最大級の22号墳の全景
21号墳には8基の板碑が木々の間に建っている
新原の百塔板碑 ( ひゃくとういたび )
5世紀前半につくられた新原・奴山21号古墳の上に8基の石塔が建っている。
この21号古墳は宗像君 ( むなかたのきみ ) 一族が、
この近辺に古墳を造る前に地元の小豪族が造った古墳と考えられ、
新原・奴山古墳群 ( しんばる・ぬやまこふんぐん ) の中で
一番古い古墳ということになるが、
通常は隣の大きな古墳である22号古墳が一番古く
一番大きな古墳と言われている。
板碑 ( いたび )はここから約400m離れた
渡 ( わたり ) 地区から切り出された玄武岩が用いられており
14基ある中で8基に梵字 ( 古代インド文字 )と
観音菩薩(かんのんぼさつ)、
金剛界大日如来 ( こんごうかいだいにちにょらい )、
文殊菩薩 ( もんじゅぼさつ ) 、
薬師如来 ( やくしにょらい ) 等の仏像が細い線彫で描かれている。
「 願はくは諸の衆生と共に安楽国に往生せんことを 」、
「 勧進僧行円」、「文永十一年八月日改め立つ 」 の銘文がある。
ちなみに文永11年は西暦1274年ですから板碑 ( いたび ) は
鎌倉時代 ( 1185年頃-1333年 ) 中頃に建てられたものである。