ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

2017-08-06 | 系図のこと

系図調査は、いつも順風満帆ではない。壁に突き当ることは往々にしてある。異なる人が異なる眼で書類を探ることも時には、必要だし、新しい見方は大切でもある。壁に突き当たったら、まず深呼吸して、コンピューターから離れて、散歩をしたり、全く別のこと、お掃除などしてみて、気分刷新することだ。それでもすっきりしない時は、他の調査者に助けを求めることもいいかもしれない。

 

例えば、マータの系図を調査した時。かなり遡っている系図を持っているのだが、証拠付けが、なかなか進まず、マータは、私の詰める晩、センターにやってきたのだ。以前他のコンサルタントが助けたようだが、マータが満足する結果ではなかったので、しばらくセンターから遠ざかっていた、と言う。気難しい性格らしいのは、すぐわかったが、適当(!)に相槌を打ちながら、私は、早速コンピューターの前に彼女と隣り合って座り、調査を始めた。

 

1878年生まれの先祖が、死亡したのは、1920年12月で、その間の国勢調査が1880年と1900年しかない、と言う。あって然るべきなのは、1880年、1900年、1910年で、1920年もあるはず。国勢調査は大抵6月ごろで、1月から始めることもあるが、12月には終わっている。1890年のはない。1921年のワシントンD. C.にあるコマースビルデイングの火災により焼失あるいは煙や、消火の際の水によってダメージを受け、さらに当時は、記録再生や修理などの技術もなかったので、結局破壊されている。ほんの一握りの国勢調査は、残されたが、極端に限られた数しかなく、ないものとして、系図調査者は、扱っている。

 

まずマータが持っている1880年と1900年の国勢調査のコピーを見てみる。同じ住所である。親の隣に住んでいたらしい。もう一度先祖の名前をあるデータベースに入れてみると、やはり1880年と1900年の物しか出てこない。マータは、死亡証明書のコピーも持っていたので、それを見てみると、やはり国勢調査の住所と同じだ。ここで私は二つの国勢調査にある隣近所の人々に目を向けた。その二つには共通の隣人が一人いた。エリック・アンダーソン、としておく。

 

エリック・アンダーソンで調べてみると、簡単に1910年が出てきて、ついでに1920年も。オリジナルコピーを見ると、なんとマータの先祖の名前も、どちらの調査紙にも、ちゃんとある。そこでインデックスされているものを見てみた。ああ、やっぱり。この先祖の姓とは全く異なる姓名になっている。Nで始まる姓が、インでクサーがWATSONでインデックスには出してある。これはよくある誤読である。よって常にオリジナルコピーを見ることが非常に大切である。

 

このように、あるべき国勢調査が、欠けている調査年がある。これは隣人が何年も同じであれば、マータの先祖のように、調べ直すこともできる。マータは喜んだが、実は別の眼で見ることも必要な場合があるわけである。隣人の姓名で、という考えも別の視点であるからできることかもしれない。 

 

マータの例はまだいい方の壁である。壁、ではないが、私はある先祖の写真をずっと探し続けていた。詳しくは、夫の先祖。私が夫の家族の歴史を手がけ始めたのは、かなり前だが、その頃から、地図で言えばランドマークのような先祖の写真がどこかに絶対あると、信じて疑わず、いつかどこから出てくる、と思っていた。1822年生まれで、19世紀末に亡くなっている。チャンスがあれば、よく系図のブルテンボード(オンラインの)に探していることを掲示したものだ。そうしたら、十数年後、本当に唐突にどなたかが、その先祖の写真をアップロードしていたのだ。

 

そうなると、彼の妻の写真もあるかもしれない、と期待していると、意外なところで見つけた。他州大学の図書館の特別蒐集の中にあったのだ。その夫婦の教会員記録を調べていた時、その教会のリーダーとも言える人物が、当時の多くの資料・写真を遺し、遺族が大学に寄付をしたのを知ったのである。その大学まで赴いて半日かけて蒐集を探した結果、先祖の妻と娘の写真を見つけた。この時の喜びはどう表現したらいいのか。諦めないでよかった。

 

どんな系図調査でも、言えるのは、諦めずに、時が来るのを待つことである。今なくとも、明日には、来年には、十年後には、と希望を持つことである。



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