お気楽忍者のブログ 弐の巻

ミニカー収集/お魚採取/動植物フォト/行楽記・・・趣味のごった煮ブログ

【大阪城散策】森之宮 噴水広場

2023年04月25日 17時00分00秒 | 大阪城公園散策

太閤はんの城下町、JR大阪環状線 森之宮駅前

カテゴリ<大阪城公園散策の積み残し記事があったのでサクッと紹介します。

今回は森之宮の大阪城公園入口にある噴水広場をぶらぶらしてみましょう

噴水広場の中央には大きな噴水があり、それを囲むように飲食店などが配置されてます。

外国人観光客は西の大手門や南の桜門から入場する人が多いから、公園南東にあるこの広場は観光客よりも市民の憩いの場所になってますね。

スターバックスコーヒー

パンとカフェのR Baker(アールベイカー)

ローソンも周りの風景に合わせてか、小洒落たカラーリングになってますね。

BorneLund Playville(ボーネルンドプレイヴィル)は子供向けの室内と屋外あそび場を組み合わせた施設。

ボーネルンドはデンマークの知育玩具メーカーですね。全国各地の百貨店やモールなどにも売り場があったりします。ドイツのミニカーメーカーSIKU(ジク)の代理店にもなってるから、以前はよくボーネルンドショップにも行ったりしました。

まだ開館時間前だったから、誰も居ませんでしたが、外の遊び場はこんな感じ。

森之宮駅前から噴水広場に至るアプローチには毎年、春と秋になると植木市が開催されます。

この辺りは元々、生國魂神社の東に広がる森で、聖徳太子が用明天皇を祀る鵲森宮(かささぎのもりみや)を造営し、この神社の通称である森之宮が地名の由来となりました。

過去にも紹介した鵲森宮

聖徳太子は両親の用明天皇・穴穂部間人皇后を御祭神として祀り、後にこの森に四天王を祀る四天王寺を創建しました(四天王寺は後に現在の天王寺区に移転されてます)。

社殿前の狛犬の台座には大阪大空襲時の弾痕や焼夷弾の跡も残ってます。

つづく

過去記事<【大阪城散策】お堀めぐり

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【大阪城散策】お堀めぐり

2022年12月02日 18時00分00秒 | 大阪城公園散策

極楽橋と天守閣

カテゴリ<大阪城公園散策

大阪城公園の風景の中で管理人が一番好きなのが、北側の内堀に架かる極楽橋から眺めた天守閣。

今回は大阪城のお堀を中心に紹介します。

内堀(北側)

まずは本丸を取り囲む内堀。

本丸は寛永元年(1624年)の徳川による大阪城再築第2期工事で豊臣時代の本丸に盛り土を施し、その周りを総延長2.7kmの石垣で取り囲みました。

内堀に浮かぶ天下一の黄金の和船『大阪城御座船』。

豊臣期の大坂城と城下町を描いた屏風絵「豊臣期大坂図屏風」の中に見られる秀吉の「鳳凰丸」をモデルにしたそうです。

コロナ感染拡大時期は営業されてませんでしたが、今年10月に訪れた時は大阪城御座船の内堀周遊が再開されてました(大人¥1,500)。

内堀(南側)

内堀の南側はご覧のように空堀になってます。

他の掘の底が地下の湧水層まで掘られているのに対して、この南内堀は湧水層に達していないそうです。

西外堀

掘の最大幅が75mある西外堀。

石垣は元和6年(1620年)の大阪城再築第1期の工事で熊本藩、福岡藩、備前小倉藩などによって築かれました。

石垣の上にあるのは乾櫓。

櫓の工事責任者は小堀遠州で、幕末の大火や第二次大戦の空襲にも耐え、幾度の修理を経て昭和28年に国の重要文化財に指定されました。

お堀の鯉やミシシッピアカミミガメ。

ヌートリアの目撃もよくあるようですが、管理人はまだ見たことありません。。

東外堀

最大90mの幅がある東外堀。

東外堀に面した石垣の造営は加賀藩、越前北庄藩、土佐高知藩などが担当したそうです。

南外堀

南外堀と六番櫓。

元々南外堀に面した石垣上には一番から七番まで櫓がありましたが、四番、五番、七番は幕末の大火で焼失。二番、三番は大戦時の大阪空襲で焼けてしまい、今はこの六番と一番だけが残っています。

千貫櫓と多聞櫓

南外堀の西に大手門があり、多聞櫓をくぐるとかつては二の丸御殿がありました。

つづく

カテゴリ<大阪城公園散策

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【大阪城散策】 本丸のタイムカプセル

2022年11月17日 13時00分00秒 | 大阪城公園散策

カテゴリ<大阪城公園散策

1か月ぶりに大阪城公園紹介シリーズを再開します。

今回は天守閣が聳え立つ本丸エリアを散策してみましょう

写真の大きな木は豊臣秀吉お手植えの樟(くすのき)

とは言っても、明治維新の大火以降に枯株になっていたところに陸軍第四師団長の小川又次が植えたものだそうです。そもそも秀吉時代の大阪城の遺構はこの地下にあるので、秀吉が植えたということ自体が伝説ですね。

大阪城・上田城友好城郭提携記念碑

友好都市提携は聞くけど、友好城郭提携なんてのもあるんですね。

上田城は真田昌幸によって建てられた城で、その息子の真田信繁(幸村)は豊臣と徳川が激突した大阪城攻防戦(大阪冬の陣、夏の陣)で真田丸を築き、徳川軍と対峙したことで知られてます。

タイムカプセル

大阪城本丸跡地の一角にある白銀のモニュメントの下には大阪万博の年に毎日新聞社と松下電器(現パナソニック)主催で埋められたタイムカプセルがあります。

カプセルは上下に2個同じものが埋設されていて、上のものは2000年以降100年毎に内部の保存状態の点検が行われるそうで、実際2000年に掘り出されて点検されたそうです。

当時の小型家電品や電子部品、調味料などの食品をはじめ、当時の様々な写真、ハエや蚊の標本や女性用下着、車やバイクのミニチュア、茶道具、平凡パンチのグラビアなど計2,098点が当時最高の保存技術によって収納されてます。

最終的に開封されるのは5,000年後の西暦6970年なんだとか。。

未来人は5,000年前の物を見てどう思うんでしょうか ・・・ってことよりも、核戦争や環境破壊で人類が絶滅していないことを祈るばかりです。。

紀州御殿跡

本丸の南には明治18年から昭和22年まで和歌山城二の丸御殿から移築された建物がありました。

戦時中は新庁舎ができるまで旧陸軍第四師団庁舎としても使われ、終戦後はGHQの管轄下になったものの原因不明の火災で焼失してしまいました。。

本丸御殿跡

通常、城郭の中心部の本丸には天守閣のほか、政治を行うための御殿がありました。

幕末期には第14代将軍の徳川家茂が大阪城本丸御殿で長州征伐の指揮を取ったりしましたが、明治維新の動乱の中で焼失し、先に紹介した紀州御殿が明治18年に建てられました。

その紀州御殿の庭園だけが今も本丸の南西に残っています。

つづく

過去記事<【大阪城散策】徳川再築城の遺構

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【大阪城散策】徳川再築城の遺構

2022年10月17日 14時00分00秒 | 大阪城公園散策

刻印石広場

数回に渡って大阪城公園を紹介しています。

天守閣の北側にある山里丸から本丸に至る途中にあるのが刻印石広場。

徳川期に行われた大阪城の建設は諸大名の普請で、刻印石広場では石垣などに使われた石材の中で各藩の刻印が残されたものを見ることができます。

加賀藩 前田家の家臣の刻印。

但馬豊岡藩か大和高取藩のものと思われる刻印。

二重の四角、これはちょっと分かりません。。

隠し曲輪

大阪城本丸に唯一ある曲輪で、御覧のように入口を狭く作ってあって、ここに兵を隠すことができたそうです。

この曲輪の石垣には伊予大洲藩 加藤家の刻印がありました。

銀明井戸

天守閣の南、桜門のそばにある銀明井戸。

銀明水井戸は徳川期の再築の時、大坂城本丸に設けられた5つの井戸の内のひとつでした。

本丸御殿の台所の裏に位置していて、本丸を警備する役人たちの飲料水として使われたそうですね。

生國魂(いくくにたま)神社御旅所跡

秀吉の大阪城築城に際し、この辺りにあった生國魂神社は今の天王寺区生玉町に遷宮されました。

日本書記には「生國魂社の樹を斬りたまふ・・」とあり、その樹がここからすぐ南にある難波宮の造営に使われたと考えれています。

生國魂神社の云われは古く、神武天皇が日本統一のため九州を船出し、大阪湾に再上陸した時、難波碕で日本列島の国魂である生島大神と足島大神を祀ったことに由来があるそうです。

御旅所は神社の祭礼で神様(一般には神体を乗せた神輿)が巡行の途中で休憩または宿泊する場所ですね。

西の丸庭園入り口

本丸の西側には西の丸庭園がありますが、有料なのでまだ入ったことはありません。

この奥には2019年のG20大阪サミットの夕食会が開催された大阪迎賓館があって、普段は結婚式場としても使われてます。

南外堀の西端にある六番櫓は徳川大阪城再築の末期である寛永5年(1628年)に造営されました。

城壁にはかつて7つの櫓がありましたが、今は一番櫓とこの六番櫓のみ現存してます。

つづく

過去記事<【大阪城散策】天守閣編

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【大阪城散策】 天守閣編

2022年10月13日 18時49分09秒 | 大阪城公園散策

本丸の北側、内堀に架かる極楽橋から望む大阪城天守閣は管理人がお気に入りのビューポイントです。

青屋門の前から眺めた天守閣。

前の露店はコロナ禍前のお花見のシーズンの時期に撮ったものだと記憶しています。まだ朝早い時間帯だったのでお店は開いてませんでしたが。

桜や枝垂れ桜が咲いていた頃の本丸と天守閣。

確か、コロナによる緊急事態宣言が大阪に発出中で全く人が居ない中で撮影したものです。

徳川時代の大阪城天守閣は1665年に落雷による火災で焼失しています。

現在の天守閣は昭和6年に昭和天皇の即位記念事業として竣工し、前大戦の大阪空襲では辛くも破壊を免れました。

平成7-9年には平成の大改修が行われ、現在の姿となりました。

大改修前から虎のレリーフはありましたが、大改修後はこんな黒地に金ピカの虎のレリーフになりました。

これは『大阪夏の陣図屏風』に描かれた大阪城天守閣を元に再現したものだそうです。

朝鮮出兵の時、加藤清正が捕らえて持ち帰った虎を秀吉が大阪城内で飼育していたという言い伝えがあります。

また、秀吉は滋養強壮のため朝鮮から取り寄せた虎肉の塩漬けを食していたとも云われてますね

こちらは森ノ宮方面から眺める天守閣。

日本三大名城のにも数えられる威風堂々とした姿です。

つづく

過去記事<【大阪城散策】のりもの編

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【大阪城散策】 のりもの編

2022年10月12日 20時28分21秒 | 大阪城公園散策

大阪城公園内移動交通システムのロードトレイン。

JR大阪城公園駅前のJO TERRACE OSAKAあるいはJR森ノ宮駅前の広場から大阪城公園の主に北~東のエリアを周遊しています。

1度も乗ったことないけどね。。

こちらは森ノ宮駅前の広場に停車中のまた違ったデザインのロードトレインです。

9:30~17:30まで営業しています(毎月第一木曜はお休み)。

こちらもロードトレインとほぼ同じコースを走るエレクトリックカー。

公園の南から西のエリアでは御覧のようなエレクトリックカーも運航しています。

城南駐車場は大型観光バスが入って来るところですが、時々こんな2階建てバスのアドカーも止まっていたりします。

映画『ボヘミアンラプソディ』とポールスミス大阪心斎橋店オープンのアドカーを撮影してみました。

コロナ前は城南駐車場に降り立った外国人観光客に人気だったフルーツの露店、今どうしてるんでしょうね。。

今週から水際対策も緩和され、外国人観光客の日本への個人旅行も解禁になりました。

来週はまた定期健診で大阪に行きますが、大阪城公園に賑わいは戻ってるんかな

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【大阪城散策】 戦争遺構

2022年10月06日 14時00分00秒 | 大阪城公園散策

ミライザ大阪城

大阪城公園、本丸の東に建つ煉瓦色の建物はミライザ大阪城。

2017年にオープンした複合施設で、中にはレストランやカフェ、土産物店が入ってます。

この建物は1960~2001年までは大阪市立博物館で、さらにその前は旧日本帝国陸軍第四師団司令部庁舎だった歴史的建造物なんです。

中部軍司令部防空作戦室跡

今回は大阪城公園に残る戦争遺構を紹介します。

本丸南側には先の大戦末期の昭和18年に陸軍の中部軍司令部防空作戦室が建設されました。

ここを拠点に防空作戦立案、敵機飛来の感知、目標値の予測、迎撃命令の発令、空襲警報の発令が行われたそうです。

大阪空襲による破壊は免れましたが、公園整備の一環として昭和45年に解体撤去されてます。

大阪城ホール

大阪城ホールは1983年の大阪築城400年まつりに合わせて、大阪砲兵工廠旧本館跡地に建設されました。

当時、砲兵工廠旧本館の保存運動や文化庁の調査指示がありましたが、1981年の5月2日未明に大阪市が取り壊しを強行しました。

大阪城ホールの南東の運動場の前に砲兵工廠跡の碑がひっそりと建ってます。

城南射撃場跡

公園の南の城南駐車場付近には明治維新後に大阪城を管轄した旧帝国陸軍によって設置された射撃練習場があったそうです。

筋鉄門(すじがねもん)跡

この石積みは元和6年(1620年)に大阪城三の丸の西の入り口として築かれた鉄筋門の跡です。

門は明治維新後も残り、ここが大阪砲兵工廠の正門として使われました。

明治天皇聖躅(せいちょく)砲兵工廠の碑がありました。

聖躅とは天皇が行幸で訪れた場所のことを言うそうですね。 

旧大阪砲兵工廠化学分析場跡

筋鉄門から入ると煉瓦造りの建物に出くわしました。旧大阪砲兵工廠化学分析場の跡です。

大阪砲兵工廠化学分析場は兵器開発や化学実験が行われていた場所で、大阪空襲を免れ今もその姿を残す数少ない大阪砲兵工廠の遺構のひとつです。

天守閣の北東側の石垣のこの乱れは昭和20年の大阪空襲で天守閣の北側数メートルのところに落ちた米軍の爆弾の爆発で被害を受けた跡。

昭和20年、大阪は数度の空襲に見舞われ、市民およそ10,000人が犠牲になりました。

大阪城周辺は意外にも戦争の歴史、傷跡、復興を感じることができる場所でもありました。

つづく

過去記事<【大阪城散策】城南の桜と鳥たち

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【大阪城散策】城南の桜と鳥たち

2022年10月04日 20時09分13秒 | 大阪城公園散策

大阪城公園のお気に入りの場所が本丸の南側にある『あじさい・うつぎ園』。

紫陽花やウツギ1,400株が植えられ、5月末から7月上旬が見頃になります。

でも、紫陽花の時期に訪れたことはありません(爆)

人工の川に小さい滝もあり、水鳥や小鳥もやって来ます。

シャガ(著莪)

ヤエヤマブキ(八重山吹)

ハナショウブ(花菖蒲)

南外堀に沿った遊歩道は春になると桜が満開になります。

城南駐車場で観光バスから降りたインバウンドの方たちがこの光景を見て感嘆の声を上げているのを何度も見たことがあります。それぐらい桜の時期の大阪城は綺麗なんですよね~

オオバン(大鷭)

お堀は晩秋から春先にかけて水鳥たちの天国。

キンクロハジロ(金黒羽白)

アオサギ(青鷺)

都市のど真ん中ではなかなか見かけないアオサギ

あじさい・うつぎ園にいたコサギ(小鷺)

全然逃げていかないツグミ(鶇)

公園内には林も多いので、よくデカい望遠レンズが付いたカメラを抱えているバードウォッチャーの方をよく見かけますが、管理人のコンデジではなかなか木々の野鳥を撮影することはできません。。

つづく

過去記事<【大阪城散策】豊臣秀吉

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【大阪城散策】 豊臣秀吉

2022年10月03日 19時00分34秒 | 大阪城公園散策

織田信長に対峙して敗れた石山本願寺の跡地に豊臣秀吉によって建てられた大阪城。

その大阪城も慶長20年(1615年)の大阪夏の陣で落城し、豊臣家は滅亡します。

1620年になると徳川2代将軍秀忠によって豊臣色を払拭する形で大阪城の再建築が始まりました。

そのため、現在目に見える遺構はほとんどが徳川時代のもので、豊臣時代の遺構はその地中に眠っています。

豊國神社

今となっては数少ない豊臣家にゆかりの場所を探してみましょう。

本丸の南にあるのが豊國神社。

京都東山の豊国神社の大阪別社として創建された後、京都・豊国神社から独立して豊國神社に改称されました。

京都の豊国神社は「とよくに」と読み、豊臣秀吉のみを主祭神としているのに対して、ここは豊臣秀頼、豊臣秀長も合祀することから、「ほうこく」と読みます。

 

秀吉に因んで出世のご利益があるとされる神社です。

境内に建つ豊臣秀吉公像。

秀吉の陣羽織の胸に蜻蛉(トンボ)の意匠がありますね。

トンボは前にしか進まず退かないことから、戦国時代には縁起の良い「勝ち虫」とされ、武具などの意匠によく使われました。

醍醐の桜

秀吉が慶長3年(1598年)に京都醍醐寺で行った有名な醍醐の花見の宴。

醍醐寺 三宝院玄関前の大しだれ桜(秀吉が花見をした頃の桜の木の子孫)は樹齢160年を越え、従来の接ぎ木や挿し木では増殖が困難になり、住友林業がクローン技術でその増殖に成功しました。

この桜の若木はその大しだれ桜のクローン桜で、大阪夏の陣400年を記念して太閤ゆかりの地に植樹されました。

豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地

大坂夏の陣で、徳川軍に追い詰められた豊臣秀頼とその母 淀殿が本丸の北側にあった山里丸の櫓に潜み、自害したと多くの記録が伝えています。

この地で豊臣家は滅亡しました。。。

つづく

過去記事<【大阪城散策】門と巨石(2)

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【大阪城散策】門と巨石(2)

2022年09月30日 21時44分14秒 | 大阪城公園散策

大阪城の北側にあるのが青屋門。

創建は徳川による大阪城再建時の1620年頃と考えられてます。

明治の大火で被災し、陸軍が改修したものの、昭和20年の大阪空襲で再び大破してしまいました。

今の青屋門は昭和44年に大阪市が残材を使って再建しました。

石山本願寺があった頃、この辺りは寺内町の青屋町だったことがその名前の由来と言われてます。

青屋門をくぐると、内堀、石垣、天守閣がこんな風に見えます。

左へ曲がると内堀に架かる極楽橋があり、その橋を渡って大阪城の本丸に向かうことができます。

前回に引き続き大阪城の門と巨石を紹介しています。

お次は本丸の南側にある桜門。

徳川による城郭再建当初の寛永3年(1626年)に築かれましたが、明治維新の戊辰戦争(1868年)で焼失し、明治20年に軍部の手で復元されました。

桜門の名前は豊臣時代からのもので、この近くに桜の馬場と呼ばれる場所があったからとも言われてます。

駕籠ならぬ、自転車で登城(笑)

桜門枡形の蛸石

桜門を入ったところの枡形(石垣で四角く囲った区画)で一番大きな巨石が蛸石。

備前岡山藩の池田忠雄によって築かれた石垣で、備前産の花崗岩が使われてます。

おそらく船で運んできたんだと思いますが、すごい労力が必要だったでしょうね

蛸石の表面は33畳分の面積があるそうです。。

大阪城の北西にある中国の明の時代の狛犬。

日中戦争当時に日本に運ばれ、帝国陸軍第四師団司令部のあった大阪城内に置かれたました。

戦後も長らく大阪城の敷地に置かれてましたが、昭和59年に中国政府によって大阪市に正式に寄贈されることとなりました。

狛犬の横には当時の駐日本中国特命全権大使だった宋之光の筆による日中友好の碑がありました。

さて、その天守北西にあるのが京橋口。

本来はここにも櫓付きの門がありましたが、戦中の大阪空襲で焼失して以降再建されていません。

京橋口にある巨石は築城の名手で秀吉の子飼いの家臣、賤ヶ岳七本槍のひとり加藤清正が運んできたと言われてますが、これも徳川の築城時に桜門の蛸石と同じく備前岡山藩の池田忠雄によって運ばれたもののようです。

つづく

過去記事<【大阪城散策】門と巨石(1)

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【大阪城散策】門と巨石(1)

2022年09月29日 14時00分00秒 | 大阪城公園散策

これまで撮り溜めた大阪城公園での写真を再編してお送りしています。

今回の切り口は門。大阪城の門を中心に2回に渡って紹介したいと思います。

大阪城の玄関口にあたるのが天守閣の南西にある大手門。

大手門

大手門 は寛永5年(1628年)に創建され、嘉永元年(1848年)に修復されており、国の重要文化財に指定されてます。

大手門枡形の巨石

枡形とは城の主要な出入り口に設けられた四角い区画で、主に敵の侵入を食い止める役割がありました。

大手門を入った所の枡形にある大手見付石は表面の面積が29畳で、重さは108トンと推定されてます。

瀬戸内海の小豆島産の石でこの石垣は肥後熊本藩の加藤忠広が担当して築きました。

現存する石垣群は豊臣時代のものではなく、元和6年(1620年)から始まった徳川幕府による大阪城再築工事の時のもので、将軍の命を受けた諸大名が分担して築きました。

多聞櫓

大手門枡形を通り、次の門は多聞櫓。

下に鉄板張りの大門(おおもん)を備える渡櫓(わたりやぐら)と南に折れ曲がってのびる続櫓(つづきやぐら)から成っています。

寛永5年(1628年)頃に創建され、一度落雷で焼失してしまいましたが、後の嘉永元年(1848年)に再建されました。これも国の重要文化財に指定されてます。

外側からみた多聞櫓の西の端(右)と千貫櫓(左)。

千貫櫓は大手門を北から防御する重要な役割を果たした二層の隅櫓(すみやぐら)ですね。

その名前は、かつてここにあった石山本願寺を攻めた織田信長がこの付近にあった櫓を攻めあぐね、「千貫文を出しても奪いたい」と言ったことに由来するらしいです。。

内側からみた多聞櫓の東端。

特に桜のシーズン、この辺りはとても綺麗で、好きなスポットです

つづく

過去記事<【大阪城散策】大阪ビジネスパーク

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【大阪城散策】大阪ビジネスパーク

2022年09月26日 18時00分00秒 | 大阪城公園散策

過去に撮り溜めた大阪城公園の写真を再編して紹介しています。

大阪城公園の北側にあるビル群は大阪ビジネスパーク(OBP)。

大阪城ホールとスタバの間を通って第二寝屋川に架かる橋を渡るとOBPに出ます。

左の建物は読売テレビ新社屋。

右はホテルニューオータニですね。

全面ガラス張りで一際目を惹く建造物は1990年に竣工した地上37階、地下2階のクリスタルタワー。

全面ガラスカーテンウォールの外観で、晴れた日には空の雲が映るほど

1992年にはBCS賞、大阪まちなみ賞、大阪市長賞を、1994年にはグッドデザイン賞も受賞しました。

読売テレビの前にある名探偵コナンのキャラ像。

昨年訪れた時はコナン君が居ませんでした。。。

名探偵コナンの漫画単行本100巻発売を記念して、コナン像はシャーロックホームズの故郷 イギリスのロンドンに行ってたそうです

JR環状線京橋駅と大阪城公園駅の間に位置するOBPには関電不動産開発が運営するTWIN21、インターナショナル・マーケット・プレース(IMP)をはじめ、住友生命、KDDI、東京海上日動火災、富士通、日本電気、オプテージ、鹿島建設の社屋、クラシック専用のいずみホールなどがあります。

第二寝屋川の水上バス乗り場。

水の都 大阪の名所、旧跡を船の上から巡る京阪電鉄が運営するアクアライナーの発着場になってます。

春になると第二寝屋川沿いには綺麗な桜が咲き誇ります。

つづく

過去記事<【大阪城散策】大阪城公園駅~大阪城ホール

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【大阪城散策】大阪城公園駅~大阪城ホール

2022年09月22日 13時00分00秒 | 大阪城公園散策

JR西日本 大阪環状線 大阪城公園駅

大阪城公園近くの病院に毎年2-3回健診に行っているので、大阪城公園で撮り溜めた写真がたくさんあります。

ブログネタも尽きてきたので、大阪城公園ガイド始めます(笑)

ぜひぜひ大阪城観光の参考にしてみて下さいね~

最寄り駅はJR大阪環状線の大阪城公園駅。

大阪城公園駅は昭和58年に大阪築城400年まつり(大阪城博覧会)開催に合わせて開業した環状線の中では新しい駅でした。

2019年には大阪環状線×ハローキティ コラボなんていう企画もありました。

改札前のレリーフ

大阪環状線では駅毎に発車メロディが違っていて、この大阪城公園駅は何と法螺貝の音

大阪駅はやしきたかじんさんの「やっぱ好きやねん」、福島駅は円広志さんの「夢想花」、桃谷駅は河島英五さんの「酒と泪と男と女」、桜の宮駅は大塚愛さんの「さくらんぼ」、天満駅はaikoさんの「花火」が使われてます。

駅構内にある大阪城のジオラマ。

では、大阪城ホールに向かってみましょう

以前は駅から大阪城ホールが見えましたが、今はその間にJO-TERRACE OSAKAがあります。

2017年にオープンしたJO-TERRACE OSAKAは、『歩いてお茶して、緑の中の城下町』をテーマに、飲食・物販・インフォメーション・スポーツ施設などある複合施設で、A-TERRACEからF-TERRACEまでの6つの棟で20店舗が開業しています。

F-TERRACEのTULLY's COFFEE

PHOTO BENCHは海外からの観光客にウケそうですね(笑)

まいどおおきに食堂 さち福や。

ローソン前に鎮座する大きな車輪は大正時代に作られた8620形蒸気機関車の動輪です。

1983年(昭和58年)、大阪築城400年まつり(大阪城博覧会)に合わせてオープンした大阪城ホールは国際級室内陸上競技会が開催可能な規模のアリーナを有する日本で最初の施設でした。

この場所は戦時中に大阪砲兵工廠本館がありました。

管理人は30年くらい前に1度だけ映画関係のイベントで大阪城ホールに来たような記憶がありますね。。

この時、ホールの裏手にはSUPER BEAVERのコンサートトラックが止まってました。

10月から放送が始まるTVアニメ『僕のヒーローアカデミア』第6期の主題歌もSUPER BEAVERだそうです。

つづく

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