宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

心を射抜く言葉

2005年01月26日 | Weblog
「真に称賛すべき人間の特長は、逆境に直面した時、
強い信念のもと、自分の生き方を貫く事が出来る事。」
(L.V.ベートーベン)

近年のニューエージブームの影響か、いわゆる「精神世界」
関連の執筆に目を通すと「ワクワクしなさい」「努力不用、
自分を潤しなさい」「人生はただ楽しむために存在する」といった
表現に出くわす。
こうした言葉を書き連ねた書物は売れに売れている。もしそうした
言葉を求める読者が存在しなければ、そうして本が出版され
販売される事などもなかっただろう。

この複雑な現代社会で多くの重圧を、責任を、葛藤を抱えて生きる
事は決して生易しい事ではない。そして時に精神的な重荷をおろしたいと
いう心情は理解出来る。しかしこうした言葉はつかの間の慰めにはなり得ても、
人を強め、鍛錬し、大人にするものではなく、人生への真の回答を掴ませるもの
でない事を感じる。一時の慰安、安息、鎮痛剤となり得ても、人を真に力づけ、
人生に勇気を与えるものとはならないだろう。昼間だけの、夜のない人生は
存在しない。

単に聞き心地の良い文句ならいくらでも存在するが、人生に深い励ましを
与えるのは、幾多の困難や苦難に打ち克ったその人間自身の口から語られる
言葉である様に感じる。そうした言葉は特有の力強さ、説得力、磁性を
宿している。


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「カムデブ神のマントラ」

2005年01月25日 | Weblog






(  `m´) 「…このマントラは 自己のオーラや磁気を強めたり
          16才の肉体の若返りを与えるとされます。」



(  `m´) 「…しかし正式に行う場合、
          金曜日から始め 
          16才の自分を観じながら
          108遍誦す事を21回、
          21日間 毎日繰り返し、
          満行の後で 7人の少年に甘い食べ物を与えて完了するという
          少し難しいもので

          無理のない範囲で行われて よろしいのではないかと。」




「クリーム・カームデバイ・ナマー。」

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そして冬が寒さが

2005年01月24日 | Weblog
「僕の故郷、僕がこの世の光を初めて見た美しい国、
それは僕がそこを去った時と同じように、いつも
僕の目の前に美しくはっきり見える。」
(L.V.ベートーベン)

こちらは現在近年稀に見る大雪となっている。
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2005年01月23日 | Weblog
本日もカナダのテレビ番組を見ていた。
一人の西洋人の僧侶が「禅堂」に集まった
参禅者達を導いていた。

アメリカの寺院での話しである。
座禅中に僧侶が警策を持って人を打つのを見た一人の
アメリカ人が激怒して、その場で僧侶を打ちのめした
というのである。
「彼は宗教の美名の下に乱暴を行っている。どうして
こんな事が許されるだろう?こうした行為は野蛮で、
暴力的で、非人間的だ。」
そのためであろうか、その禅堂では警策を一切用いなかった。
僧侶は参禅者達と共に座禅をしていた。

なぜ禅はこうまで西洋人を魅了するのであろうか。
その僧侶は瞑想を、静寂を、美を強調していた。
またそこには一人の元映画女優もいた。彼女は過去に映画に
出演し、多忙な日々を送っていた。しかし自身の生活は
静寂の質を全く欠いていたと振り返った。

キリスト教にも瞑想、沈黙、静寂の伝統は備わっていた。
しかし時代が変わると共にそれらは徐々に取り払われ、現在では
よほど厳格な戒律を保持する修道院以外では見られない、稀な
ものとなった。教会では祈り、歌い、友愛を示し合うが、深い
静寂、沈黙、生死の流転に関心を向けられる機会はめったにない。
東洋の宗教に改宗するアメリカ人は増加しているが、一つには
こうした理由が存在するのかもしれない。

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「飛翔の観法」

2005年01月22日 | Weblog





(ネオ・バベッタ)
ζ~(  `m´)~ζ 「…西洋魔術の中で実践される法の中で
            自己を重力より解放する観法が重視されていまして、

            その観法が成功しますと
            脱魂して より高い次元に参入しやすい効果が得られるようです。」


(ネオ・バベッタ)
ζ~(  `m´)~ζ 「…ヤコブの梯子の観法など 色々なものがありますが、
            このような容易な方法もあります。」


(ネオ・バベッタ)
ζ~(  `m´)~ζ 「…静かで 誰にも邪魔されない場所を確保し、
            キャンドルに火を灯し 焼香して瞑想状態に入ります。

            ローブと魔術武器をまとった姿の自己が 肉体を離れて
            天に向かって飛翔してゆき そこで どのような存在や光景が見えるかに意識を向けます。

            もし攻撃してくる存在があれば
            その存在に向かって 五芒星を描く事で退散するでしょう。

            終えたら 肉体に戻り
            戻った所で 右手の人差し指を立てて唇に当てて 帰還のサインとします。」
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秘密の鍵

2005年01月21日 | Weblog
「もしも美しいまつげの下に涙がふくらみ
溜まるならば、それがあふれ出ない様に強い
勇気をもってこらえよ。

通る小道があるいは高くなり、あるいは低く
なって、正しい道を見極めるのが難しいこの世の
おまえの旅路において、お前の歩みは確かに平坦な
ものではあるまい。しかし徳の力は、常に正しい
方向へお前を前進せしめるだろう。

常に行為の動機のみを重んじて、帰着する結果を
思うな。報酬への期待を行為のバネとする人々の
一人となるな。」
(L.V.ベートーベン)

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「伊邪那美命に信心を捧げる」

2005年01月20日 | Weblog




(ドゥルガ女神=忿怒形の伊邪那美命)



(  `m´) 「…このように 一遍誦して ドゥルガ女神の姿を観想する事で
         忿怒形の伊邪那美命に信心を捧げる事ができ、
         より太母に近づく事ができるとされます。」

★「アシュタブ・スサハ
  ドゥルガデビ・ダイニャ・ハロニ・アムハ・トプビ。」
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「神に砂糖を捧げる」

2005年01月19日 | Weblog






(  `m´) 「…ヒンドゥー体系では
          砂糖も 神々に捧ぐ供物の一つとなっています。
          砂糖を捧げる時に このように呪します。」

「我 砂糖の甘美を
我が人生の甘美を喜ぶをうるの引き換えとして
主に捧げまつらん。」


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山を回って

2005年01月18日 | Weblog
「それぞれの糧を求めて、それらのともしびは
山野の間にぽつりぽつりと光っていた。中には
詩人の、教師の、大工のともしびと思(おぼ)しい、
いとも慎ましやかなのも認められた。しかしまた他方、
これらの生きた星々の間にまじって、閉ざされた窓々、
消えた星々、眠る人々が何とおびただしく存在する事
だろう……。

努めなければならないのは、自分を完成する事だ。試みなければ
ならないのは、山野の間にぽつりぽつりと光っている、あのともしび
達と心を通じ合う事だ。」
(サン・テグジュベリ)

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「霊的至福のマントラ」

2005年01月17日 | Weblog




「霊的至福のマントラ」

・「オン・チダナンダヤ・ナマー。」


「ラクシュミの祝福を求めるマントラ」

・「マハラクシュミ・マハラクシュミ
マハカヤ・マバリ・マハプジャ・ケリヤ
サカリ・ダン・プラプティク・ファッラブー・スワハー。」

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