クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

朝から追いかけっこ

2012-06-15 06:30:56 | ネコ
今日も我が家の2ニャンは元気。朝ご飯のあとは追いかけっこ。仕掛けたのはココ。追いつかれて負けそうになると、クーは「シャー」と威嚇しながら手を挙げる。そんな事に全くめげないココは、クーを追い詰める。
一つの家で生活するようになって5年半。この頃は一緒の部屋で寝起きする。茶の間に置いてあるトイレは共用になって来た。僕達の見えないところでクーも使っているようだ。今朝も中廊下に揃っていた。5時半過ぎなので朝ご飯待ち。僕が起きると揃って台所へ入る。コーヒーを入れる前に、彼らのご飯を茶碗に入れた。もくもくと食べる。そしてバトル。バトルで走り回れるのは元気な証拠。
隣からも元気な2人の声が聞えて来た。幼稚園に出掛ける迄続く。
梅雨晴れの今日も、廊下でお昼寝になりそうな2ニャンである。

一緒の部屋で

2012-06-14 06:42:26 | ネコ
温かくなって来ると、夜のクーは家内と一緒のベッドの上から、居間の椅子の上で眠っている事が多くなった。クーの傍にはココが眠っている。夜食はクーが先に食べ、クーが欄間から庭の様子を見始めると、ねこ体操をして体をほぐしたココも僕の足元で「ミャオー」。ご飯を食べ終えたココは、居間のカーペットの上でねこ丸に。それもど真ん中。台所や手洗いに行く時は非常に邪魔になり、踏んづける事もしばしばある。それでも怒らないのがココの良いところ。何時もクーと一緒に居たいのである。

起こして来てよ

2012-06-13 06:24:41 | ネコ
「私、お腹が空いたのよ。ココお父さん起こして来てよ」とクーに言われたのだろうか、今朝も夢見ごごちで一番気持ち良い時に「お腹減ったよ。起きてよ」とココの声が。居間に入ると2ニャンが待っていた。一服点けるよりも前にクーとココのご飯の用意。兎に角、食べさせないと煩い彼ら。食べさせれば大人しい。
夕べも寝起きの一服を点けると、クーが足元に来て夜食を強請った。こんな事は家ねこだから出来る特権。お腹が空けば食事が貰えると分かっている。野良さんには絶対になく、昨日のように梅雨空だと食事探しも大変だろう。
午後に回覧を配りに歩いていると、最近ちょくちょく見かけるチビ野良と目が合った。「ご飯を挙げるからおいで」と話しかけたが知らん顔をして、近所の庭に入って行った。我が家の近所ではこの1ニャンだけが見掛ける。可愛い顔のねこ。保護したいがすごく警戒し、若葉マークの僕には手におえぬ。家ねこになった方が楽だと思うのだが。

可愛い贈り物

2012-06-12 06:49:59 | ネコ
全く不思議である。ねこがこんなに可愛らしくて、人に懐くとは50歳過ぎまで知らなかった。ねこ好きさんの話も、右から左へと聞き流すだけ。心に留め置く事はなかった。クーを抱き上げて一変にねこが愛おしくなり、ココも迎えてしまった。この感情の変化は今もって不思議である。
夫婦の朝一番の会話も「ねこ」の事。我が家の2ニャンやら、くるねこ家の「あん胡ちゃん」の事に変わった。
その秘密の一つが、何時も傍にいてくれる事だろう。ブログを見ている時も、自治会の回覧を書いている時も、食事をしている時も、絶えず傍におり、頭や体を撫ぜられる。時々可愛い声で強請られても、ついつい甘やかしてしまう。還暦が過ぎた僕にとっては、真に「神様からの贈り物」。これからも彼らを大切に、仲良く暮らして行こう。


プリンターえんこ

2012-06-11 06:26:56 | Weblog
昨日の昼前の事、自治会の回覧の試し刷りをしていたら、プリンターが途中で止まってしまった。何回行っても同じで、紙質を換えてみたが止まってしまい、出て来た物は文字化け。ヘッドをテッシュで綺麗に拭いても同じ。ついに決断。今まで使っていたプリンターは、購入後8年経っていた。「取り替えよう」。
昼食後、車で5分のPCデポへ。店員に「年寄りにも簡単に使えるプリンターを」と告げた。店員に示されたのは、キャノン製のプリンター。価格も7千4百円少々と手頃。これなら家内に文句を言われぬ。持ち帰ってドライバー設定。説明書片手に、CDロムと2時間格闘。真夏並みの陽気で額に汗がにじみ、お邪魔なココとも格闘した。兎に角僕の傍をウロウロし、空きあらば悪戯しようと狙っている。
設定完了後試し刷り。ドッドが細かいのか、刷り上りは格段に美しい。特に画像を普通紙に印刷しても、はっきり細かい点まで印刷出来ているのが気に入った。
来年にはパソコン本体も交換だろうが、このプリンターはそのまま使おう。

大人の顔

2012-06-10 06:18:04 | ネコ
我が家に引き取ってから5年半。幼顔が残っていたココも、大人の顔になって来た。と言うよりも、太って顔全体が丸くなったのだ。ここ数日は、夜になるとテレビの横で過ごしている。雑誌の付録の敷物が気に入り、ココだけの基地になっている。昨深夜も、クーが夜食を食べているのに、この場所で眠り続けていた。その後も一旦夜食を食べると、この場所に上がり眠った。
昼間は、この場所で過ごす時間は少なく、ソファーの上の方が多い。昼ご飯の後は、僕の足元でお昼寝。その時クーは廊下の籠の中。大好きなクーだが、眠るのは別々で、猫丸になって一緒に寝る事は一回もない。大人になったココだが、お姉ちゃんは大好き。例え「シッァー」と威嚇されても、子供の頃と同じように付き纏う。
今日は晴れ。昼間は廊下で日光浴をしながらのお昼寝をするだろう。

なぜですか??

2012-06-09 07:01:18 | Weblog
昨日6時からの首相記者会見を見ていて画面に向かって大声を挙げた僕。首相の言う事は、国民の命よりも大企業の発展の方が大切。自民党の論調と全く変わらない。関西で大停電や計画停電が起こると、大不況になるから、国民は文句を言うな。
この論理、戦時下の軍部の論調と全く同じ。野田の父は職業軍人であり、国民を下に見ていたのが、家風となったのだろう。
今朝の東京新聞では、論説もコラムも大批判。当たり前である。国民を犠牲にしてまでも原発を動かすと言う。事故が起こり、国民が逃げ惑ってもとぼけて責任は電力会社に押し付けるのだろう。ふ ざ け る な。国民を舐めるな。そのつけは選挙で、この政党をずたずたに分解させる事にある。前首相の菅さんは、福島の事故を教訓に「脱原発」に舵を切った。それが本当だろう。
日本は世界の先頭に居なくても良い。小さな島国、お金がなくても、国民が穏やかに幸せに暮らせる国になって欲しい。次の選挙、原発賛成の候補には絶対に投票しない。

東京新聞の歩みは我が家の歴史

2012-06-08 06:14:21 | Weblog
昨日で東京新聞が、2万5千号となったと言う。戦時下に都新聞と国民新聞が合併させられて出来た。父は都新聞の記者であり、終戦直後は整理部検閲課長で、進駐軍との折衝役であったようだ。
真に東京新聞が歩んだ道が、我が家の歴史である。父は中日新聞社との合併時に職を辞し、僕が20歳になった時、天に召された。仕事を愛し、家族を愛し、新聞記者を誇りに思っていた。葬儀の時に同僚だった方が「辞める直前までコラムニストとして、「筆洗」を書いていた、終生真の記者だった」と話されたのが今も心に残っている。
我が家は今でも、父が創刊し、育てて来た東京新聞を読み続けている。3.11以降東京新聞は、原発の停止を訴えている。地震国日本には原発は不要と言う論調。その論調を読むだけでも、購読料の価値はある。
あと2ヶ月で父の命日が来る。早産でか弱かった僕がここまで生きて来られ、孫の顔が見られたのも、東京新聞のおかげ。
これからも、読みやすく、庶民と共に歩む新聞であって欲しいと願うものである。
明日からはねこブログに戻ろう。

気が強い

2012-06-07 06:34:03 | ネコ
クーは気が強いねこである。少しでも気に入らないと、家族でも弟のココにでも向かって行く。今朝も居間のテーブルの上で休んでいたので、頭と背中を少し強めに撫ぜると、撫ぜ方が気に入らないと、本噛みで腕を攻撃して来た。その後下の床で伏せていたココにも八つ当たり。ココはパンチをされる前に飛び退き難をまぬがれた。
今はパソコンの椅子の上で眠っているが、ここで「クーちゃん可愛いね」等と体を触ると「寝ているの邪魔しないでよ」と怒りだす。だからほっておく事にする。
仔猫の時にはベタベタに甘えていたものが、年を取るにつれて気難しいねこになってしまった。それでも夫婦にとっては大切な子供である。

ココもだれだれ

2012-06-06 06:31:48 | ネコ
暑い一昨日、クーは居間のテーブルの上でだれていたが、真下の床ではココもだれだれ。ココがだれていたのは、台所への入口であり、頭を蹴飛ばす危険も。クーとは違い、危険予知感覚が全くないので、人間が気を付けるしか事故は防げない。クーも台所へ入る時は「シッァー」と怒るが、何故怒られたのか本ニャンに感覚がなく、「クーちゃんまた怒ってら」と言う程度。
昼間も居間のカーペットの上でヘソ天にひっくり返り、時々蹴飛ばされる。これから暑さが厳しくなり、クーラーを入れると、冷たい風が流れる場所に陣取って、ヘソ天でお昼寝をするだろう。クーは邪魔にならない本箱の上だが、ココはそんな事は全く考えてはいない。
昨日の夕方散歩に出ると、隣に住むマイクが窓から顔を覗かせ、可愛い声で呼んだ。メインクーンの声は、子供のような声。冬毛が延びて毛玉が出来ている。近々病院で散髪をしなければならない。汗をかかないねこの暑さ対策である。
今日は1日雨との予報。クーとココは部屋の中で大人しく過ごすのだろうか。