「持人菩薩経」の経文の一部でも
誦したり 聴いたりする事で
無極の功徳が得られるとされます。
以下 「持人菩薩経」の一部です。
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「若不能得現世度世(にゃくふのうとくげんせどせ)
無現世及度世業(むげんせきゅうどせごう)
宣其度世現世本浄(せんごどせげんせほんじょう)
何謂宣布度世之業(かいせんぷどせしごう)
若世本浄至于度世(にゃくせほんじょうしうどせ)
所以者何(しょにしゃか)
永不可得(えいふかとく)
現世本浄悉空(げんせいほんじょうしつくう)
其世亦然(ごせやくねん)
本以自然世本浄寂(ほんにじねんせほんじょうじゃく)
以世自然世浄寂然(にせじねんせじょうじゃくねん)
計世俗法無究竟成(きょせぞくほうむくきょうじょう)
当作是観(とうさぜかん)
現世度世悉不可得(げんせどせしつふかとく)
不得度世不著於世不念度世(ふとくどせふじゃくおせふねんどせ)
以不念世及度世者不与世諦(にふねんせきゅうどせしゃふよせたい)
所以者何(しょにしゃか)
以覚暁了世間悉虚欺詐惑法(にかくぎょうりょうせけんしつきょぎさわくほう)
以能覩見世猗虚無(にのうとけんせききょむ)
不想於世不慕度世(ふそうおせふぼどせ)
所以者何(しょにしゃか)
仏言(ぶつごん)
持人(じにん)
所云世者(しょうんせしゃ)
謂五盛陰也(いごじょういんや)
貪求合会一切世法(どんぐごうえいっさいせほう)
明知求陰永不可得(みょうちぐいんえいふかとく)
五陰自然而不可得(ごいんじぜんにふかとく)
五陰本浄亦不可得(ごいんほんじょうやくふかとく)
五陰無来去無所至(ごいんむらいきょむしょし)
湊処不可得(すしょふかとく)
是曰度世(ぜわつどせ)
不知五陰所帰処所也(ふちごいんしょきしょしょや)
以無五陰(にむごいん)
諸種本浄(しょしゅほんじょう)
及諸衰入之本浄也(きゅうしょすいにゅうしほんじょうや)
若有菩薩観於世俗之法(にゃくうぼさつかんおせぞくしほう)
悉無所見以合度世(しつむしょけんにごうどせ)
不見度世不与世合(ふけんどせふよせごう)
則無有世惟覩度世(そくむうせゆいとどせ)
在于度世(ざいうどせ)
不見世法而有異持也(ふけんせほうにういとくや)
不転二法(ふてんにほう)
云是世俗(うんぜせぞく)
是度世法(ぜどせほう)
所以者何(しょにしゃか)
持人(じにん)
其所在世(ごしょざいせ)
解世本末本無所有(げせほんまつほんむしょう)
度世亦然(どせやくねん)
雖見有世悉無世法(すいけんうせしつむせほう)
所作分別度世倶同(しょさふんべつどせぐどう)
以了無世(にりょうむせ)
假使有人(かしうにん)
心自念言(しんじねんごん)
世俗別異(せぞくべつい)
度世不同(どせふどう)
則於其人仏不興世(そくおごにんぶつふきょうせ)
雖仏出世(すいぶつしゅっせ)
普世顛倒(ふせてんどう)
無発道行用眞正解(むほつどうぎょうようしんしょうげ)
以慧察世頒宣経法(にえさつせしょうせんきょうほう)
処世顛倒貪受于世而救済之(しょせいてんどうとんじゅうせにきゅうさいし)
故曰度世也(こわつどせや)
是故(ぜこ)
持人(じにん)
用眞正解以慧察之暁了世倒(ようしんしょうげにえさつしぎょうりょうせとう)
故曰度世也(こわつどせや)
如来出世普通諸法(にょらいしゅっせふつうしょほう)
世俗度世皆無有二(せぞくどせかいむうに)
以眞正慧観察造証(にしんしょうえかんさつぞうしょう)
故為宣布度世之法(こいせんぷどせしほう)
仏言(ぶつごん)
持人(じにん)
不以是法遊於世間(ふにぜほうゆうおせげん)
無所至湊無所消除(むしょしすむしょしょうじょ)
不猗世諍乃得世義(ふきせそうないとくせぎ)
不念度世暁了世辞(ふねんどせぎょうりょうせじ)
達本所想以著想二(たつほんしょそうにじゃくそうに)
不解能達如是像法(ふげのうたつにょぜぞうほう)
則無済者不能解了不暢度世(即むさいしゃふのうげりょうふちょうどせ)
所以者何(しょにしゃか)
用二行故(ようにぎょうこ)
其二行者不能解了世俗度世(ごにぎょうしゃふのうげりょうせぞくどせ)
菩薩如是方便暁了一切諸法(ぼさつにょぜほうべんぎょうりょういっさいしょほう)
現世度世靡所不達(げんせどせびしょふたつ)。」
「六神名」
これらの六神名を
誦したり 書写したり 聞いたり 他者に教える事で
悪気が近づく事がなくなり
数え切れぬほどの功徳を受け
福徳に恵まれ
臨終において 金色の蓮華体を持って浄土に往生できるとされます。
「仏説此経已(ぶっせつしきょうち)
復告阿難(ぶっごあなん)
我今憐愍衆生故(がこんれんみんしゅじょうこ)
便当更説六神名(べんとうこうせつりくじんみょう)
字(あざな)
一名(いちみょう)パナラ
二名(にみょう)キャナラ
三名(さんみょう)ゼンタキャ
四名(しみょう)インキャ
五名(ごみょう)マズ
六名(りくみょう)マギ
此是六神名字(しぜりくじんみょうじ)
阿難若有衆生(あなんにゃくうしゅじょう)
無男無女(むなんむにょ)
無貴無賤(むきむせん)
有苦厄者(うくやくしゃ)
皆当称説六神名字(かいとうしょうせつりくじんみょうじ)
所患消除(しょかんしょうじょ)
衆悪気皆不得近(しゅあくきかいふとくこん)
一切滅尽無有遺余(いっさいめつじんむうけんよ)。」
「爾時(にじ)
四天神王(してんしんのう)
偏袒右肩(へんたんうけん)
右膝著地(うしつちゃくじ)
一心合掌(いっしんがっしょう)
白仏言(びゃくぶつごん)
世尊(せそん)
我当於如来滅後(がとうおにょらいめつご)
各将眷属按行国界(かくしょうけんぞくあんぎょうこくかい)
有能読誦書写(うのうどくしょうしょしゃ)
受持是経(じゅじぜきょう)
我等眷属常来随(がとうけんぞくじょうらいずい)
逐是人昼夜擁護(すいぜにんちゅうやようご)
令不見悪是人(りょうふけんあくぜにん)
欲行曠野中(よくぎょうこうやちゅう)
我常随逐導(がじょうずいすいどう)
従懃心擁護(じゅうごんしんようご)
是人不令悪鬼(ぜにんふりょうあくき)
妄来侵近(もうらいしんこん)
常得充足(じょうとくじゅうそく)
不令飢渇所(ふりょうきかつしょ)
欲求者我等(よくぐしゃがとう)
神王悉令(しんのうしつりょう)
供給如其所願(くきゅうにょごしょがん)
無所之少何以故(むしょししょかにこ)
是人能令流布此経(ぜにんのうりょうるふしきょう)
修業善法
供養三宝令不断絶(くようさんぽうりょうふだんぜつ)。」
「自他の病を癒す」
誦したり 聞いたり 他者に教える事で
自己の病や 肉体的な苦痛が癒されるとされ
1遍誦すならば
自己の病や 肉体的な苦痛が癒され
2遍誦すならば
配偶者や子供の病や 肉体的な苦痛が癒され
3遍誦すならば
親族たちの病や 肉体的な苦痛が癒され
4遍誦すならば
その国の人々の病や 肉体的な苦痛が癒され
5遍誦すならば
一切人民の病や 肉体的な苦痛が癒され 安楽が得られるとされる。
「ナモ・バガヴァテ・ヴィプラ・ブッディ・ガムビーラ・ガルジタ・ラージャーヤ
タターガターヤ・アルハテ・サンミャク・サンブダーヤ
タドヤター・ヴィプラ・ガルジテ・ヴィマラ・ヨニセ
アーラガテ・アーラガテ・スヴァーハー
ナマ・サルヴァ・ニーヴァラナ・ヴィスカムビネ
タターガターヤ・タドヤター
ヘ・マヘ・マハー・マヘ・スヴァーハー
ナモ・グナ・カラーヤ・タターガターヤ・タドヤター
ガガナ・アーカレ・ガガナ・サムバヴェ・ガガナ・キールティテ・スヴァーハー
ナマ・サマンタ・ガンドッタマーヤ・タターガターヤ・タドヤター
サマエ・スヴァーハー
ナモ・アパラージタ・ガーミネ・タターガターヤ・タドヤター
アマート・マヒー・スヴァーハー
ナモ・マーナ・スラムバーヤ・タターガターヤ・タドヤター
マーナサ・ヴィスッデ・パドメスヴァレ・パドマ・サムバヴェ
キムカリ・ヒラムカーリェ・スヴァーハー
ナマ・サルヴァ・ブッダ・ボディサットヴァーナーム
ナマ・アーリャ・マンジュスリヤ・ボディサットヴァーヤ・タドヤター
ジャエ・ジャエ・ラマティ・ヘ・マヘ・マハーマヘ・スヴァーハー
ナマ・アーリャ・アヴァロキテスヴァラーヤ・ボディサットヴァーヤ・タドヤター
ガガナ・アードエ・ガガナ・サムバヴェ・ガガナ・マドヒェ
ガガナ・ヴィクラーンテ・エヒェヒ・スヴァーハー
ナマ・アーリャ・サマンタ・バドラーヤ・タターガターヤ・タドヤター
ヘ・バドレ・マハー・バドレ・アムルタ・バドレ
ヴィガタ・ラジャス・マハー・ヴィガタ・ラジャス・スヴァーハー
ナマ・アーリャ・ヴィマラ・キルティターヤ・タターガターヤ・タドヤター
アニクルティタ・サルヴァ・ジト・ニルビー・ヴァジュラ・サムバヴェ
ヴァジュラ・ビダカレ・スヴァーハー
ナマ・サルヴァ・ブッダ・ボディサットヴァーナーム・タドヤター
チェタ・カーラピ・ジュヴァラニエ・スヴァーハー
ジャムバニ・スタンバニ・モハニ・プンダリーカーヤ・スヴァーハー
モハ・ダーンテ・ジャンバニエ・スヴァーハー
ドゥラ・ヴィドゥリーエ・カーラ・ヴィクルテ・スヴァーハー
サーンテ・シヴィ・ニルヴァーパニーエ・スヴァーハー
ドゥラ・ヴィドゥリーエ・スヴァーハー
ラムバ・チューダーヤ・スヴァーハー
ロキカ・ロコッタラーヤ・スヴァーハー
アジュナーナ・ヴィロダニエ・スヴァーハー
ダートゥ・カリーエ・スヴァーハー
メガ・スポタナーヤ・スヴァーハー
ブラフメ・グラハーヤ・スヴァーハー
サルヴァ・カルマン・アビ・シクターヤ・スヴァーハー
サルヴァ・ブッダ・アビ・サムスクルターヤ・スヴァーハー
エカ・スルナガーヤ・スヴァーハー
ブーターヤ・スヴァーハー
アドブターヤ・スヴァーハー
サルヴァ・ドゥコパ・サマーヤ・スヴァーハー。」