宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「ウルベーラの森」

2007年10月31日 | Weblog
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手塚治虫氏の作品は、個人によって好嫌が大きく
分かれるようです。

氏の有名な「ブッダ」は厳密な歴史漫画ではなく、「人間の
命の尊さ」をテーマにしたものであり、手塚氏による創作の
部分も多いのですが、ネット上のレビューなどを見て、
こちらも絶賛と批判の両方が明確に分かれていて、興味深く
感じました。

この漫画の中で、こうした台詞が登場します。

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「そして、みんな苦しみや悩みを抱えて生きている。
もしあなたがたの親や兄弟の中にも餓えで苦しんでいたり、
不幸が起こったりしたらどうなる?

あなたの家はつぶれ、あなた自身にも不幸がくるでしょう。
自分の不幸を、自分の苦しみを治す事だけを考えるのは心が
狭い事だ。
自分以外のみんなの事も考えてみなさい。

誰でもいい。
人間でも他のものでもいい。相手を助けなさい。
苦しんでいれば、救ってやり、困っていれば力を貸してやりなさい。
なぜなら、人間も獣も、虫も草木も、大自然という家の中の
親兄弟だからです。」

「お前が不幸なら、焼き殺された女奴隷達は、もっと不幸じゃないか?
ずっと辿ってみるがいい。
みんな不幸なのだ。この世に幸福な人間などありはしない!」

「みんな不幸…なら、なんで人間はこの世にあるのだ?」

「木や草や、山や川がそこにあるように、人間もこの自然の中に
あるからには、ちゃんと意味があって生きているのだ。
あらゆるものと繋がりをもって、その繋がりの中でお前は大事な
役目をしているのだよ」

「この俺がか?この俺に役目があるって?この役にもたたん俺が?」

「そうだ、もしおまえがこの世にいないならば、何かが狂ってしまう」

「あんたは不思議なことを言う…俺はそんな事、思ってもみなかった。
じゃぁ俺は、これからどうやって生きていけばいい?」

「その川を見なさい。川は偉大だ。
自然の流れのままにまかせて、何万年もずっと流れている。
流れを早めようという欲もなければ、流れを変える力も出さない。
全て自然のままなのだ。しかも大きく美しい。
そして…喜ばれ、恵みを与えている。
おまえも巨大だ。
お前の生き方次第で川のように偉大にもなれるだろうよ」

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この漫画の中に登場する苦悩する釈迦は、悩み苦しむ
手塚氏のそのままの投影であるという見解もありますが、
この漫画は人によっては共感出来、何かを得る所も少なくない
のではと思います。

この台詞を読んでいて、ふと先日読んだ一人の警察官の
話しを思い出しました。

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佐賀県唐津市肥前町高串。
小さな港町に小さな神社がある、
昔ここでコレラが発生した時に、伝染病の知識のない地元の人の
先頭に立ち、防疫と看護に尽くしてくれた警察官を祭る神社だ。
自らは病にかかり死に行く時、

「この地区のコレラは私が全て持って行きます。
二度とこの地に伝染病が入らないよう私が死んでも守ります」

と言い残し亡くなった。

不思議な事にそれからコレラは終息し二度とこの地区では
流行しなかった。

増田敬太郎巡査27歳。
警察官として勤務したのはわずか1週間。
しかし名前は神として100年後も地元に残る。

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「愛を知る人間」

2007年10月30日 | Weblog
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80年代に出版された、某西洋占星術家のエッセイからです。
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毎回このエッセイを書く時には、調べものをしたり、皆さんからの
お手紙をもとに執筆しています。
でも今回は皆さんにどうしても聞きたい事があって、いつにも
増してピリリッとした気持ちで筆を執っています。

質問はひどく単純な事です。
「あなたは誰かを精一杯愛していますか?」
または、
「あなたの内には、誰かを精一杯愛するエネルギーがあると
思いますか?」

この質問に、今すぐ自分の心の中で答えてみて下さい。
一瞬の戸惑いもなく、胸を張って「ハイッ!」と大きな声で
言える自分に出会えましたか?

さて、どうして私が突然皆さんにこのような事を聞きたくなった
かというと、先日電車の中で中年の女性二人が、

「最近の若いコってさあ、感動を知らないよね。
優しくないし、個人主義で……人を愛した事なんかないんじゃ
ないかしら?」

と大きな声で"最近の若いコ論"をぶち、挙句の果てに私の
顔をチラッと見つつ、

「そうよ、本当に愛情のアの字も持ってないのよ!」

と極めつけの結論を下したのです。

さて、このうちの一人は子供連れでした。
その子供がキャーキャーワーワー騒いでは、座席シートの
上へ土足でポンポン跳ねているではありませんか。
そしてその女性の視線はまたもや私にチクリと移り、

「ホラホラ、"あの人"に叱られますよ。うるさくしちゃダメ!」

とのたまうではありませんか!

その時、つい日頃はおとなしい(?)私も、反射的にこう言って
いました。

「別に私、貴女様のお子さんを叱ろうとは思ってません。
私をお子さんを叱るための理由にしないで下さい。
それに大きな声だったのでイヤイヤ聞いていたのですが、
今のコってみんないいコです。
優しくって思いやりがあって。
大体人の事を優しくないと批判するのは、自分に問題がある
証拠です。
私が知っているコ達は、みんな優しいわ!」

ここまでキッパリ言った所で四谷駅。
何だか自分の大切にしている物に汚れた手で触られたようで、
ホントに腹が立ったのです。
だから力一杯言っちゃいました。

ねえ皆さん、四谷駅の青空を見ながら思ったのだけど、
"愛を知る"人間になろうね。
あなたも私も。

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この占星術家の女性、非常に勇気があると思いました。
その二人の中年女性も、恐らく反論出来なかったのでは
ないかと思います。

個人的に、「大体人の事を優しくないと批判するのは、自分に
問題がある証拠です」の言葉が特に印象に残りました。
この二人の中年女性の言行を見ると、確かに本人達にも
問題がありそうに感じられます。
このエッセイを読んで、自分も気をつけよう……と感じた次第です。


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「神聖な愚人」

2007年10月29日 | Weblog
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今年の3月、日本の「ペトロ岐部と187殉教者の列福式」が
今年の11月に長崎で挙行される予定というニュースが
カトリック信者の間を駆け巡っていましたが、二ヶ月ほど前、
来年の11月の挙行が正式決定となったようです。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/kibe_187/
press070929.htm

殉教したペトロ岐部について、こちらに詳しく書かれています。
http://pauline.or.jp/modules/
areopagosu/index.php?page=article&storyid=21


今回は188人の一度の列福という大規模なものですが、それでも
日本の殉教者、特に女性や子供の殉教者に関してはこれまで
未だ充分に調査されておらず、こうした調査が進めば更に福者と
して認定される人の数が何倍にも増えると思います。

個人的には「長崎著聞集(ながさきちょもんしゅう)、公教遺事」に
散見される殉教者であるとされる、芥川龍之介が愛したという、
「神聖な愚人」、「じゅりあの・吉助」の事が気になります。

「じゅりあの・吉助」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/63_15200.html

記録されているという以上、実在した人間であると思いますが、
単純にして素朴であり、磔刑時には奇しき現象があったとされる
「じゅりあの・吉助」の話しは、わたくしも個人的に好きなものです。

では芥川龍之介はキリスト教の殉教を常に善意で見ていた
かと言えばそれは少し違うようで、シニカルな「商賈聖母」という
作品も残しています。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3813_27308.html
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天草の原の城の内曲輪(うちくるわ)。
立ち昇る火焔。飛びちがふ矢玉。伏し重なつた男女の死骸。
その中に手を負つた一人の老人。
老人は石垣の上に懸けた麻利耶(マリヤ)の画像を仰ぎながら、
高声に「はれるや」を唱へてゐる。
 
忽ち又一発の銃弾。
人はのけざまに仆(たふ)れたぎり、二度と起き上る気色は見えない。
白衣の聖母は石垣の上から、黙黙とその姿を見下してゐる。
おごそかに、悠悠と。

白衣の聖母? いや、わたしは知つてゐる。
それは白衣の聖母ではない。
明らかに唯の女人である。
一朶(いちだ)の薔薇(ばら)の花を愛する唯の紅毛の女人である。

見給へ。
その女人の下にはかう云ふ金色の横文字さへある。
ウイルヘルム煙草商会、アムステルダム。阿蘭陀(オランダ)……

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キリスト教からは感情的な反発があるかもしれませんが、個人的
には少し考えさせられた作品でした。
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握れば拳 開けば掌

2007年10月28日 | Weblog
80年代に出版された「縁」に関して書かれた本の紹介文
です。
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お見合いの話しの事を「縁談」と言い、またお見合いの
話しを断る時には「御縁がなかった」というのが決まり
文句となっている。
それほどまでに日常的になっている「縁」という言葉だが、
では縁とは何かと聞かれると、上手く答えられない人が
多いのではなかろうか。
ましてやその縁の力を生かして幸福を手にする方法と
なれば尚更であろう。

本書によれば、縁とは人生における出逢いの事で
あるようだ。
その縁の力の生かし方を、本書は興味深いエピソードに
よって示してくれる。

注目されるのは、著者に手紙で悩みを相談してくる人々の
90%もが、手紙の文章などはしっかりしているのに、返信用
切手を同封してこないという話しである。

「残り一割近くの切手の入っている手紙は、ものを尋ねる
手紙である。
救いを求める人に切手を入れる心遣いがなく、教えを
求める人に切手が入っているのは仕方のない事である」
と著者は言うが、悩みのある人が一様に縁を大事にする
事に手抜かりがあるというわけだ。

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わたくしはこの「縁力」という本は未読なので、それ以上の
本の内容についてはわかりませんが、この紹介を読み
少し興味を持ちました。
他者に教えは求めても、精神的な救いそのものを求める
べきではないのかもしれません。
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心の星

2007年10月27日 | Weblog
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80年代に出版された西洋占星術家の某書からです。
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毎月の運勢を書きながら、最近ふっと思った事があります。
それは星座別運勢の、"今月の星の動き"という所の事
なんです。

その中で「吉影を投げかけていた○○は凶角へと変わり……」
とか、「○月×日より凶角を形成する」というような、惑星の
動きを具体的に記してある事があるでしょう?
すると皆さんの中には、凶とか凶角という事に、とても恐い
イメージを抱いてしまうのではないかしら?という心配です。

だから今、その凶角について少し説明しておきます。
凶を辞書で引いてみると、「運が悪いこと」「よくないこと」と
出ています。
もちろん、この説明は間違いではないし、実際にはそういう
事なのだけれど、毎月の星の動きの所で、わたしが書いている
"凶"については、こんな風に考えてみて下さい。

"努力によって越える事の出来る障害"。
または"努力せざるを得ないような障害の到来"。
そして『災い転じて福となす』という諺がある様に、凶は必ず
吉へと変わっていくものだと思ってみて下さい。

個人のホロスコープでも、まったく凶角の見当たらない人と
いうのは、優しく穏やかで平和的なのですが、反面気迫や
迫力には今ひとつ欠けてしまう様です。
目の前に障害が立ちはだかった時に、ギリギリの状況まで
自分を追い込んで、最後の最後まで希望を失わずに戦う
闘争心、
これは決してなだらかな道ではありません。
でもそういう極限状況まで自分を追い込んで戦うという緊迫感も
時には必要かもしれません。
それを越えた時には、自分の可能性はまた一歩、先へと
伸びているのですから……。

皆さんも"凶"と仲良く付き合ってみて下さい。

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わたくしがまだ幼かった頃にはなかったと思いますが、
十代に入った頃にはゲームセンターにて、自分の生年月日と
出生時刻を入力するだけで、自分の正確なホロスコープを
印刷してくれる機械が登場していました。

自分のもの以外にも、他の幾人かのホロスコープを簡単に
見てみましたが、必ず一つ以上は「凶角」が含まれていた
だけに、「凶角」を一つも持たない人がいるという事をこれまで
知りませんでした。

ホロスコープの本などを読むと、「凶角」は克服すべき障害や
対立とか、持っている面が悪い方に働くといった様な解説に
なっていますが、この占星術家の言葉から、「凶角」には
違う別の意味がある事を認識しました。
これは占星術という枠だけに該当する事ではなく、人間の
人生全てに当てはまる事かもしれません。




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「あなたならどうする:いしだあゆみ」
http://jp.youtube.com/watch?v=UVZJVAf3sjg&NR=1

昔の歌の動画を見ると、色々な面で現在よりも「透明感」を
感じます。
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「文殊菩薩を拝する」

2007年10月26日 | Weblog






「文殊大菩薩(もんじゅだいぼさつ)
啓示眞智慧(けいじしんちえ)         
手執利宝剣(しゅしつりほうけん)
断悪可生智(だんあくかしょうち)       
人人修眞己(じんじんしゅうしんこ)
行道不偏倚(ぎょうどうふへんき)      
故我稽首礼(こがけいしゅらい)。」
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星空を見上げて

2007年10月25日 | Weblog
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80年代に出版された、某西洋占星術家の本からです。
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そろそろ、カシオペア座が見えるシーズンが近づいてきました。
春の大ぐま座に対比される、秋の最もポピュラーな星座
ですから、夜空の中から探してご覧なさい。

天頂からやや北の下方を眺めて目が慣れてくると、そこに
W字形をした五つの星があるはずです。
五つの星並びは、エチオピアの王ケフェウスの王妃カシオペアが
椅子に座った姿と言われていますが、あなたの想像力また
違うものに見えても、もちろん構わないと思います。

その他秋の夜空を彩ってくれる星座はペガサス座やアンドロメダ座。
星座を見つける事が出来たなら、ギリシャ神話をひもといて
みるのもいい考えです。
アンドロメダとペルセウスの物語などは、きっと学校の図書館にも
あるはずよ、
もう読んだ事があるという人も、多いんじゃないでしょうか?

受験生のあなた、そして中間テストの勉強で夜遅くまで起きて
いるあなたは、時々部屋の窓を開けて、星のダイヤモンドを
数えてご覧なさい。
無限に近い数が、何万光年もの彼方から輝きを送ってくれる
という宇宙の神秘を感じた時に、ふっと何かから解放された
ような広大な気分に包まれるはずです。

忙しければ忙しいほど、時間に追われているなら追われているほど、
ほんの数分間ほどのゆとりを大切にして下さい。

あなたの心の中に宇宙を呼ぶ事が出来れば、もしかしたら
不可能が可能になるかもしれません。
身近な所にある大きな奇跡の力があなたに宿りますように……
そして、夜空の星達のように、ピカピカに輝く美しい心の少女達に
なりますように……。

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この本は十代の少女向け雑誌の中の占星術コーナーに
おける毎月のエッセーを集めたもので、そのため「中間テスト」
「少女達」と学生向けに書かれていますが、内容的には大人
にも当てはまるのではないかと思いました。

わたくし自身、子供の頃から星空を見るのが好きで、時には
深夜まで何時間も見ているような場合もありました。
札幌も昔はまだ星がよく見えたのですが、年々星が少なく
なってしまったように見えたのは残念な事でした。

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血液型別の「積み方」

2007年10月24日 | Weblog
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画像はマイバースデイの妖精シリーズにおける、
ブドウの妖精シェリーです。)

某書からです。
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例えば電車の中で老人などに席を譲るなどという事を
普段繰り返していると、自分が疲れて座りたい時に
自然と自分の前の席が空くようになるから不思議である。

また逆に他人に対して何か良くない行いをしていると、
また不思議に後になって自分に似たような悪い事が
起きてくる事がある。
小学校や中学校でいじめっ子だった人が、上の学校に
進んだら逆になったという話はよく聞く所である。

また後に何らかの災難にあった際も、他を恨む事なく
一つの試練として捉えると、以外に凶が吉に転じる
場合も少なくないようだ。

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「陰徳あれば陽報あり」という有名な言葉があります。
単純に「陽報」を求めて、もしくは自分を尊大にしたり
売り込むために陰徳を積むのでは本末転倒になって
しまうように感じますが、しかし純粋に「陰徳を積む」事を
心がけようとしても、人によって得手不得手があるという
場合もあるようです。

そこで80年代に真面目に研究された、「血液型別:陰徳の
積み方」なるものがあり、これはそれぞれの血液型の
持ち主の性格や特性を利用して陰徳を積む事を容易に
しようというものですが、個人的に面白く感じました。
内容は以下の通りです。

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【A型】

A型の人は、一度決めた事は守り抜く、一種の頑固さを持った
人が多いようだ。
そこで電車に乗ったら必ずお年寄りに席を譲るといったように、
ある状況になったら必ず何かをするという風に決めて、それを
習慣にしてしまうと良いようだ。

【B型】

アイディアマンのB型の人は、その場その場で臨機応変に
アイディアを生かして人の役に立つようにすると良い。
ただあまり思いつきをそのまま実行してしまうと、良かれと
思ってした事が逆効果になってしまう事もあるので、ちょっと
気をつける必要がありそうだ。

【O型】

O型の人は、何か目標を決めてやると良いだろう。

一日一善とか、或いは何か小さな良い事を50回なり100回
なり、目標を決めて行うのである。
最初はあまり無理をしない程度に目標を立てて、少しずつ
増やしていくと良い。

【AB型】

AB型の人は、もともと人の役に立つ事をするのが好きな人が
多いようである。
ただ時々それがお節介ととられてしまう事もあるようだ。
人に知られず行うのが「陰徳」なのだから、その点、結果的に
自分を売り込むような行いをしてしまっては、あまり意味が
ない。
また、やりかけた事を途中で放り出してしまうような事の
ないようにも注意したい。

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日本ほど大衆的に血液型占いに関心を抱く国はないと
思いますが、大抵は性格や相性判断、またビジネスに
利用されるもので、「陰徳の積み方」にまで言及しているのは
珍しく感じました。
しかし参考になります所もありますように感じます。


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小さな地球を作る

2007年10月23日 | Weblog
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画像のNASAの研究者が手にしているガラス球のものは
「エコスフェア(生態球)」と呼ばれるもので、NASAの
技術によって開発された、密閉された直径15センチほどの
ガラス球の中に、地球の生態系の模型が見事に維持されて
いるというものです。
この球の中にあるのは、水草と小エビと水だけです。

この「エコスフェア(生態球)」はただ外から差し込む光だけを
頼りに生命が維持され、成長を続けていきます。
密閉されているので外部から酸素やエサの供給は一切ありません。

内部にある水草が光のエネルギーを受けて光合成を行い、
水中の栄養分を有機物に変えて成長し、中にいる小エビは
その水草が発生させる酸素を呼吸し、水草を食料にして生命を
維持します。
その小エビの排泄物はバクテリアによって分解され、再び水草の
栄養分となります。

この「エコスフェア(生態球)」は何日も光が当たらなかったり、
温度が極度に高温、もしくは低温になったりすれば、すぐに
球の中の生命は死に絶えてしまいますが、安定な条件が
得られれば、少々の環境の変化があっても、生体に最適の
状況を維持する事が出来るとの事です。

「エコスフェア(生態球)」は「ガイアの卵」とでも呼べるようなもので、
単なるインテリアではなく生きている地球という「生命地球儀」
でさえありますが、目の前にあれば「生きている地球」という
事が誰にでも実感出来そうです。

昔の雑誌などを見ると、これが80年代にインテリア的にアメリカで
商品化され、80年代中頃には日本にも入荷された事がわかりますが、
アメリカでは現在もネット上などで販売されているものの、
日本でのその後の商品としての取り扱いに関して詳しい
事はわかりません。

アメリカの一つのオンラインショップでは、一個55ドルという
価格になっています。
http://www.puremodern.com/-strse-1519/ecosphere/Detail.bok

しかし日本で、「215円でエコスフェアが作れる」として自作の
方法を紹介されている方がいます。

「手のひらの中の地球」
http://www.nurs.or.jp/~nemoto/Mono_logue/eco_goods/
ecosphere.html


こちらではNASAのような特定の種類の小エビではなく、購入が
容易な「ヒメダカ」を入れる方法となっています。

わたくしも「エコスフェア(生態球)」が欲しく感じています。

               +++++++

http://oceans.care2.com/
こちらのページ中央の黄色い「FREE CLICK TO HELP!」の
バナーをクリックされると、海洋とイルカなどの海洋生物を
保護する活動に寄付されます。
寄付はクリックする人の代わりにスポンサーが支払います。
クリックは一日一回、毎日有効です。

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エメラルドグリーンの空

2007年10月22日 | Weblog
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某所からの話しです。
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小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが
少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに
答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうと
する姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は
違う学校へ転任することになったので、全校集会で先生のお別れ会を
やることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出した
お馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、
体育館に響いただけでした。

昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを
発見いたしました。

N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校
しなければならないような 過疎地へ自ら望んで赴任されました。

N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。
A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。

「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。
みんなはもしかしたら、 見たこと無いかもしれない。
ユトリロっていう、フランスの人でね、街や風景をたくさん
描いた人なんだけど。
空が、綺麗なんだよ。

A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
だけど、決して取り戻せない物ではないのです。
そして、A君は それを一生懸命自分のものにしようしています。
これは、簡単なことじゃありません!」

A君は、空を描いた絵を送るそうです。
その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。

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ユトリロの絵画はこちらで見る事が出来ます。

子供から見れば確かに、このN先生は意地悪で陰湿に見えますが、
実はA君の才能を見抜き、またA君のために熱意を持って指導され
たようで、もしこのN先生との出逢いがなければ、A君もそこまで
才能を伸ばせなかったのではないかと思いました。


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