、記念像建立の話を聞いた地区民などからも寄付が集まり友愛の像が完成した。友愛の像の完成と共になかよしの歌も作られ、その歌碑が友愛の像の隣に置かれている。歌詞は「おはよう 二人でみていてね いじめっ子する子はないかしら よい子を二人でみていてね おはよう二人でいていてね」で当時の児童たちが考えたもの。この友愛の像の除幕式は昭和39年3月10日に、小田原市長をはじめ地区民や学校関係者など約千名が参列して盛大に行われ、なかよしの歌も披露された。学校ではこの像が出来たことを記念して毎年5月の開校記念日に6年生が1年生をいたわる行事が行われるようになった。建立からまもなく50年が経過する友愛の像。当時の児童たちは現在では還暦前後の年齢になっている。

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