宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「ヘールカの25尊の加持を受ける」

2021年04月30日 | Weblog




礼拝や供養を捧げて誦す事で
チベット仏教に伝わる ヘールカの25尊の加持が得られます。

「ウン・オンブッダ・パーリニ・アー
 フリー・ジェー・ウン。」
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「ノーシスの おうし座のエクササイズ」

2021年04月30日 | Weblog




座して内的に祈りを捧げる。

★「わが御父(おんちち)、
わがまことの実存なる御身よ、
我 御身に こいねがいたてまつる。
おうし座の星座の主星に 御みずからを運び、
ハートの神殿の門戸を通じて礼をなし、
御身の既に知りたもう
その星座の主神と その天使たちを このつつましき家に連れ来たりて
我に御情けを持ちて
わが喉頭を癒す備えをなさせたまわんことを。」


やや眠気を催すようにさせてから
光が 自己の頭部から喉元へと至る様子を観じつつ
4遍誦す。

★「アーーオーームーー。」

胸の前で右が上になるように 両手を交差させて
首を右に傾けて 深く息を吸い込んでから

★「ジャキン。」と誦し

次に左に傾けてから

★「ボアズ。」と誦す。
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「阿弥陀仏の灌頂を受ける」

2021年04月30日 | Weblog



(阿弥陀仏)

阿弥陀仏に 礼拝や供養を捧げて行います。

座して 「法界定印」を結んで
心の中で「オン・マニ・ペメ・ウン。」の眞言を108遍誦す。

下丹田の部位に 直径12センチぐらいの
赤い円盤状の日輪がある様子を観じ、

その日輪の中央に 赤色の仏身で
人差し指ぐらいの大きさの阿弥陀仏がおられ、
烈しい熱を発しており、
下丹田が熱くなるのを感じる。

そして頭頂と下丹田の間に 真っ赤な垂直の赤い経路が通じ

頭頂に観世音菩薩がおられて
水晶のような甘露を流出させて
甘露が 赤い経路を通じて
下丹田の阿弥陀仏に注がれて
更に激しい火焔を発すして
その火焔の熱が 自己の全身を熱するのを感じる。
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「老子道徳経」

2021年04月30日 | Weblog




「老子道徳経」は読経してゆくうちに
自己の真我を発現させて 光り輝かせてゆく作用があると言われています。

以下 10年以上前に存在していたHPに掲載されていた
「老子道徳経」の書き下し分のコピペです。

++++++++++

天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。
是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。非以其無私耶、故能成其私。

天は長く地が久し、天地の能(よ)く長く且(か)つ久しき所以の者は、
其の自ら生ぜざるを以て、故に能く長生す。
是(ここ)を以て聖人は、其の身を後にして而も身は先んじ、
其の身を外にして而も身は存す。
其の無私なるを以てに非ずや、故に能くその私を成す。

*******

上善若水。水善利萬物、而不争。處衆人之所悪。故幾於道。
居善地、心善淵、與善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。
夫唯不争、故無尤。

上善(じょうぜん)は水の若(ごと)し。
水は善(よ)く万物を利して而(しか)も争わず。
衆人の悪(にく)む所に処(お)る。故に道に幾(ちか)し。
居(きょ)には地を善しとし、心には淵(えん)なるを善しとし、
与(まじわり)には仁を善しとし、言には信を善しとし、
正には治を善しとし、事には能を善しとし、動には時を善しとす。
夫(そ)れ唯だ争わず、故に尤(とが)め無し。

*******


載營魄抱一、能無離乎。專氣致柔、能嬰兒乎。滌除玄覽、
能無疵乎。愛民治国、能無爲乎。
天門開闔、能爲雌乎。明白四達、能無知乎。
生之畜之、生而不有、爲而不恃、長而不宰。是謂玄徳。

営魄を安んじ、一を抱きて、能(よ)く離れること無からんか。
気を専(もっぱ)らにし柔を致して、能く嬰児ならんか。
玄覧(げんらん)を滌除(できじょ)して、能(よ)く
疵(し)無からんか。民を愛し国を治めて、能く以って為すこと無からんか。
天門開闔(かいこう)して、能く雌(し)たらんか。
明白四達して、能く以って知ること無からんか。
これを生じこれを蓄(やしな)い、生ずるも而も有とせず、
為すも而も恃まず、長たるも而も宰(さい)たらず。是を玄徳と謂う。
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「グル・リンポチェの加持を受ける」

2021年04月30日 | Weblog


「エマホー
十方三世仏本性(じっぽうさんぜぶつほんしょう)
如来事業悲速行(にょらいじごうひそくぎょう)
守護雪域親許諾(しゅごせついきしんきょだく)
祈請ウゲン・リンポチェ(きじょう うげん・りんぽちぇ)
難忍猛烈虔呼喚(なんにんもうれつけんこかん)
太空悲眼作観照(たいくうひげんさかんしょう)
如今已値五濁世(にょこんいちごだくせ)
地祇被逐部多替(ちぎひすいぶたたい)
安置地神蓮華生(あんちちじんれんげしょう)

外道妖魔泛濫盛(げどうようまふうはんじょう)
安慰正義蓮華生(あんいしょうぎれんげしょう)

舎棄誓言護法神(しゃきせいごんごほうしん)
誓印約束蓮華生(せいいんやくそくれんげしょう)

邪悪妖魔作障碍(じゃあくようまさようげ)
野鬼行善蓮華生(やきぎょうぜんれんげしょう)

魔鬼控制有情心(まきこうせいうじょうしん)
駆散魔類蓮華生(くさんまるいれんげしょう)

破壊仏法冤鬼魔(はかいぶっぽえんきま)
神力解救蓮華生(しんりきげきゅうれんげしょう)

打劫掠奪雪域苦(だごうりゃくだつせついきく)
威摂降伏蓮華生(いしょうごうぶくれんげしょう)

敵軍四方包囲困(てきぐんしょうほういこん)
回遮敵寇蓮華生(えしゃてきかんれんげしょう)

神鬼妖母流行病(しんきようもりゅうこうびょう)
悲薬去病蓮華生(ひやくきょびょうれんげしょう)

畜牧災荒流年災(ちくぼくさいこうるねんさい)
賜予財食蓮華生(しよざいじきれんげしょう)

大地精華悉衰敗(だいちせいかしつすいはい)
普賜福禄蓮華生(ふしふくろくれんげしょう)

教与持教諸一切(きょうよじきょうしょいっさい)
繁栄昌盛蓮華生(はんえいしょうじょうれんげしょう)

我等漂泊輪回衆(がとうひょうはくりんねしゅ)
引趨大楽蓮華生(いんすうたいらくれんげしょう)

見修行持入岐途(けんしゅぎょうじにゅきと)
返帰本覚蓮華生(へんきほんがくれんげしょう)

乃至未来中陰境(ないしみたいちゅういんきょう)
大悲摂受蓮華生(だいひしょうじゅれんげしょう)

無論痛苦何生起(むろんつうくかしょうき)
恒常悲救蓮華生(こうじょうひきゅうれんげしょう)

生生世世一切時(しょうしょうせせいっさいじ)
心向正法蓮華生(しんこうしょうほうれんげしょう)

我等寿終若死亡(がとうじゅしゅうにゃくしぼう)
往生銅色吉祥山(おうじょうどうしききっしょうざん)

オン・アー・ウン
ベンザ・グル・ペマ・シッディ・ウン。」
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「聖ピウス5世教皇の記念日」

2021年04月30日 | Weblog



(聖ピウス5世教皇)



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「主の受難の黙想と祈りによって得られる功徳」

2021年04月30日 | Weblog





主の御受難を黙想する者に
我らの主は このような恵みを約束された。



(1)その人の罪の浄め
(2)その人の一切の怠慢は わが苦難の功徳によって補われる
(3)その人に力が与えられ 容易に敵に打ち克つ事が得られる
(4)わが苦難が しばしば写し出されるのと同じくして
   わが聖寵が その人の中で新たにされる
(5)その人が真に願い求める有益な事を 私は拒まない
(6)その人の臨終の前に 私は完徳へと導く
(7)私は臨終において その人を助け、
   敵どもより その人を守り、救霊の保証を与える






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( 天理幼稚園 おさづけを授かる体験 )

2021年04月30日 | Weblog




+++++++++++++++

        ■ 裏天理時報 ■

   (中山善司)               
 ⊂(  `m´)つ  「…最近初めて 塩分摂取制限をしてから、

              体調が良くなりましたよ!」

+++++++++++++++


           | ■□ 天理幼稚園 ■□ |


ζ~(  `m´)~ζ 「…皆さんには

             今日は おさづけを授かる体験を

             してもらいまして、

             おさづけを授かる事や、

             また将来 おさづけを取り次ぐ時に

             どのような感じで 取り次げばよいかという事を

             知ってもらいます」


            \  はーーーーい! /  
  
    ζ~(  `m´)~ζζ~(  `m´)~ζ(  `m´)|・)し



(中山大亮)               
(  `m´)  「…おいーーっす!

           おさづけは本来

           病気を治したい人が さづかるものなんやけど、

           今日は おさづけ体験という事で、

           みんながコロナに感染しないように 

           おさづけを取り次ぐ事にするよ!」


(中山大亮)               
(  `m´)              |・)し


(中山大亮)               
(  `m´)つ  「…クソガキ!!!!!        |・)し!

            お前の場合だけは

            頭の悪さを治してもらえるように 取り次いでやるから

            ありがたく思え!!!!!!」


(中山大亮)               
(  `m´)つ  「…おさづけの取り次ぎをする人も、

            おさづけを授かる人も

            心の清らかな状態でなくてはいけないので、

            邪念を持ったり 他者に邪念を抱かせたりした場合、

            3日間 おさづけの理は さづけられないようなんだ。」

+++

「さづけという理は、めいめいの心にあるもの、 
日々の通る心遣いがあらわれるもの。心の使い方によって理のあらわれが変わってくるで。

日々通らしてもらうには、

人のあしきを言わぬよう、
人のあしきを思わぬよう、
人にあしきを思わせぬよう、

この三つの心がけ大事やで。
この心がけ一日に一回遣うても、三日の間さづけの理は止まるで」

+++


(中山大亮)               
(  `m´)つ  「…まず 柏手を2回打って」


(中山大亮)               
(  `m´)              |・)し


             |・)し

♪夢いっぱい
https://www.youtube.com/watch?v=cP93PGS4brs

|・)し♪「ようぼくの不満なら いっぱい
      献金ノルマなら めいっぱい
      今すぐ 心の埃はらって
      役員 改心しようよ

      大教会に並ぶ高級車
      運転手付きで乗ってく 役員はだあれ?
      大教会は 伏魔殿になってたよ
      切り取られた おやさまの教え
      贅沢 貪欲 金の匂い
      本当の 御道を返して!

      埃をはらおうよ いっぱい
      役員の醜聞なら めいっぱい
      拝金主義 なんて放棄して
      一列すます世界 目指そうよ

      神様商売の 大教会
      こんな教内で どこへゆくの?
      祭壇の 親神が 去ってったよ
      元の教えに 戻ろう
      貧に落ち切れと言う役員
      自分は贅沢に やってます

      ようぼくの不満なら いっぱい
      献金ノルマなら めいっぱい
      今すぐ 心の埃はらって
      役員 改心しようよ

      埃をはらおうよ いっぱい
      役員の醜聞なら めいっぱい
      拝金主義 なんて放棄して
      一列すます世界 目指そうよ」




            (中田善亮)
            (  `m´)つ | ガラッ


(中田善亮)
(  `m´)つ  「…皆さん

            今日は 初めての

            おさづけを授かる体験をされるという事で

            良い事ですなあ」


(中田善亮)
(  `m´)              |・)し!



(中田善亮)
(  `m´)つ  「…大亮!!                |・)し!

            さづけをやっている場合ではない!!

            すぐに クソガキを捕獲するのや!!!」   



(中山大亮)
(  `m´)つ            |・)し!

           
            

            (中山善司)               
           ⊂(  `m´)つ 「…路上に ぶちまけられているゲロが

                       もんじゃ焼きに見えたよ!

                       ジー君 登場!!」

(中山善司)               
(  `m´)つ  「…善亮!!!大亮!

           小さい娘を勝手に捕獲する事など

           真柱が 許すわけがないのや!!

           黄金週間の 金玉パンチ!!!」



       (中田善亮)
       (  `m´)あっ! (中山善司)
            ⊂⊂⊂⊂⊂(`m´  ) 


           (中山善司)               
           (  `m´)

                    (中田善亮)
                    (  `m´)つ… カクッ



       (中山大亮)
       (  `m´)あっ! (中山善司)
            ⊂⊂⊂⊂⊂(`m´  ) 


           (中山善司)               
           (  `m´)

                    (中山大亮)
                    (  `m´)つ… カクッ



(中山善司)               
(  `m´)                |・)し
     

(中山善司)               
(  `m´)つ  「…月江は                |・)し!

            パパから おさづけの理をさづかって、
   
            パパの御指導に従って

            立派なようぼくになればいいのや」


|ミ サッ!
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「復活後第四金曜日」

2021年04月30日 | Weblog





世界平和のための歌
https://www.youtube.com/watch?v=QICK2UGw04A

♪瞑想音楽
https://www.youtube.com/watch?v=2OEL4P1Rz04

ユダヤ教の安息日
https://www.youtube.com/watch?v=LuQreg7PLgA

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「祖霊を善処に至らしめたり 祖霊による障を防ぐ」

2021年04月30日 | Weblog




(ダッタトレーヤ神)

ダッタトレーヤ神は特に、
祖霊を善処に至らしめたり 祖霊による障を防ぐための守護を与えるとされ、
ダッタトレーヤ神に 礼拝や供養を捧げて誦します。

★「ハリ・オン・タット・サット・ジャイ・グル・ダッタ。」


以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。

+++++++++++++


祖母はよく、「うちには神さまがいるんよ」と話してくれました。

我が家は特定の宗教を信仰していたわけではないので、
ごく一般の家庭でそうであるように、仏壇と神棚が並んで鎮座していました。
そこの管理は祖母の仕事で、毎朝、仏壇には炊きたてのご飯とお水を、
神棚にはお水と季節の果物をお供えしていました。
小学生の頃の私はよく、お供え物をする祖母に同伴していました。

それは信仰心からではなく、神棚に供えた果物は、二、三日して下げられると、
私たち子どもの口に入ったからです。私は、二人の兄を出し抜いておやつにありつこうという、
小狡い子どもでした。

子供心に自分のズルさは自覚していましたが、祖母はなにを勘違いしたのか私の同伴をいつも喜び、
時にはお供えとは別のお菓子を、ご褒美と言ってくれることもありました。
「〇〇ちゃんは偉いねぇ。神さまも喜んじょんよ」
そうやって褒められるたび、かすかな後ろめたさと純粋な嬉しさを感じていました。

「〇〇ちゃんは梨が好きやねぇ。神さまと一緒やわ」
小学2年生のある日、いつものようにお供えに同伴していた私は、唐突にそう言われました。
「神さまっち、梨が好きなん?」
「そりゃそうよ。あんなに飛びついて喜んじょんやろ」
「え、なにそれ」
ごく当たり前のようにそう言う祖母に、私は困惑しました。
そんな私を見て、祖母は驚きと「しまった」が混じり合った表情をしながら、
「ありゃ。あんた、みえんのかえ…」
そう呟いたのでした。
祖母はそれ以上のことを話したがりませんでしたが、
なんだなんだと詰め寄る私に根負けし、「誰にも内緒よ」と前置きして、
「神さま」の話をしてくれました。

祖母の言う神さまとは、一般的にお祀りされている名前のついた神さまではなく、
祖母の家を昔から守ってくれていた神さまのことのようです。

祖母がこの家にお嫁に来た時に、実家からついて来てくれて、
それ以降ずっと我が家を守ってくれているそうです。

姿は、稚児行列の格好をした男の子で、背丈は梨ほどの大きさ。
だから、大好物の梨に喜んで飛びつくというのは比喩でもなんでもなく、
本当に両手両足を使って梨に抱きついているのだとか。

祖母から聞いたその話は、私の中でおとぎ話の小人と完全に一致しました。
是非その姿を見てみたい! と祖母に懇願しましたが、
「みえんもんをみえるようにするんは、そりゃばぁちゃんでも無理よ」とあっさり断られました。
「じゃあなんでおばあちゃんには見えるん?」
と食い下がりましたが、祖母は何故自分に神さまの姿がみえるのか、理由はよくわからないようでした。
どうしても目にすることはできないのだと、かなり悔しがった覚えがあります。

祖母は22歳でこの家に嫁いでくるまで、隣町の農家の娘でした。
神さまは、祖母が物心ついたときから、祖母の家の神棚にいたそうです。
その頃の神さまは、服装こそ同じ稚児姿であったものの、大きさは大人の膝くらいまであったといいます。
祖母には当たり前のように神さまの姿がみえていましたが、他の兄弟や両親にはみえていないようでした。ただ、祖母の祖母、つまり私の高祖母にあたる人には、祖母と同じものがみえていたそうです。
当時神棚の管理は高祖母の仕事でしたが、祖母に神さまの姿がみえていることを知った高祖母は、そのお世話の仕方を祖母に仕込んでいきました。
祖母もまた、自分の祖母から神様のことを教わったのです。
神さまには、毎日新しいお水を差し上げること。
花が好きだから、季節の花もなるべく毎日お供えすること。
一方お酒は嫌いだから、神棚には近づけないようにすること。大人になってお酒を飲めるようになっても、なるべく飲み過ぎないこと。
誰かからいただいたものは、必ず最初にお見せすること。
神さまが嫌う、人を傷つけたり、盗むようなことは、決してしないこと。
大人が子どもに躾ける当たり前のようなことですが、高祖母から言われたことを祖母はよく守り、10歳前に高祖母が亡くなってからは、祖母が代わって神さまのお世話を担うようになりました。
毎朝、ニワトリにエサをやる前に神さまにお水を差し上げ、遊びからの帰り道に季節の花が咲いていれば摘んで帰る。近所の人や親戚から珍しくお菓子などをいただいたときは、一番に神棚にお供えする。
あるとき、お正月用にといただいた古着の晴れ着をお見せしたときは、目を細めてウンウンと嬉しそうに頷いてくれたそうです。
そんなとき、神さまは子どもの姿をしていても、まるで100年を生きた老人のように思えたといいます。
神さまは、残念ながら福の神や座敷わらしではないので、家を裕福にしてくれることはありませんでした。
ただ、家族が大きな怪我や病気をすることなく、先の戦争に取られることもなかったのは、この神さまのおかげだといいます。
神さまはいつも神棚にいるわけではなく、家の中ならばあちこち移動できるようでした。天気のいい日に縁側で布団を干していると、その上でゴロゴロ寝っ転がっていたり、よく台所の梁の上で食事の支度を眺めていたそうです。特に山芋を擦っているときは必ずやって来て、その様子を興味深そうに見つめていたとか。
ただ、家の敷地の外には出られないようで、庭に植えていた松の枝に腰掛けていることはあっても、それから先に出て行くことはなかったそうです。

高祖母が亡くなってから10年近くが経った頃、祖母に結婚の話が持ち上がりました。
当時の結婚というのは見合いですらなく、ほとんどが親同士の話し合いで決まっていました。多くの場合、結婚の話が来た時点で、嫁入り先は決まっていたそうです。祖母の場合もそれは同じで、祖母はもう決定事項として結婚の話を聞いたのでした。
結婚式のひと月ほど前に、結婚相手が仲人とともに祖母の家を訪れました。ですが祖母と会うためではなく、祖母の父に挨拶と結納金の話し合いに来たのです。
祖母は母に「顔をしっかり見といでよ!」と励まされて、話し合いの場にお茶を出しました。
初めて見た結婚相手は、なんだかムスッと気難しそうな顔をしていました。落ち着いているといえば聞こえはいいですが、祖母と同い年とは思えないほど老けて見えたそうです。
がっかりした祖母は、その足で神棚に向かいました。ため息をついて神棚を見上げると、神さまは思いの外、目を細めて頷いていました。昔、いただきものの晴れ着をお見せしたときと、同じ表情をしていたのです。
それを見た時、祖母はなんだか安心して、結婚する覚悟ができたといいます。
いよいよ明日が結婚式という夜、祖母の夢の中に神さまが姿を現したそうです。
そんなことは今までなかったので祖母は夢の中で驚きましたが、神さまが口を開いたのでもっと驚きました。
神さまは、今まで祖母たちを文字通り見守るばかりで、何か語りかけるということはなかったからです。
「今までこの家を守って来たが、わしはお前の代でこの家を離れようと思う」
神さまは唐突にそう言ったそうです。
祖母は慌てました。寝る前に、自分は明日から別の家に嫁ぐが、これからも変わらずこの家を守ってくださいとお願いしたばかりだったからです。
何か粗相があったのかとお詫びしようとしましたが、夢の中ではなぜか喋ることができなかったそうです。
言葉を出せずにもどかしげな祖母をよそに、神さまは続けました。
「この家にはもう、わしのことを世話してくれる者はいなくなる。だから、お前について行って、彼方の家で世話をしてもらうことにした」
「しかし、それでは今まで世話をしてくれたこの家の者たちに不憫だから、半分は此方、半分は彼方に行くことにする」
「それに、わしは××は好かん。大酒を飲むからの。あれは家を潰す」
神様はそれだけ言うと、すっと姿を消したそうです。
祖母は目が覚めてすぐに神棚に行きましたが、そこにいつもいるはずの神さまの姿はありませんでした。
嫌な予感がしました。××は祖母の長兄の名前で、今は出稼ぎのため家を離れていましたが、ゆくゆくは家を継ぐ予定でした。そして、家族も呆れるくらいの酒好きだったのです。
しかし、嫌な予感はしたものの、当時の祖母にできることはありませんでした。
いつものように神さまにお水を差し上げると、あとは母や近所の女性たちの手で、あれよあれよというまに花嫁に仕立てられ、昼前には生まれ育った実家を後にしました。
家を出るそのときまで、神さまは姿を見せてはくれなかったそうです。
隣町の嫁ぎ先までは、汽車に乗って20分ほどでした。海岸線を汽車に揺られながら、祖母は婚礼衣装の裾が汚れないかどうかと、夢の中で神さまが言っていた「半分此方で、半分は彼方」という言葉がどういう意味なのか、気になっていたそうです。
汽車を降りると、目的地までは50メートルほどの一本道でした。ですが、そこで祖母は嫁いで最初の試練に遭遇します。
それは、水路に掛けられた一本橋でした。丸太といってもおかしくないほどのお粗末な橋に、慣れない衣装の祖母は足がすくんでしまったそうです。前からは母が、後ろからは介添人の叔母が早く早くと急かしますが、余計に足がすくんでしまいます。
とても渡れないと目をつぶったとき、何かが着物の裾を小さく引きました。思わず目を開けると、そこには梨ほどの大きさに縮んだ神さまが、先導するように祖母の前に立っていたそうです。
そのときに、祖母は「半分此方で、半分彼方」の意味を理解したといいます。
ああこれで、私も実家も大丈夫だ。そう思った祖母は無事に橋を渡って嫁ぎ先にたどり着き、祖父と結婚したのです。

以来ずっと、祖母はこの家で神さまのお世話をし続けてきました。
神さまは祖母の家にいた時と同じく、家の中をウロウロしたり、日当たりのいい縁側で昼寝をしたりと、好きなように過ごしているそうです。
神さまは、今までと同じように家を裕福にしてくれることなどはありませんでしたが、やはり家族の誰一人大きな病気をすることなく、3人の息子たちは元気に成長しました。
ただ、よく祖母に嫌味を言っていた姑は、結婚後原因不明の腰痛を訴えることが時々あったそうです。ですが、70過ぎまで元気で、腰痛とは関係ない病気でコロッと亡くなったそうなので、神さまとはきっと関係ないのでしょう。
祖母は里帰りをするたびに実家で神さまの姿を探したそうですが、そこで神さまの姿をみることはもうなかったそうです。ですが、神さまが言った「半分此方、半分彼方」という言葉を信じ、あの家を今も神さまが守ってくれていると安心しています。
祖母が心配していた長兄の××ですが、酒好きがたたり若くして亡くなりました。ですが、その頃には結婚して子どももおり、家が絶えるということはなかったようです。

「それ、ほんとの話なん?」
祖母が語り終えたとき、私は思わず訊いててしまいました。
まるで児童書の一つであるような祖母の半生が、にわかには信じ難かったのです。
「〇〇ちゃんがみえんのなら、まぁ信じられん話ではあるなぁ」
祖母は、少し寂しそうに言いました。
「でもばあちゃんは、神さまがおることを知っとるから、嘘とは言えん。
〇〇ちゃんが自分で、本当かどうか考えよ」
祖母はきっと、「みえている私」と、神さまについて色々語り合いたかったのでしょう。
その口ぶりから、今までそのような話ができる人はいなかったのだと思わせました。
話題を共有できないことを申し訳なく思う反面、気になることもありました。
「おばあちゃんは、なんで私が、神さまのこと見えると思ってたん? 見えないって知って驚いてたやろ」
「…ばあちゃんは、ばあちゃんのばあちゃんから、神さまのこと教わったっち、言ったやろ」
「うん」
「ばあちゃんのばあちゃんはな、男兄弟がおらんで、婿をとって家を継いだんよ」
「うん…?」
「で、そのばあちゃんは、自分のじいちゃんのお姉さんから、神様のことを教わったんち。
そのお姉さんちいう人は、結婚せんでずっと家におっちょったんやと」
「はぁ……?」
「つまりな、神さまがみえるのは、ばあちゃんの実家の血を継いだ女だけで、
しかもひとつ飛ばしに伝わっちょんのよね。だからばあちゃん、
あんたはみえるもんと思っちょったんやけどねぇ」

祖母の話を整理すると、こういうことのようです。

神さまの姿がみえるのは、祖母の家の血筋の女性だけ。
しかも、その力は2世代ごとに伝わっているらしい。(祖母←高祖母←高祖母の大叔母)だから、
祖母は孫である私がみえるものと思い込んでいたのです。
確かに、現在祖母の実家に住んでいる孫世代は男の子ばかり、
祖母の直系の孫たちも、私を除けばみんな男の子でした。
「まぁ、ばあちゃんには姉さんも妹もおって、なんでばあちゃんだけにみえるんかは、
結局わからんのやけどな」「ふーん。…他に見える人がおったらよかったのにね」
「そこでよ。ばあちゃん思いついたんやけど」
祖母は急に、目を輝かせて言いました。
「〇〇ちゃんに子どもが生まれたらさ、その子がみえるようにならんかな? ひとつ飛ばしがふたつ飛ばしになったんよ」
「何を急に…」
「やけんあんた、はよ結婚しなさい。それで、ばぁちゃんに孫の顔見せてな。神さまのこと教えちゃりたいけん」
「おばあちゃん、私まだ2年生なんやけど」
祖母は私の話など聞かず、「長生きせんと!」と早くも張り切って笑っていました。


以上が、祖母から聞いた「神さま」の話です。もう、20年以上前のことです。
私は現在結婚し、実家のすぐ近くに住んでいます。実家に帰るたびに、
季節の果物を神棚にお供えしているのですが、
そんな時はいつも、隣で3歳になる息子が一緒に手を合わせています。

ひ孫の誕生を楽しみにしていた祖母ですが、私の花嫁姿も見ることなく、亡くなってしまいました。
現在神棚の管理は、母の仕事になっています。ですが、
母は当然神さまの姿は見えませんし、存在すら知りません。
神棚には、季節を問わず手に入りやすいバナナがよくお供えされています。

祖母がいなくなった今、我が家に神さまにまだいるのか、私にはもうわかりません。
「世話をしてくれる者」がいなくなり、どこかに行かれてしまったかもしれません。
わからないけれど、私は秋になったらいつも、梨をお供えするよう心がけています。

先日、一緒に手を合わせていた息子が、「ちっちゃい子が、梨食べてるねぇ」と機嫌よく言いました。
ですが、夢と現実の区別も曖昧な年頃ですし、そもそも彼は祖母が期待した女の子ではないので、きっとなんでもないのでしょう。
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