ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

いってらっしゃい

2018-01-24 | アメリカ事情

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この日曜日次男一家は、ドイツ・フランクフルトへ向けて出発した。8個はあった大荷物と、一歳児の娘と妻を引き連れて、ホノルルから飛び立った。すでに家財道具・家具などはコンテイナーに詰められてドイツへ向かっている。車はデイーラーに買い取ってもらい、この一月足らずで移住の支度を全て終えた。

 

土曜日の明け方前、私は夢を見た。それは3人の息子達が宣教師として再び伝道に赴くもので、3人は2年置いてそれぞれ出立したのだから、揃って赴くということはなかったのに、夢ではどうにでもなるものだ。とにかく、3人揃って、私に挨拶をしている。私は次男と話していて、やがて目が覚めた。次男一家がアメリカを離れることを私は、栄転だ、良い機会だと、喜びつつも、心のどこかで、それを寂しく思い、気に病んでさえいたのかもしれない。

 

5人の子供達は、5本の指と同様、どれもが大切でどれもがかけがいがなく、一つも欠けてはならないし、ないがしろにできない。それぞれ違ってそれぞれ愛しい。子供達が成長して家を出て、一家をなすようになっても、母親であることには変わりなく、思うことはいつだって、子供達やその家族の安全と幸福である。一度親になったら、永遠に親なのだろう。

 

社会に出て名を高め、どうのこうのという教育は一切しなかった。ただ人を助け、家族・親との対話の重要性を理解し、キリストへの信仰を実践すること、教育を受ける、くらいを言って聞かせてきただけである。それぞれ教育の大切さを実感し、進める所を極め、家族を大切にして、教会での活動も盛んにしている。粗暴な言動をする子が、いなかったことは、本当に嬉しかった。Productive Citizenという英語があるが、まさにそれを目標にしてほしかっただけである。

 

私には只一人弟がいただけで、あまり男の子を育てることについては、知らなかったが、3人男の子が続いて生まれた時は、なんだ、男の子は育てやすいではないか、と嬉しく驚いた。それぞれが、伝道に出た時も、その決心を押し付けたわけでは一切なく、みな自分で信仰を持ち、そこに希望を見つけ、志願したのだった。3人共19歳の若さで、外国へ赴いたが、その間、病気もしたし、ホームシックにも多少なった、などと、一言も私には言わなかった。それぞれが帰還してから、末娘が、三人とゆっくり話す機会があった時、息子達が、初めて外国で病気になった時のことを、「どれだけおかあさんの病気ごはんを懐かしく思い、熱のあった時の看病をありがたく思ったことか」と言ったそうだ。「おかあさんは、濡れタオルを額に乗せてくれる時、目のあたりもカヴァーして、すこし目のところを抑えてくれるんだよね、そうすると、とても気持ちがよかったんだ。外国で心細い時に、すごくおかあさんに感謝したんだよ。」と。そんなこと一言も聞いたことがなかった私は、スパイをしてくれた娘に感謝した。

 

早い。本当に生まれてからいままでの時間の過ぎるのは早かった。あっという間である。2年置きに生まれた5人を育てるのは、私にとっては、案外そう難しくはなく、長子が生まれた時から、すでに簡単なルーティーンを作っていた。つまり朝食をしてから、子供としばらく遊び、決まった時間に昼食をし、その後は1時から3時までお昼寝の時間、5時半には夕食を済ませ、6時から入浴、そしてその後就寝。そんな簡単なことである。歯磨きは徹底的に指導し、見て来たので、長い間子供達は歯医者は、一年2回の健診をするところだと思っていた。これはみな専業主婦・母親でやってこられたからできたことだろう。その点、夫には深く感謝している。

 

子供達が休みに入ると、特に夏は、紙漉きを一緒にしたり、ランヤードを作ったり、つまり私はボーイスカウトやガールスカウトのするであろうことを、一緒に子供達としてきたのである。本を読み、読ませ、家族旅行は必ず毎年行った。その家族旅行に先駆けて春から、夏の「ユニフォーム」を制作し始めた。ある年は、ちいさなサボテンのプリント地で、五人お揃いの服を作った。それを着て旅行した時、人々から、サウンドオブミュージックみたい、とひそひそ言われたりしたが、子供達はとても楽しんで着ていた。今思うと、あれはカーテン地にもなった木綿生地だったのかも。

 

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プラスチックの紐でキーチェーンなどを編むのが、ランヤード




夫も私も決して厳しい親ではなく、かと言って甘やかしてばかりでもなかった。結局目に余る我儘や、傍若無人な事を、子供達は見せなかったのだ。むしろ兄弟姉妹で、いつも話し合い、何か計画し、そのためにお互いを助けあうことはよくしてきていた。ゲームボーイが販売され始めた頃、裕福な隣人の子供達がそれを持って遊びに来た時、さて子供達はどう対応するかと思ったが、一、二回遊ばせてもらった後は、レゴに戻ってみんなで仲良く遊んでいた。ゲームボーイを見せにきた子供達もそれをほったらかしてレゴをうちの子供達と一緒になって。

 

一日の終わりに家族で祈りをして、その後、就寝する子供達ひとりひとりを抱きしめ、愛していることを伝え、きちんとベッドに収まらせ、本を読んでやり、寝かせた。それを今子供達が自分の子供達にしているのを見ると、感謝の思いにあふれる。

 

土曜日のその夢の後、私は、携帯を取り出して、メッセージをテキストした。それには、いつも「よい息子」でいてくれてありがとう、と書き、ブラジルもスゥエーデンもしっかり生きて来たあなたがドイツでもしっかりやるだろうと思うことが、私にとって癒しよ、と続け、最後に”Love you always、云々と続けたのだった。すると息子はすぐ返信してくれた。それが下のメッセージである。

 

 

 

家族の価値を十分重視してくれる新しい仕事先。アメリカがベースなのだが、ドイツで、ヨーロッパ全体を担う機関なのでそこへ招聘された。家族への医療保障もずば抜けてよく、先日アメリカの働きやすい理想の職場のトップ20に入ったところである。家族のことを先に考えた息子らしい仕事である。いってらっしゃい。そして元気にあなたの家族を育てていってね。あなたなら、できるから。

 

 

 

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コメント (2)
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