ひとり紫苑・プチプラ快適な日々を工夫

書籍「年金五万円が教えてくれたお金の向き合い方」「あるもので工夫する楽しい節約生活」は9万部。工夫の毎日は続く。

喪の黒いベールと皇室と

2018-03-21 11:41:52 | アート・文化

 

先にアップした映画「繕い裁つ人」、

「漂う死の影、そして再生へ~~」


喪失を表す黒の喪のシーンから

ウエディングドレスの白へ。

基調の色を黒から白へと変えることで、

主人公の気持ちを表す。



色を、非常に効果的に使っていました。


喪失の象徴としての喪のシーン。

中谷さんの喪のベール。


 

それとともに気になったのは、

「お見送りのシーン」での黒のベール。


 

志乃さんが作った洋服を着ることで敬意を、

そして哀悼の意を表すことでベールをかぶっている

わけですね。

原作にはなかったのですが、

志乃さんはカトリック、

なのですね。


調べてみると、

喪服の際の帽子のルール」

カトリック、の帽子は親族の第一礼装。

参列者はベール。

 

喪の際のベール、映画ではよく見て、

不謹慎ながら素敵だなと思っていたのですが、

キリスト教以外の人がかぶるのはご法度、

だそうです。

 

洋服の喪のシーンですごく印象に残ったのは、

故ケネディ大統領・葬儀の際の夫人。


もちろん、借り写真です。

あとで映像や雑誌などで拝見したのだと思います。

悲しみに耐えて強くあろうとしている姿が

不謹慎ながら美しい~~。

 

こちらは~~、

はい、「風と共に去りぬ」の有名なシーンです。

 

借り写真です。

笑っている~~。

 

まだ喪中にいるスカーレットに、

レッドは堂々とダンスを申し込み、

「まさか、受けないでしょうね」と

周りが言うのに対し、

「イエス、I WILL!!」

お年寄りが卒倒するというシーン。

いまだ哀しみを知らなかったワタクシは

皆と一緒に笑ったものです。

スカーレットも、このときには

まだ哀しみを知らない。

大好きな映画ですが、

のちの悲しみや苦しみを知ったあとの

喪のシーンのほうが、

まだ中学生だった子ども心にも

美しく感じられた。

やはり本当の悲しみは伝わるものなんですね。

 

で、「喪のベール」を検索していて

気になった一枚。


皇室の方々の喪のベール。

皇室といえば神道。

なのにベール?

調べてみました。


 

明治時代、日本が列強諸国とあい並び

対等につきあうために

西洋式を取り入れた。

「鹿鳴館外交」なども、ですね。

そのため「オモテ」が洋式で、

「ウラ」が和式。

逆ではないのですね。

その伝統が今も続き、

歌会始のような儀式の際には洋式、

なのだそうです。

そうなんだ、なるほど。

というわけで、

紫苑の疑問にお付き合いいただき

ありがとうございました。

 

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プロの着付け、他装は美しいパフォーマンス

2017-10-27 18:29:21 | アート・文化

 

着物の他装を拝見しました。

たまたまなので、写真は撮れなかったのですが、

着付け師さんが、着物をどんどん着せていく

プロセスは、まるで流麗な踊りを

観ているようでした。

 

借り写真です。

 

帯周り、帯を巻いてギュッと締めて、

帯枕を置いて、紐をキュッと下に引っ張ると、

帯の後ろが丸くなる。

それから、帯締めを上下にして、

輪のなかにいれて、片方を締めると、

真ん中にきれいな形の結び目ができる。

着物を着る人なら、誰でもやっている

当たり前のことですが、一つ一つのプロセスが

流れるように美しい~~。

私自身、何度か着つけてもらい、

また身近な人の例も眼にしている

はずなのですが、

やはり自分で着物を着るようになったからこそ、

そのスゴサがわかるようになりました。


Koyuki1

こちらは小雪さんがトム・クルーズに

着物を着せているシーン。

着付けプロセスが色っぽいのは小雪さんだから?」

 

着付けについては「ルールに従う」

「いや、自由でいい」

とまあ、いろいろで、

私はもちろん「自由派」なのですが、

プロの流れるようなプロセスを観ていると

すごいと思ってしまいます。


逆にいうと、素人が自分で着る分には、

そこまで厳密でなくていいわけで

この辺り、プロの着付け=着方と

素人の着付け=着姿を混同、

普段とフォーマルを一緒に論じている

ような気もします。


もちろん、プロになるために勉強している方、

特にフォーマルの場での着付けを

したいと学んでいる方は、

その流儀に従わないと、

お仕事にならないわけです。


茶道の動きもそうですが、

一連の手の動きや袱紗の使い方、

ベテランはまさに芸術的なパフォーマンス。

見ているだけでうっとりです。

着物にせよ、お茶にせよ動きの一つ一つが、

長年の蓄積で

理にかなっているんですね。


「茶道」の画像検索結果

 

 

帯締めの位置がどうの、

襟がどうのという以前に、

それを身体が覚えているのがすごい。

だって、何年、人によっては何十年も

やっているわけだから。

 

そんなわけで、プロというのは、

何事もすごいもんだと今さらながらの確認。

私も素人は素人なりに、

流れるように着物着たいものです。


着付け試行錯誤」

 

 素人だって、手や身体が覚えるまでになると

楽で、きれいに着られるのでしょうね。

せっせと練習しようと

改めて思った次第です。

 

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「きもの都市伝説」!ってあるかも

2017-08-03 08:23:08 | アート・文化

 

先に「三原さんの着付け」をトライした拙ブログに

「自由にいこう!男着物」(河出書房新社)の著者

鴨志田直樹さんから、

なるほどなコメントをいただきました。

あえてアップさせていただきます。


きものを着ている人、

これから着たいと思っている人にも

参考になるので、ぜひ読んでほしいからです。

ーーーーー


太っている方が良いとか、

痩せていると補正しないとダメ

とか都市伝説がまことしやかに流れています。

一冊目の本の時に若いモデルさんで写真撮りました。

カメラマンさんがモデルさんを一目見て

「かなり補正しないと」というほど痩せていました。

私は「帯の位置を間違わなければ

痩せていても補正なくても大丈夫」

と着付けて撮影!

カメラマンさんが

「痩せていても大丈夫なんだね」と。


男の着物もそんなものです。

未だに高校講座家庭総合で和装を取り上げたとき

「男は太っている方が着物が似合う」

なんて言ってます。

ーーーーー

 

 ちなみにコメントのなかにある

最初の本は「男のふだん着物」(河出書房新社)です。

 

えば、「きもの都市伝説」

いろいろありますね。

私自身、そう思い込んでいることも

たくさんあるように思います。


ずっと、「痩せているから~~」と

言われ続けてきました。

でも、このたび、

三原さんの着付けをやってみて、

すごく開放されました。


 

二回目トライは雪絞り帯のとき。

最初は恐る恐るだったけど、

二回目はもう、襦袢というより

ワンピースを着ている気分。

胸紐なしがこんなに楽だとは。

お見苦しいとは思いますが、

あえて写真アップします。


 

襦袢が着付けのポイントですが、

あっというまにきれいに着ることが

できました。

襦袢の背中にコーリンベルト

縫い付けるだけ。

襟もちゃんとできました!


胸補正も、初心者の頃は「胸がない」からと

下着に綿をいれたものを身に着けたり、

ほら、あれよ、あれ。


ガーゼタオルを二つに折って

補正をしたりしていましたが、

ほら、あれよ、あれ。


ずれるし(笑)、いつのまにかなしに。

着るときは必ず補正しなければ、

と思っていました。


帯を締める前。

こちらのコーリンベルトさえ、

必要ないかも。


タオル一枚補正のときに、百均の

伸縮包帯を半分に切って留めました。


何年か前、女優さんの着付けを見たことがあります。

そのときには、

もう防弾チョッキみたいな補正着?を、

きものの下に着けていて、

興ざめした覚えがあります。

 

前に、山口智子さんの

トークショーに行ったときにも、

山口さん、

きものを脱いだときにも、美しくありたい。

でもいまのきものでは、補正だらけで難しい。

もっと自由に着たい」なんて

仰っていました。

あれから5年も経つんですね。

 

山口さんが着た志村ふくみさんのきもの」

 


今では、石田節子さんなど補正なしで

着付けをなさる方もいらして。

吉永小百合さんの着付けなどをなさっていますが、

それだって「うるさい方々が」


「きもの都市伝説」、

きものは痩せている人はうんと補正を、

は事実と違うのですね。


痩せていても、ふっくらでも、

自分の身体に添って着ればいいのですね。


きものお手入れに命をかけている三島正義さんも

間違った知識がいっぱい、本当らしく伝わっている、

とおしゃっていました。

きものクリーニングとか、パールトーン加工とか。

 

きものは苦しいとか、

きものは高い、とか。

ああとか、こうとか~~。


ホント、やってみると、

カンタンに着られるもんだと

イマサラ実感してしまいました。


自分の身体で感覚で確かめながら、

楽で美しいきものライフを

目指したいと思います。


鴨志田さんは、

女着物だって、自由にいこう」

で、コメントくださって、ときどき

参考になるコメントくださいます。

ありがとうございました。

より自由になりました。


まだまだありそうな、というか、

きもの界、「きもの都市伝説」だらけの

ような。

少し集めて検証してみたいもんだ。


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美しい日本をつかいませう。

2017-04-20 18:38:35 | アート・文化

 

古本屋で見つけたこんな本。

「美しい日本語と正しい敬語が身に付く本」

(日経おとなのOFF)

前にアップした片付け本と同じシリーズ。

納得のお片付け本二冊」

前のムックがよくできていたので、

つい手に取った。

安かったしね。


竹久夢二の絵がキュートだね。


まず最初にお断りしておきます。

 

まず最初に」は、「重複表現」といって間違い。

手元にある単行本を開いてみた。

一行目に、

「まず最初に」とあった。

校閲はどうした、校閲は~~!!

などとは言いませんよ、私。


自慢じゃないけど、私,はるか大昔、

入社試験を受けたとき、

運よく入社できたものの、

「あなたは誤字が多い。今後のため、

人事部長に当分日記を出すように」と

言われた、ハハハ。

「~~書くことがあふれててそれに文字が

追いつかないんでしょう」と

好意的に解釈されていたらしい

同僚は、

ふつかよいですが、よろしく」と挨拶。

はい、「ふつつかものですが」ということですね。

「慣れん言葉は使わなくてもよろしい」と

エラい人は笑っていました。


時代がいまより緩やかというか、

いい加減だった時代~~、懐かしい。

いまなら路頭に迷っているね、わたし。


裏表紙には、

「祖国とは国語である」とあります。

山本夏彦さま、きれいな言葉。

イイネ、イイネ。


で、本は~~、

先ほどの重複表現とか、

おかしな慣用表現とか、

「食べ放題」→「食い放題」

「こんがらがる」→「こんがらる」

「白黒つける」→「黒白をつける」

「いい年して恥ずかしい漢字の読み違え」では、

「いい年して恥ずかしい」の惹句が効いているね。


「耳障りの良い」言葉→耳障りは悪い意味で

使われるので、それをよいと肯定するのは矛盾。


間違った意味に取られている四文字熟語とか。

最近、テレビでもこの手の番組増えたよね。


きもの好きには、きものにまつわる

言葉をご紹介。


「濡れ衣」の由緒って知ってる?

ある後妻が先妻の娘の美しさに嫉妬して、

彼女の寝室に漁師の濡れた衣を置き、

密通していると告げ口したところから、

なんだって。

へえ~~、知らなかったわあ。


漁師じゃなくて猟師だったら、

どんなことわざができたか、

みんなで考えてみよう~~!!


この本のなかに誤字を見つけた人は

表彰もんだね。


美しさは、確かに言葉から。

きれいな日本語、使いたいよな。

君に言われたくない、いや、ほんと。


というわけで、

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ブログの魔力、きものの魅力

2017-02-23 18:31:45 | アート・文化

 

ブログを休んでいるあいだ、

「ああ、きもの着たいなあ」と頭のなかで

空想置きコーディをすることがありました。

あの着物に、この帯を合わせたらどうだろう、

この帯だって合うかも。

そうすると帯揚げは?

帯どめは?


もう目がさえてしまって、すぐにでも起きて

実際にやってみたい~~。

でも、きものないしなあ。


わが家に帰って。


きもの熱が高じて買いすぎて

それらの着物に少しでも日の目を当てたいと

ブログをはじめてはや四年半も!!(だと思う)。

ブログって、始めると、

これもまた魔力があるんですね。

嫌味コメントやら、

「好きではないわ」コメント

(なら、スルーしてね)来るし、

 「00の呪い」なんて怖いことをいって

 やめた人も~~。

都市伝説か?


仕事以上に熱心になって、

仕事に差しさわりが出てきたからやめます

というブロ友もいましたね。

わかる、わかる。

 

でも、仕事ではないから、

熱心になれるってことあるよなあ。


それでも人様のブログを見ていると、

 仕事でもないのに(仕事の人もいるけど)、

いろんなことを教えてくれる熱意、

面白さには、頭が下がります。

 何かを好きになるって

エネルギー生むんですね。


 ブログ文化ってすごいなあ、と再認識。



私の場合、着物のためのブログが

ブログのための着物になっていたような~~。

きものとブログの相乗作用、あるよなあ。

着物がきものを呼びこんで、増殖したように

ブログがブログを呼び~~。

 

 

あとから、あの熱意はなんだったんだろうって

思う日来るのでしょうか。


お休みして水をかけて、ああ、やっぱり

きもの好きだ、と再認識して。



きもの離れするとき来るのかなあ。

せめてオリンピックまで~~。


関連ブログ。

ブログの功罪」→ときどきブログについて考える

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日本の衣って、そうなんだ&きもの好きに嬉しい「衣の会」

2017-02-21 11:06:31 | アート・文化

 

先に行った文化学園博物館。

雑駁な新宿の街に忽然と美しい並木道が

現れます。


 

ずっと前から行きたかったのですが、

なぜか初めて。

近くに中央公園があります。


風が強くて?乱れたね。

 

展示会では麻の作り方やら、

刺繍きものの展示やらが

ワンコインで。


今回、ここで教えてもらったのは、

「真綿」の作り方。

いえ、真綿がいわゆる屑繭で作ることは

知っていたのですが、その前段階・

繭をアルカリ性の水のなかに浸して、

少しずつ少しずつ伸ばしていき、ハンカチ状にします。


ネットの借り写真です。

展示会では写真撮影はNG。


これを6枚くらい重ねたものから

糸を引いていくんだね。

屑繭の再生、ものすごく手間かけてるよね。



前に結城の里の奥順で見学したときには

ここまでの説明はなかった。

そうだ、結城の里行こう」


②次は、武士の裃。

質実剛健を旨とする武士ゆえ、

江戸時代の後期まで、素材は麻だったそうです。



ふ~~ん、江戸小紋(定め小紋)は武士の

礼装だったというから、

絹だと思っていたけど、

麻だったんですね。


③は「綾部」とか「錦織」という名前。


これらは6世紀頃、大陸から絹が

伝わったとき、渡来して、

日本人に織りの技法を教えた人たちのこと。

そうか、ピースの綾部やテニスの錦織さんって

もともと織り人だったんだ~~。

まあ、これはおまけ情報。


そうそう、もう一つ、これは実用的な情報。

東京は代々木にある「衣の会」。

 

営利団体ではないから、一か月なんと

2500円程度で

着付けを教えてくれるそうです。


着物同士、つい話が弾んで~~。

いいですよね、このきものコーディ。




そのほか、能やら歌舞伎やら源氏物語研究やら、

着物にまつわるあれこれのイベントも。

詳しくは

衣の会きもの研究グループ」


楽しそうですよね。

素敵なきものを着た方と

初対面ながら話が弾んで

教えていただきました。

着物着ていると、楽しいことあるよね。

 


 春はバラの帯どめと梅のかんざしに。


というわけで、

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赤と緑と黄・ゴッホとゴーギャンの色彩の力

2016-10-28 18:49:24 | アート・文化

 

先日の続きです。


本日の東京は雨、おまけに寒い。

外から帰ったら、家のなかのほうが寒い?

10月でこの寒さ、この家での初めての冬は

乗り切れるのだろうか、との懸念を抱きつつ、

天気予報をみると「師走なみの寒さ」だそうです。

まずは安心。

家族のいない家は寒い~~。

 

 

ゴーギャンの伝記といわれる

モームの名作「月と六ペンス」を読んだのは

確か中学生頃だったと思う。

ものすごく面白かったけど、

ゴーギャンの奥さんが「お金、お金~~」といっている

印象が強かった。


ゴーギャンの自画像。悪漢のイメージ?すみません。

 

何しろ、36歳で金融業界から

いきなり画家の道を志したのだから

びっくりですよね。

家庭を顧みず芸術の道を突き進む男に反発したり、

でもいいなあと思ったりしながら次々とページを

めくったものでした。

ゴッホも26歳で画家の道に。

それまでは牧師志望だよ。

同情からか、

身重の娼婦!!と結婚の真似事をしたり、

意見が合わずゴーギャンをナイフで切り付け、

贖罪の意味で自分の耳を切ったりと、熱い。

いわゆる破滅派って感じ?

こういう熱さって、良し悪しは別にして

いまはもう見当たらない~~。

なぜだろう、なんて考えたりして。

 

専門的な本によると、


ゴッホがユートピア(アルルやニッポン!)を

夢見たロマンチストだとしたら、

ゴーギャンは「、金がないからアルルに行く」と

いうリアリスト、さすが元金融関係。


作風も性格も正反対、だそうです。


しかし、絵をみると、ゴーギャンもタヒチに、

自分の「ユートピア」を夢み、


二人が共同生活を送った黄色い家


農民や労働者を描いていたゴッホは、

「夜のカフェ」や「ひまわり」の連作という

幻想的な絵を描くように~~。

 

私が思うに(シロウトなのにはばかり多いことだが)

今拝見すると、赤と緑の反対色の対比の多様とか、

浮世絵に影響を受けた構図とか、

共通点が多いように思える~~


 

 ひまわりを描くゴッホ(ゴーギャン作)

 

 アルルを去ったゴーギャンは

ゴッホと一緒にいた日々は一世紀にも思えるほど

長かった」と述懐。

たった三か月の短い共同生活、

その間に激しく影響しあったんでしょうか。

 


この二人、ものすごく面白いです。

 「月と六ペンス」、読み返してみよう。


 

東京都美術館

 

「ジャパニーズ・ドレス」と言われて

一緒に写真を。はい、パチリ。

 

ここで叫びたい。

 

ちなみにこのタイトルの意味は、

月は手の届かないもの、六ペンスはお金」

夢と現実という意味。

私のような普通の人間は、

夢と現実のあいだをウロウロするだけで

人生終えてしまう~~。

マッ、それも一つの生き方だよね。


というわけで、つい熱く?語ってしまいました。



最後までありがとうございました。

関連ブログ

ゴッホコーディと六本木界隈」→

前に行った国立新美術館

 

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志村ふくみさん・美のルーツを探る

2016-10-14 09:54:56 | アート・文化

借り写真です。

 

志村ふくみさんの美術館に行ったあと、

その色の美しさが頭のなかでぐるぐると

渦を巻いています。

気になって、彼女の本で再確認しました。

 

たまゆらの道~正倉院からペルシャへ」(世界文化社)


かなり前に購入、目を通した、のですが、

まさに「目を通した」だけ。

頭からは素通りしていました。



この本の冒頭に、彼女の染色に道を志した経緯が

詳しく綴られています。

大阪の裕福な商家の娘として育った祖母、

その祖母を見て育った母。

しかし、母は柳宗悦の民芸運動に傾倒、

「すっぱり華やかな衣装を脱ぎ捨てて、

藍染、唐桟~などの質素な着物に徹底した」


志村さんが染色の道を志したとき、母親は

「私は豪華な衣装は身に添わない。

~~ただ自分の本当に気に入った着物が着たい。

あなたに織ってほしいのはそれや。

自分が着たい、愛する人に着せたいと思うものを織って

ほしい」とおっしゃったとか。



藍が生まれる瞬間。「たまゆら~~」より。

 

本は、志村さんが娘の洋子さんと、

京都・奈良の最古の裂(きれ)を訪ねたり、

日本の美の源流であるイラン・イラクへの旅を

綴っています。


 

その美しさを辿りながら、やはり思うのは着物のこと。


今の日本で着物がだんだん

顧みられなくなっていることを悲しみながらも、

「~~着物は古臭いどころではない。

新鮮で知的でなにより女らしい」という。


すべての女性が着物を着ると美しくなるのはなぜか

と、自ら問い、

「それは民族の魂や、叡智が宿っているから」

古の力は「自分以上の力を与えてくれる」とも。

 

確かに着物を着ると~~プチプラといえど

自分以上の力を感じるよ。

 

 

遠い異国の地にニッポンの美の源流を見、

祖母や母、そして若い頃に目に焼き付いた数々の美。


「あの頃の女性は、どんなに洗いざらしの着物でも

立派に着こなしていた。

最高の贅沢な衣装にも引けをとらなかった。

どこか男っぽい服装も時代や権力に媚びを

売らない姿勢だった」


 彼女の「美」形作ったのは、

こういうモノたちだったのですね。


伊達政宗の陣羽織・ 水玉が斬新(「たまゆらの~~」より

 

そして老いにも言及。

老いを上手に演出」するとは、

「姿勢。生きる姿勢。体の姿勢は弱っても、それを補って

くれるのは美容でも環境でもなく

自分ひとり、たったひとりで立つこと、

それ以外にはないと思う」

92歳、現役。

 

彼女の、高価な着物は買えないけど、

せめてその精神だけでも、

受け止めたいものです。


 

「たまゆら」とは勾玉同士が触れ合ってたてる

微かな音のこと。

 

転じて、わずかな間、一瞬、かすかを

意味する言葉です。

 

短い、一瞬の夢、それゆえに人は

 

あれほど美しいものに憧れるのですね。



この世にあるたくさんの美しいもののなかから

わたしたちはどんな「美」を選び取っているのか、


そして、なぜ自分は、それを美しいと感じるのか。

そんな自分自身の「美のルーツ」を

私もたどってみたくなりました。

 

美への、美術館への道。

 

長くなってしまいました。

最後までありがとございました。

 

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「美しいきもの」・芸者って神々の末裔だったのね

2016-10-05 18:44:31 | アート・文化

 

「芸者」

この言葉には、さまざまなイメージを喚起させられます。

美容院でたまたまぺらぺらとめくってみた

きもの雑誌「美しいきもの」(ハースト婦人画報社)

 

その後ろのほうのページに、忽然と現れた

「東都風流(あずまのてぶり」なる芸者論。


 

文章も、なかなかの美文で、

「すっきりとして垢抜けがして気持ちの宜い、

しかも婀娜に落ちぬよう、

どこまでに上品な瀟洒を命とする江戸伝来の~~」

とまあ、こんな調子。

「あじきない」きもの姿が増えたのも、

東京の花柳界の衰退にあるとのお説。


かつて一世を風靡、

世の男性ばかりではなく、

女性の憧れの的だった芸者。

その起源から、浮き沈みを論じた連載なんですね。

一読して面白い!

この人だれだ?と調べたところ、

「芸者論=神々に扮することを忘れた日本人」(雄山閣刊)

で、和辻哲郎文化賞を受けた岩下尚史さんという方。


早速、本を取り寄せました。

神々に扮することを忘れた日本人~~」という言葉に

惹かれましたね。


 

芸者と言われて思い出すのは、

P4282853


伊嶋ナギ先生の「色っぽい講座」で教えていただいた、

江戸時代の「お布団」(笑)

色っぽいきもの講座・芸者の必需品とは?」

 

明治維新の頃には、その地位はぐっと

上がって、陸奥宗光夫人

美しさの効用・美貌という武器」

西園寺公望、山形有朋、板垣退助ら

大物政治家の側室たち。

彼女らはみな、新橋の芸者。

新橋芸者が当時の政治家に愛されたり、

玉の輿に乗ったりしたのは、

彼ら政治家たちは、昼夜の区別なく、この界隈で

国務を図ったからだそうです。

ふ~~ん。

政治の話のあとに、芸者さんたちを呼んだわけね。

そんなこんなで、「芸者」にまつわる蘊蓄が満載。


芸者とはもともと男性だったとか~~


門前仲町という町は、三味線上手な一人の女性が

開いた茶屋から始まったとか~~、


関西の「はんなり」に対し「江戸の粋」とは、

この芸者たちの地味好みから始まったとか~~、

明治の頃には、三井呉服店と提携して

高尚化していったとか~~、


美しく清楚な白拍子。静御前。

(上村松園作)


巫女から白拍子、踊り子、遊女、そして芸者の誕生、

衰退まで~~。

 

「~~現代において一つの整った洗練の美を

確保していることは争えない」とは日本画家

鏑木清方のお言葉。

アウトローの女性たちが、どのようにして

自らの誇りと美を磨いていったか。


その心意気、装いの精神を、懐の奥深くに

忍ばせて着ていたなんて、ちょっとカッコいい。


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「贅沢」な「貧乏」・鴎外の娘

2016-06-13 21:47:28 | アート・文化

 

鴎外記念館の続きです。

こちらのブログが14日はメンテで使えないので、

本日アップします。


イベントが終わったあと、館内のカフェ。

 

ドイツ留学に合わせてウインナーとブレッツェル

セット。

 

カフェから庭を見ると猫ちゃんがお昼寝。

 

 

展示会場では鴎外関係のビデオもじっくり拝見。

そこで鴎外の作品はすべて読破したという

作家平野啓一郎さんが、

「舞姫などに代表されるように鴎外は冷酷な人の

ように思われているけど、(安楽死を扱った)

「高瀬舟」「阿部一族」などを読むと、

どんなに力を尽くしたあとでも人の力では

どうしようもないものがある。

大地震を経験したあとでは、鴎外の

そんな思想は胸を打つのではないか」

とおっしゃっていました。

 

 

 


なるほど、

シニアになると、「努力は必ず報われる」とか

そんな考えに必ずしも頷けないことが

確かにあると納得します。

だからといって何もしないのではなく

やってみることに意義がある~~。

「山椒大夫」など子供のころに読んで号泣したものです。

弟を逃がすため安寿は死んだけど、

ラスト厨子王と母は再会することができた。

鴎外、再読してみましょうか。

 


 二階の休憩室。

 コンクリートの壁が現代的。

かつての家屋の一部なりとも再現してほしい。


森茉莉さんの「贅沢貧乏」も面白かった

(遠い昔に読んだ)

狭い部屋に一人で暮らす女性が

ベッドにかけられた色とりどりの洋服を

眺め、なんて美しいと感激する、

「貧しさのなかで贅沢に暮らす」といった内容でした。

 

貧乏だけど贅沢なのか。

貧乏だから贅沢なのか。

貧乏と贅沢なのか。

贅沢こそ貧乏のか、

逆に貧乏こそ贅沢なのか、

貧乏が贅沢なのか。

贅沢に貧乏を楽しむのか~~。

贅沢な貧乏なのか。

いろいろ解釈できますが、結局のところ

「おかねのあるなしにかかわらず、

好きなものに囲まれて暮らすのが贅沢」

ということでしょうか。


鴎外の娘、晩年は財産(鴎外の印税も)

などなくなってしまったけど、

本当に、心から自由で楽しそう。

奥様より娘になりたいとワタシが思ったのは、

だからなのかも。

二回離婚。

花瓶の後ろが最初の旦那さま。

二回目は「実家に遊びに行っておいで」といわれて、

そのまま離婚されたとか。


 

入口の鴎外と一緒に記念写真。

光がきれい。

背中のシワもなく、きれいに着用できました。


鴎外って60歳でお亡くなりになったのですね。

もっと年取っていると思ってた。

60年、濃さが違うのね。

 

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