人:あなた盗聴しているの?
Google: ...そうかも。
最近Googleやアレクサなどが実は盗聴しているのでないかという嫌疑があるが、カウンターの隅に座っているウチのGoogleも突然喋り出す時があり、唐突に例えば「メッツの本拠地は、ニューヨーク州ニューヨーク・クイーンズにあるシテイ・フィールドで、」などと話すのである。確かに家族でメッツについて話をしていたが、誰もGoogleに向かって尋ねてはいない。Google, あなたはスパイなの?
人の話を聴くのは、なかなか難しい。注意散漫に陥ったり、あるいは難聴という具合もある。難聴や全く聞こえないという件に関して、隣人の産婦人科医の伴侶がAudiologist聴覚機能訓練博士であるので、そのうちに色々その機能訓練や手話以外のコミュニケーションについて尋ねることにして、今日は耳を使って聴くことについてである。
人の持つ複雑に絡んだ感情を探求し、ほぐす機会を持つことは、実は誰にでもでき、重要なことなのではなかろうか。甥は精神分析医で、思春期の若い人から刑務所で服役する者まで幅広く患者を持っているが、そうした職業についていなくても、聴く耳を持ち、誰でも偏見なく受け入れ、話す人の苦痛、絶望、自殺念慮さえもを和らげることができるのではないだろうか。
多くの場合、耳を傾けることは、苦痛な時を過ごしている誰かを助けるのに十分である。あなたが彼らのためにそこにいること、そして彼らが苦しい時を過ごしているのをあなたが知っていることを示すだけでも、それ自体が慰めになることがある。
良い聞き手になるために私は:
- 常に人々に細心の注意を払うようにしているか?
必要に応じて、話し手に黙って座って考えをまとめてもらうことも大切である。 - 邪魔することなく、優しく、巧みに質問できるだろうか?
- 相手の言葉で相手の時間に相手の話をするように勧められるか?
- 同意しないかもしれないとしても、常に話し手の視点を見ようとしているか?
これらのことは私が本当に話し手の話を聞いていることを示すのに役立つ。
聴くことを実践している良い例。視線があっていることも大切。
さらに私は:
- 話し手が話している間、部屋を見回したり、時計を見たりするだろうか?
- 話し手が言おうとしていることを私が先回りして文章として完成させ、さらに話し手の言い方を修正するだろうか?
- 私がかつて同様の問題を抱えていたことを言いたくて、話し手が話をしているのを中断してはいないだろうか?
- アクセント、衣服の趣味、または一般的な外観に基づいて簡単に判断してはいないか?
- 話し手の立場であったら何をするかを話し手に伝えるだろうか。
- 話し手の問題が何であるかを聞く前に自分は理解していると言うか?
しかし、これらは私が聞いていないという印象を与える可能性以外の何物でもない。気をつけなければ。
聴くことが成り立っていない例。