ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

Cemetery Tripに行く

2017-08-11 | 系図のこと

系図調査では、インターネットを駆使する他に、元来のやり方、つまり自分の足で裁判所(大抵地下に記録文書庫があり、そこで土地登記台帳、遺書等がしまわれている)や、教会記録事務所や、墓所に赴むく。私は"系図旅行“や”墓地旅行“と称して夫と一緒に出かける。夫は系図家ではないが、方向音痴な私の大切な磁石であり、特に墓所調査には夫は必要なコンパニオンである。墓所は整備されていない個人所有だったり、とんでもない山の中だったり、砂漠だったりするので、身の安全を第一に考えて、二人単位で行くほうが良い。”墓地旅行“には、事前の調査もしっかりして、それなりのキットを作って行く。下記はそのリストである。

• 飲み水以外に少し多めにボトルの水(墓石が汚れていたら、まず水で汚れを洗い流す)
• スマートフォン(時計、磁石、地図、Google Earth、GPS、カメラ、電話)*フルチャージしておくこと
• 筆記具
• 塩のパケット、レストランやファーストフードレストランにあるちいさなパケット

もし墓所がきちんと整備されてないと事前にわかっていれば、上記に加えて、

• 軍手
• スイスアーミー的なナイフ
• 雑巾
• 虫除けスプレー
• 長袖シャツ、長いパンツ
• 裾留めバンド、又は大きめの輪ゴム(ヒアリ、小さなサソリ、蚊、ダニ等から身を守る)
• 日焼け止め
• サングラス
• 幅広帽子
• 亡くなった人々を敬う気持ち(全ての訪問する墓地に言える)

塩のパケットとは、悪~い霊やさまよう霊を連れて帰りたくないからである。私は仏教徒ではないが、そうした日本人の習慣は保つのが好きだし、お清めという意味で塩を用いるのは、日本人に限ったことではない。英語でthrowing a pinch of salt over your shoulder reverses that bad luck(一つまみの塩を肩越しに後ろに播くと悪運を祓う)、とあるように、塩は様々な文化で清めを意味する。単純に迷信、と片付けられない何かがある。実際に経験もしたので、わざわざワザワイをひきおこすことも、あるまいと。

メンドシーノ郡リトルリバーへ行った時、ホテルの近くのハイウェイ沿い(フリーウエイではない)に小さな墓地があるのは、ホテルへ着く前にしっかり気づいていたので、翌朝早く靄のかかる中、散歩に出た。日本の墓石には、家名や戒名と年月日があるだけだが、アメリカで見る墓石には、それ以上に、短い詩や時には何故亡くなったかも刻まれ、写真が印刷されてさえいる。まるでケーキに食用写真を貼り付けるように。

この墓地には、1800年代の墓石が割りと多くて、見ていくうちに、若い青年の墓石が多いように感じた。メンドシーノ郡は19世紀初頭ロシア人、中国人、そしてヨーロッパ人たちが探検家や開拓者として入植した。アメリカ東部からは、多くの樵(きこり)達が押し寄せ、レッドウッド森林から木材業は発展し、今でもこの郡の経済に重要な位置を占めている。とにかくレッドウッド(セコイア、赤い杉)が多いのだ。国立森林公園でもある。

そんな産業に従事していた若者が20歳そこそこで亡くなっていて、墓石に何故亡くなったかが、短く記されているのもある。伐採中の事故で命を落としたり、大怪我をして治癒なくして、亡くなってしまっている。思いを馳せているうちに、この墓地にやってくるのは私だけではないと気がついた。リスや地リス、鹿、狐などが徘徊している様子がたくさんある。メンドシーノ郡で最後にクーガーに人が噛まれたのは、1993年だと言うが、今起こらないとは限らない。サンフランシスコの市街地の丘にもクーガーは現れる。黒熊も出るそうだ。朝ごはんにされる前に、ホテルに戻った。塩? ジャケットのポケットにいれていたパケットを開けて、墓地を出てから使った。

リトルリバーの墓地は小さいが、整然として、手入れがよくなされていたが、コロラドで訪ねた二つの墓地の一つは春に雪解け水で浸るからか、植物が育ちやすい。植物と言っても、高地砂漠だから、obnoxious(しつこい、嫌な)と形容する以外ないオコティヨだののカクタス系や、ちくちくした種子を通りかかる度に服につけてくれる雑草、やたらに元気のいい強いツルを伸ばしに伸ばした雑草が、墓石に絡みに絡んでいる。夫と私はまず軍手やゴム手袋をはめ、ナイフでそうしたツルや根などを切ったり、抜いたりしてから、水を並んだ墓石にかけて持参した布できれいに拭った。

一つの墓石は早世した父親ともうひとつは生後まもなく亡くなった娘のである。父親は1887年に、娘はその少し前に逝去している。そして向こう側に心なしかこんもりと土が盛り上がっている。これは1928年に亡くなった母親である。彼女には墓石が建てられていなかったので、その地の石屋で手配した。古い2つの墓石が朽ちはじめているのが気になって、この親子三人が一緒になるような墓石を注文した。


雑草やカクタスなどを取り去ったところ。



系図探求は、調査だけで終了ではなく、私にとっては、こうして朽ちて判読しがたいのや、最初に建てていなかった墓石を新たに建てることも、その一部である。義理家族と協力して新しくしたのは、これが初めてではない。墓石は高いので、先祖のものは、家族や親戚と協力して建てる。こうして今その墓地には新しく親子三人が並んで眠る。お墓の中にはいないで、千の風になっているかもしれないけれど、死者や先祖に対する礼儀をつくしたい。

そこの墓地で清掃をしていると、遠くに、アラモサ駅からシルバートンまでの蒸気機関車の汽笛が聞こえ、寂寥感に包まれ、思わず傍でせっせと立ち働く夫を見た。あれは現在観光で走らせているのだが、それをこの先祖達はずっと長い間聞いてきたんだと思うと、しみじみとしたのだ。




膝についた埃をはらい、もう一度墓石に水をかけて、摘んだ野菊の束をおいて、黙祷し、私達はゴミを入れた袋を手にし、脱帽、一礼してから、墓地を去った。車に着いたところで、夫婦で塩をわけた。
来てよかった。

コメント
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