「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県福津市 / 新原・奴山古墳群 「 21号墳 新原の百塔板碑 」

2018-11-11 18:29:07 | 古墳・ 遺跡



最大級の22号墳の全景









21号墳には8基の板碑が木々の間に建っている



























新原の百塔板碑 ( ひゃくとういたび )  


5世紀前半につくられた新原・奴山21号古墳の上に8基の石塔が建っている。
この21号古墳は宗像君 ( むなかたのきみ ) 一族が、
この近辺に古墳を造る前に地元の小豪族が造った古墳と考えられ、
新原・奴山古墳群 ( しんばる・ぬやまこふんぐん ) の中で
一番古い古墳ということになるが、
通常は隣の大きな古墳である22号古墳が一番古く
一番大きな古墳と言われている。

板碑 ( いたび )はここから約400m離れた
渡 ( わたり ) 地区から切り出された玄武岩が用いられており
14基ある中で8基に梵字 ( 古代インド文字 )と
観音菩薩(かんのんぼさつ)、
金剛界大日如来 ( こんごうかいだいにちにょらい )、
文殊菩薩 ( もんじゅぼさつ ) 、
薬師如来 ( やくしにょらい )  等の仏像が細い線彫で描かれている。

 「 願はくは諸の衆生と共に安楽国に往生せんことを 」、
 「 勧進僧行円」、「文永十一年八月日改め立つ 」 の銘文がある。
ちなみに文永11年は西暦1274年ですから板碑 ( いたび ) は
鎌倉時代 ( 1185年頃-1333年 ) 中頃に建てられたものである。


鹿児島県鹿児島市 ・ 喜界島  「 村田新八誕生之地碑と修養之地碑 」

2018-11-11 08:25:16 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣











鹿児島中央高校















喜界島にある村田新八修養之地碑














岩崎谷にある 「 西郷洞窟 」







「 西郷洞窟 」 の説明板






鹿児島市加治屋町の鹿児島中央高校の校舎の片隅に、
村田新八 ( むらた しんぱち ) の生誕地がある。
村田新八の生誕地鹿児島市加治屋町は、西郷隆盛や大久保利通を始め、
たくさんの偉人が育った場所として有名である。

村田新八は天保7 ( 1836 ) 年、
高橋良中の第三子として生まれるが、
幼少期に村田家の後継ぎとなった。
文久2 ( 1862 ) 年、西郷隆盛が島津久光の命に背き
徳之島に流された際共に罪を得て喜界島に流されている。
明治4年の岩倉使節団にも加わり将来を託されるべき人物だったが、
明治6年の西郷隆盛の下野に従って鹿児島に帰り、
西南戦争にも従軍、城山に籠もり岩崎谷で戦死している。