ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

Part 2 次男のこと

2017-08-05 | 国際恋愛・結婚

Trolleholm(トロールホルム)城はトロール–ボンデイ伯爵が城主であるが、実際には、会社組織の団体が半分を所有している。城自体は堅実な北欧人気質を感じさせ、無駄な装飾や大袈裟な建築物ではない。大きさも圧倒されるようなものではないが、敷地内には昔あった伯爵専用の騎馬隊馬小屋などがあり、それらの建物と城は広大な庭ごと、堀で囲まれている。敷地の近くでは、昔からの自給自足で畜産や菜園もずっと続けている。伯爵は、一年の大半をパリやロンドンで過ごす実業家と聞く。


 


の城の中には一階に小さな図書室と別に、建物中央に、吹き抜け天井の大きな図書室が、まるで城の心臓のように設えてある。ほとんどの部屋には自由に入れ、私達はまず一階の小さな図書室で驚いた。そこには14世紀や15世紀の貴重な古書が書棚にずらりと並んでいたからである。手に取って読むこともできるのだ。おおきな図書室は、二階の廊下を歩いていた夫と私が、偶然二階部分の図書室へのドアを“発見”した。それは数多くあるドアの一つで、向こう側から、誰かが感嘆の声をあげていたのを耳にしたからである。


 


天井までの書棚にぎっしり、それもとても貴重な中世からの本までも収められている。なるほどこう言う生活を王侯貴族はしていたのだ、と思うと、目の当たりにする図書館にも匹敵する膨大な蔵書に感銘を受けた。

 

この城の大広間では親族および近しい友人を招いてのフォーマルな昼食会が開かれた。主賓席の中央に座する新郎新婦は、蝋燭の光を跳ね返すように、幸せに満ちた笑顔をしていた。結婚式の招待状を受け取った方々の中には、息子がヨーロッパのお姫様と結婚するのだと誤解したお人もいた。いえいえ、気高く、輝くような笑みを持つ彼女はお姫様ではなく、父親は実業家で、ドイツ人の母とスエーデン人の父を持ち、母親はフィンランド人で、看護士である。市井の人々である。


 


食事が済むと次はホールに改造した元騎馬兵団の馬小屋での別の披露宴が、カジュアルに催された。これは主に学友や集う教会の人々のためであり、簡単なサンドウィッチやソフトドリンクが用意され、そこでウェディングケーキを切ったのである。そして新婦の父親と友人が、衣装まで着込んで、ミュージカルのInto The Woods からのAgonyを歌ったり、あちらの長男がギターを弾いて姉の幸せを願う歌を歌って、しんみりと心を打たれたり、また、うちの長男がホロリとするスピーチをしたり、多くの人々と共に楽しい宵を過ごした。こうしたことへの準備計画がいかに大変であるか容易に想像がつき、完璧につつがなくこなされたことへの、新婦の両親はじめ家族への賞賛と感謝は絶えなかった。


 


結婚式の前夜、花嫁の父に尋ねた。ナタリーは、うちの次男の一体どこに惹かれて、結婚を承諾したのでしょうか? 彼は、笑って、あの子は気が強く、どんな男の子にも負けない、と肩肘を張っていて、決して簡単にイエスと言う娘ではなかったのに、あなたの息子さんに会ってからは、角が取れたかのように、柔軟で素直になったのですよ。それは彼が穏やかに理路整然と物事を説明するので、圧倒されたんでしょう。私たちは心からこの結婚を喜んでいます。

 

え?そんな息子、私は育てたのだろうか?覚えがないが、とても頑固な息子であったのは知っている。ただ、キリスト教会の宣教師として、十九歳から二年間をブラジル伝道に費やして帰還してからは、かなり成長し、人の痛みの分かる者になった様な気はする。

 

この二人は五年後の昨年の暮れ、初めて親になった。今年の夏至祭で、小さな娘は初花冠をかぶったが、マイストングの周りでダンスをする人々の輪に息子に抱かれて入る前に眠ってしまった。

 

忘れていたが、この城には三人というか、二人と一匹の犬の幽霊が出るので有名である。そういえば。。。地下にある使用人用の、誰もいない食堂を撮影しようとシャッターを切ったら、写ったのは靄だった。もう一度取ると今度は取れたが、その映像、あっという間にカメラから消えてしまった。シャイなのかもしれない。何れにしても悪霊ではないようだ。

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次男のこと

2017-08-05 | 国際恋愛・結婚

夏至のスエーデン・スコーネ地方の小麦畑の上に広がる空は、カリフォルニアの紺碧な空と異なって、遠慮がちな、優しい、優しい薄い青だった。ちろちろと白い小波をたてているエーレスンド海峡が、青い小麦畑の果てに見える。ここ南スエーデンの小さな村に住む家族の一人娘が、村の広場へ、花冠をかぶり、自分で仕立てた木綿の夏らしい、でも控えめなドレスに身を包んで、婚約者と手をつないで村の広場へ歩いて行った。

 

広場の中央には、綺麗に草や葉で飾られたマイストング(メイポール、五月の柱)が立てられ、その周りを村の人々に混じって、婚約者や友人や家族と共に踊った。彼女の笑顔は、ことのほか明るく、その笑い声は陽気に弾けた。ミッドサマー(夏至祭)はクリスマスの次に大事な祝日よ、と夏至祭につきもののストベリーショートケーキを切り分けながら、ナタリーは、アメリカからの彼女の新しい家族になる私たちに、楽しそうに言った。その傍らで、彼女と翌日結婚する息子は、柔らかな微笑みを浮かべていた。

 

翌日コペンハーゲンで彼女と婚約者は、両家族の見守る中、厳かに結婚した。午後には、村から少し離れた城で披露宴があり、せわしなかったが、誰もが高揚とした幸せな気分で、あの長いオーレスン橋を渡って、スエーデン側に戻って行った。あちらもこちらも子供は五人、同じ年頃で、うちはすでに長女と三男が結婚していたが、あっという間に打ち解けあって、ゲームの話などもしていたほどだ。ナタリーには四人の兄弟がいて、生まれた時から彼女は父親の目に入れても痛くないほどのお気に入りであるのは、すぐわかった。

 

ナタリーと次男はハワイの大学で知り合った。三男も彼の妻もその大学へ行っていたので、すでに四人は“仲間”である。同じ教会へ四人は毎日曜日集い、勉学に励み、三男以外は、揃って一緒に卒業した。あの年ナタリーの家族も私の家族も忙しい夏を迎えたものだ。五月にはハワイの卒業式に行き、六月はコペンハーゲン空港でナタリー家族が、私達夫婦と子供五人と義理息子と義理娘、そして日本の親族をも迎えに来てくれたのだ。


遡る一年前、次男は夏休みで大学からスエーデンに帰省しているナタリーにプロポーズする計画で長男とヨーロッパへ発った。長男は応援団な役割で。ナタリーの家族は、非常に親しみやすく、親切で楽しい人たちで、次男のプロポーズは計画通り運んだ。長男は、テキストで、逐一実況中継のように私達に連絡してくれた。彼女の父親は、息子達と意気投合し、母親も包容力のある人で、翌年に決めた結婚式が本当に待ち遠しいものになった。


その年のクリスマス休暇に次男はハワイから、ナタリーを連れてカリフォルニアに帰省した。スエーデン人には珍しく、彼女は小柄で、金髪のピキシーカットがとてもチャーミングで愛らしく、スエーデン人は、英語が達者だが、彼女の英語はアクセントもなく、話してみて、聡明な、気さくな、そんな素敵なお嬢さんと見受けた。彼女を嫌いな人などいるだろうか?

 

この続きはまた明日。


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